ピッケル
「おいおい、俺にはそんな気はないよ! まあ、妄想なんちゅうものは本人にとっては妄想じゃなくて真実そのものらしいけど・・・。 それで、俺と小田誠の記憶のことってなんや!」
「小田誠は岳沢を滑っている。10年ほど前のことやけど小田は奥穂高の頂上から岳沢を滑る冒険をしている。百名山を紹介した雑誌の『穂高岳』の号にその冒険談が掲載されていたんや。2013年の雑誌や。昨日、ふと思い出して引っ張り出して確認したんやけど、その記事にあった本人の体験談がおまえの風呂で言っていた体験とそっくりなんや。扇沢大滝の上部をアイゼンに付け替えて迂回したことやその下の雪崩の痕跡であるデブリをくぐり抜けたことといい、そっくりというか、そのまんまや。」
「へえ~、ほんまか!」
田村は続けた。「理屈としては、お前が小田と同じような時期に同じところを滑ったと考えられないこともないんやが、それはとても無理なことや。たとえリアルな記憶であっても、その周縁にある日程も下見もあいまいな記憶は信じがたい。昨日俺が見た雑誌をお前がどこかで読んでいてその体験談を自分の記憶として思い込んだということも考えられないことはない。だど、お前のあまりにリアルな記憶を聞くうえではそれも考えにくい。そんなことを考えていているときに思いついたんや、お前が小田にスキーで衝突したことと何か関係があるんと違うかなと」
「俺が小田誠に衝突したことと岳沢の記憶とが絡んでるというのか?」
「そうや、俺はある仮説を考えた。記憶の転移というやつや。」
「記憶の転移?・・・」
「そうや。転移や。まあ、俺の仮説を聞いてくれ」
「記憶はいつまでも安定して変わらんものやない。不安定で曖昧なところがある。時に部分的に事実をたがえて記憶していたり、こうあってほしいという自分の願望によって無意識のうちに書き換えられていたり、さらには、他人から聞いたことを自分のものだと思い込んでしまっているということが起きる。人の記憶は脳の中の大脳辺縁系というところにある海馬を通じて大脳の側頭葉の神経の中に回路として保存されているらしい。俺たちは物事を思い出そうとするとき、その神経回路内に格納されている記憶を海馬の神経細胞を働かせて引き出している。そして、思い出した後はまた回路の中にしまいこむ。そういうことをしているらしい。それで、思い起こした記憶を再格納するときに無意識のうちにさっき言ったようなエラーのようなことが起きる。記憶の一部や大部分を書き換えてしまうことになる。ただ、お前の岳沢の記憶はこの書き換えとは違うようや」
「とすると?」
「これからが俺の仮説の肝や。しっかりした記憶であっても、想起してそれをまた格納するとき、アニソマイシンという抗生物質を飲んでその薬が効いていると再格納ができなくなるらしいんや。すなわち記憶は消えてしまうちゅうことになる。不思議やけどそんな副作用を持つ抗生物質があって、たとえばPTSD(心的外傷後ストレス障害)の原因となる記憶を消すため、つまり忘れたいことを忘れさせる薬として活用できないかというような研究もされているらしい。お前は小田誠にかなりの強さで衝突した。小田はお前が衝突する直前、穂高岳沢の滑降のことを思い出していたんやないかと考えたんだ。しかし、偶然にもその抗生物質を飲んでいたことで再び格納できない状態になっていた。思い出していた記憶は消失しかねない極めて不安定な状態になっていたんや。そこにお前が衝突した。おまえのほうはというと、制御が効かない身体だけじゃくなく脳も停止した空白状態にあった。衝突した衝撃で小田が思い出していた記憶の断片がおまえの頭の中に移ってしまった。記憶の転移が起こったということや」
「記憶喪失とか認知症や交通事故なんかで、新しい記憶ができなかったり、できても数分しかもたないという人の話は聞いたことがあるけど、記憶が人から人に移るなんぞは聞いたことがない」
「俺かてあり得ないと思ったよ、常識的にはバカバカしい推理や。でも今言った偶然に偶然が重なるような特異な状況では起こりうる現象かも知れへん。人間の脳はまだまだブラックボックスや」
「まるで映画のような話やなあ。昔あったやろ。少年と少女が階段を一緒に転び落ちたら互いが入れ替わっていたというやつ。SFの世界やな」
僕は田村の説にあきれながらも理屈にはなぜか妙な説得力を感じるのであった。
「ミラーニューロンシステムっていうのを知っとるか?」田村は、揺れる僕の心理を見透かすかのようにたたみかけた。
「ミラーニューロンシステム?」
「猿の実験で発見された脳神経のシステムや。ミラーニューロンちゅうのは、他人の行動を見ているとき、見ている側の脳のなかでもその行動を行う時の脳部位が鏡のように反応する神経のことや。例えば、俺がこの缶コーヒーを持って飲むとしよう。それを見ているお前の脳の中では、俺がコーヒーを飲むときに働いている俺の脳部位と同じ部位が反応している。俺の行動を鏡のように移しとるように、自分の中の同じ神経細胞が働いてその行動をシュミレートしているんや。この反応はほぼ生まれた時から備わっていて、学習のもとになる模倣の能力につながっている。そしてそれだけでなく、俺たちが持つ心の理論や共感の能力にも深くかかわっているということや。相手の立場で物事を考えることができる能力の根っこにあるシステムって言うてもええ」
「そのミラーニューロンシステムと記憶の転移とどう関係がある?」
「俺たちは他人の行為を見るだけで自動的にその行為を自分のものとして体験できるシステムを生まれながらに持っているんや。そして、ごくごく日常の社会生活の中で意識しないままその能力が働いている。とっても不思議なことやと思わへんか? 俺たちの脳にはそんな不思議な神経システムが組み込まれとる。これは超能力的なシステムや。現象と言い換えてもいいかもしれん。こんな不思議な現象があるんやったら記憶の転移という現象があってもおかしくない。そうは思わへんか?」
「少し飛躍しすぎかな。でもなんとなくあり得ることのような気もしてきたのが不思議や」
田村は理屈好きの人間だ。それはこの会社に同期で入社した頃からそうだった。自分なら感覚的に判断するレベルの仕事でも、田村は理屈で納得しないと次に進まない。そして、理屈立てそのものを好んだ。それは山登りの最中の判断においても同様で、時に天候やルートファインディングの判断において活かされた。しかし、その長所の面がどちらかというと感覚的な人間である僕にはわずらわしさとして感じさせる面があったことも確かである。田村は理屈好きとともに知識欲の強い人間でもある。なかでも人間の体の仕組みやその働き、自然界や宇宙の仕組みといったことに関心が高く、生理学や脳科学、宇宙物理学などの一般書を読み漁っている。そうしたジャンルの知識は、職場や山行で、または飲みの場でよく披露されたものだ。そして、今日は記憶の転移という突拍子もないまでの理屈を脳科学の知識を土台に立ててきた。