Straight ahead
機銃掃射のような言葉の羅列であれば、その単語ひとつひとつは羽根のように軽い。短い返事なら、その逆パターン。源は言った。
「なんかあったら、ゆうてくれよ」
結局、柿本に加えてゴローさんと立松の三人がまとめて狙われる理由は、思いつかない。暮らしの相談室になりかけたところで、花梨がオレンジジュースを持って帰ってきて、源が笑いかけると歯を見せて笑ったが、すぐに真顔に戻って言った。
「なんか悲しそう」
「そういう生き物やねん、すまんな」
源が言うと、綿野が笑った。
「前世が楽しかったんやろ」
料理が運ばれてきて、片手間のように食事が終わり、綿野はニット帽をかぶって正装に戻った。巻き戻しのように愛華のアパートの前まで移動すると、ジムニーの前での立ち話が終わって車内に戻ろうとする二人の服の袖を掴みながら、愛華は言った。
「あのー、ほんまにさ……」
綿野が振り返り、源の肩をつついた。
「おい、ゲン」
源は振り返った。愛華は過呼吸に陥ったように胸を上下させながら、言った。
「ありがと、いつも」
「無理すんなよ」
源が言い、花梨も合わせるようにうなずいた。
「わたしもついてる」
愛華はその言葉を噛みしめるように何度もうなずくと、花梨を引き寄せて、手を振った。
「二人とも、気をつけて」
うなずいた源は、道の反対側からコートを着た女が歩いてくることに気づいて身構え、綿野が同じように鋭い視線を向けた。愛華が首を横に振り、言った。
「知り合いやねん、ごめん」
森島家には、色んな人間が出入りする。愛華は、これだけIT技術が進化した現代でも、持ち込みデータの復元や解析を直接の受け渡しでやっている。堅気の業者への持ち込みなら匿名では済まない上に、違法なデータがあれば通報されるリスクもあるが、愛華にはコンプライアンスの概念はない。女は愛華に会釈すると花梨の前に屈みこみ、笑顔で言った。
「ママはー?」
花梨は反射的に『いない』と言おうとして、口をつぐんだ。
「いない? いるよねー」
女はそう言うと花梨と笑い合って、愛華と一緒に三人で階段を上がっていった。
「女子しとんな。止めんでええんか」
後姿を眺めながら綿野が言うと、源は首をすくめた。
「そんな急に、もう来ないで下さいとは言われへんやろ。でも、いずれはやめさせなあかんな」
「お前が?」
「そうや、おれが」
そう言ってジムニーに乗り込んだ源は、綿野が助手席に乗り込むのと同時にギアを一速に入れ、マニュアル車の運転を忘れたように急発進させた。排水溝の蓋を乗り越えてタイヤがその先の溝にはまり、車体が急激に傾いた勢いで綿野はサイドウィンドウに頭をぶつけた。瞬きを繰り返しながら運転席の方を見ると、言った。
「そっち下水やぞ」
源はハンドルを力いっぱい握りしめていた。その肩が震えていて、爆発しそうな感情を堪えていることに気づいた綿野は、言った。
「無理すんな。おれも悲しい」
高崎五朗、いい大人ではなかったかもしれないが、南団地の子供たちの守り神だった。のんべえ立松は大人になった当時の子供たちを受け入れ、繋ぎ止めた。綿野は、源がひとりになるのを待つことなく感情を表に出したことに、驚いていた。心にぽっかり空いた穴は、家でひっそりと確認するのが一番いい。その確信が今までに揺らぐことはなかったが、こうやって同じことを同じように考えている人間が隣にいると、何が正解なのか分からなくなってくる。綿野は、源から見えないように目元の涙を拭うと、言った。
「はよ、溝から出せよ」
源はバックギアに入れると、ジムニーを溝から引っ張り上げた。正気を取り戻したように一速へ入れていつも通り発進すると、うわごとのように呟いた。
「殺したる」
言葉には出さなかったが、綿野はうなずいた。当たり前だ。愛華からすれば『世話好きな面白いおじさん達』でも、こちらからすれば、その存在は親以上に偉大だった。まだ信じられないが、一杯やりながらその話をしたくても、もうその場所すらない。正月の落とし玉や、十年以上に渡って立松で話した色々な事。窓の外を流れる景色と一緒に通り過ぎてくれれば楽だったが、人間の記憶はそう都合よくはない。
「落とし玉、覚えてるか?」
綿野が言うと、源はハンドルを握ったまま微かに笑った。共有している記憶だということはお互い理解していたが、今までにその話をしたことはなかった。
「一応な。でも寒かったんと、必死やった記憶しかないわ。お前は、はっきり覚えてるん?」
「結局は、弱肉強食やったやろ。落ちてくるまでは平等か知らんけど」
綿野は、自分の手元にひらひらとやってきた封筒のことを思い出しながら、言った。源は少し記憶に光が当たったように、目を細めた。
「あー、確かにな。取り合いになって、何人かどついた覚えはある」
そこまで言うと、源は綿野の方をちらりと見て、言った。
「覚えてへんけど、もしどついてたらごめん」
「忘れとけや」
綿野は笑いながら言うと、オーディオの曲を途中で変えた。ジューダスプリーストの『キリングマシーン』が流れ出したとき、ボリュームを上げながら言った。
「殺すのは置いといて、一旦解散か? おれは一日動けるけど」
綿野が言うと、源はボリュームを下げながら首を横に振った。
「後でまた戻って来よう。おれは道具を積んでくる」
ロックピックと番線カッターさえあれば、色んな場所へ自由に出入りできる。源はシフトレバーを四速に入れて、アクセルを踏み込んだ。
日が落ちても関係なくスマートフォンをじっと見つめている果歩に、幸樹は言った。
「買い物か?」
「うん、まあ」
爆買いは止まらない。先週、下手くそなDJが曲をがむしゃらに繋いでいくような勢いで立て続けに買ったコスメは、家を空けている間もポストに入ったり、置き配されたり、様々な手段で運ばれてきているだろう。中には配送方法を選べないものもあり、それが気がかりだった。こんなイカレ女のために何度も再配達をしてもらうのは、気が引ける。
「お前は、ここにおれよ。おれと今川でやってくるから」
幸樹の言葉に、果歩はスマートフォンから顔を上げた。
「何をするん? わたしが思ってる通りのこと?」
「多分な」
幸樹は首を鳴らしながら、今川が持ってきた散弾銃を手に取った。銃身と銃床を切り詰められた、ウィンチェスターブラックシャドウ。グリップは切り落とした跡を隠すように、アルミテープが何重にも巻かれている。果歩は、フランケンシュタインのようなつぎはぎの銃を見下ろす幸樹に、言った。
「もう遅いかもしらんけど、捕まってもいいの?」
「おれは構わん。お前にはきっちり見届けてほしいけど」
「何を?」
果歩はそう言って、幸樹の腕を覆う服の袖を掴んだ。昔と同じように引いてみても、その手を散弾銃から引き離すことはできなかった。今川が『メシを食ってくる』と言って出て行き、しばらく経つ。今ぐらいしか、兄妹として話す機会はない。それは幸樹も分かっている様子で、自分に言い聞かせるように、言った。
「人を騙す人間には、それなりの最期が来る」
作品名:Straight ahead 作家名:オオサカタロウ