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京都七景【第十六章】

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 ところが、それから五歩も進むと、深夜だからといって、そういつも月が都合よく空に出てくれるとは限らないことに気づいた。雨の日、曇りの日、新月の日、月の出入り時刻が合わない日、意外に多そうではないか。そういう日こそ、友としんみり語りたくならないとも限らない。いや、なるかもしれない。たぶんなるだろう、なるに違いない、そう、きっとなる。
 どこかに、親しく語り明かせる友だちはいないだろうか。無駄とは知りつつ俺は顔を上げて、あたりを見回した。右側には、鉄門と柵に囲まれ、大きな建物が黒黒とそびえている。そうか。錦林小学校まで来ていたか。
 そのとき、俺はあっと小さな叫びを上げて、左側にある下宿の二階を見た。左から三番目の窓だ。やった、すりガラスの向こうにぼんやり明かりが点っている。それ以外に明かりのついている部屋はない。心に温かいものが湧き上がって来た。もしかしたら俺は救われるかもしれない」
「なるほどな。さっきから妙だ妙だとは思っていたが、そういうわけだったのか」と、わたしが苦笑いをする。

「そういうわけだった。すまん」
「じゃ、あのときがそのときだったのかい?」
「いや、まだ、あのときはそのときじゃなかった」
「じゃ、そのときって、いつのことだい?」
「あのときから一週間後のことだ」
「おいおい、ふたりとも、本当に日本語を話してるのか。僕には何が何やらさっぱりわからないぜ」と、と神岡が憮然とする。

「同感だ。もう少し分かるように話してもらえないかな?」と大山。

「同じく」と堀井。

「いやあ、すまない。気にかかっていた謎がひとつ解けたものだから、話の流れを自分の方へ引き入れてしまった。申しわけない。続けてくれ。終わるまで口を出さないようにするから」とわたしが陳謝する。

「うん。では。再開するよ。
 そこは、野上の下宿だった。たしか、その一月ほど前、大学の帰りに、家(うち)の近くに旨いラーメン屋があるので食べて行かないかと誘われたときに寄って、ついつい話し込んでしまい、いつになく楽しかった記憶があるものだから、よく覚えていたんだ。
 でも、さすがに、こんな真夜中に寄って迷惑をかけるのはためらわれた。もちろん、そうしたい気持ちは十分にあったよ。しかし、この日は初めて外出した深夜ではあるし、月も出ていて、読みたい本も買えたから、ある程度気分転換ができたように思った。
 問題は、月の出ない、もっと深刻な深夜が、いつか必ずやって来るということだ。その深夜が来るまでは、歯を食いしばってでも訪問は控えようと決意した。だが、決意を翻す深夜は思いのほか早々とやって来た。
 その一週間後、また浅い眠りから目を覚ますと、やはり午前零時を少し回っている。 例のごとく、頭に霧がかかり、目は冴えて、どうにも眠気が差しそうにない。仕方なく散歩に出たが、あいにく外は雲が低く垂れ込めている。いかに緊張を解くのが目的とはいえ、月影がないのは何とも心細く、今回は始めから鹿ヶ谷通りを行くことにした。
 錦林小前で、野上の部屋を見上げる。よし、明かりはついている。まさかのときは、悪いが、ここに立ち寄らせてもらおう。少しほっとして通り過ぎるが、ここから道は長い登り坂となって足に応える。少し前屈みになって歩いていると、肩にちらほら白いものが当たる。冷たい風が顔を撫でる。どうも雪が降って来たらしい。それでも構わず先へ進む。
ところが法然院町のバス停を過ぎた辺りから、猛然と吹雪いて来た。フードを被り襟を立ててあたりを見回し、これ以上進むのは無理だと判断して引き返した。気持ちは、速く下宿に戻って難を避けようと焦るのだが、雪はさらに吹き募ってくる。しかも所かまわずぴしぴしと当たって、視界がきかなくなる。もはや、これまで、と俺は野上の下宿に飛び込んだ。
 その時の格好に野上はひどく驚いたらしい。俺を見つめて絶句している。だが、おそらく頭や肩に積もった雪を見て、状況を了解してくれたのだろう。弾かれたように、タオルをとって俺の全身の雪を払い、ランチコートを脱がせてハンガーにかけ、炬燵に足を入れるよう促し、座ったすぐ横に電熱ストーブまで置いてくれた。その手際の良さに俺は感心した」
「それほどでもないけど、諸般の事情があって吹雪には強いんだ」とわたしが妙な弁明をする。

「諸般の事情のことはよく分からないけれど、とにかく野上の気遣いが俺には心底嬉しかった。感謝するよ」
「どういたしまして。過分な感謝をいただき、面映いよ。実はこれにも事情があってな、露野の後でする話に関わっている。まあ、その時まで期待しないで待っていてくれ。何しろ変わった失恋話だからな」と、予告編のつもりで、わたしが敢えて深刻な表情をする。

「野上は、そのあと、すぐに熱いコーヒーを入れ、電熱器にもち焼き網を乗せてトーストまで焼いてくれた。それで、凍えた身体を温めながら、俺は、以前聞いた深夜営業の本屋に行く途中、吹雪に遭って、鹿ヶ谷通りに立ち往生したことを簡単に話した。だが、弟のことや実家の事情は、気持ちの整理がついていなかったし、恥ずかしかったから、今夜初めて告白させてもらった。野上、あの時は急に訪ねて迷惑をかけた、本当にすまなかったな」
「いや、いいんだ。あの時はたしかにびっくりした。こんな遅い時間に、暗い鹿ヶ谷通りをわざわざ歩いているなんて、さすが哲学専攻は違うなと感心したんだ。だが、露野の強ばって思い詰めた表情を見ているうちに、それ以上の理由があるようにも思えた。だって、体が温まって落ち着いても、その表情が緩まなかったから。きっと、人に言えない、つらい何かがあるのかもしれない、実は、そんな気がずっとしていたんだ」
「そうか、そんな感じがあったか」
「うん、そんな感じが確かにあったよ。つらい時は、いくら堅く心にしまっておいても、しまっておこうとするその意思の堅さが、逆に何かを伝えてしまうことがあるだろう。おそらく、人間にとって、何かを話すことだけが伝えることじゃないんだ。話すのを避けているというそのことが、逆に避けているものをはっきり炙り出してしまうことにもなる。露野のあの時の顔は、哲学的難問を抱えているというより、人間的難問、つまり人間的不条理に悩んでいる人の顔みたいだった」
「そうか、でも、よくそんなことが分かったな。俺の姿から、そんな様子が駄々漏れしていたのかい?」
「今も言ったろう、駄々漏れしていい表情なのに駄々漏れして来ないことがおかしいと思ったんだ」
「観察が鋭いな」
「違うよ。類は友を呼ぶ、という感じがしただけさ。いや、さらに言うと、同病相憐むだな。何だか同じ病の臭いがした」
「それはどういう意味だい?」
「つまり、同じことに悩んでいるもの同士の共鳴を覚えたんだ。さっきも言ったけれど、その頃自分も不条理なことに巻き込まれていてな、その理不尽な結果を受け入れることができないでいたからさ。それについては露野の次に話すよ」
「そうか、それじゃ、話をさっきのところに戻すか。このあとは比較的短い話になるから心配はいらないぜ。
作品名:京都七景【第十六章】 作家名:折口学