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京都七景【第十六章】

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 この一件をきっかけに、俺と弟は、前にもまして何でも言い合える間柄になった。その上、両親について、憚りなく率直な意見を交わせる関係は、本当に得難いものだった。俺は、家族の情愛、いや人間の情愛とは、こういうものなのかと改めてその時知った気がする。まあ、それはそれとして、そろそろ、話をまとめることにしよう。
 それで、弟に今後はどうしたいかと尋ねてみると、俺と同じ大学に入りたい、しかも本気だという。うう、泣かせるじゃないか。最後までその気持ちが続くかどうかは、そのときの状況にもよるから、今から大学を決めてなくてもいいのじゃないかと言ったけれど、とにかく勉強をして大学に入りたいという気持ちは強く伝わって来る。それなら、方法はある、俺に任せろと言って、再び母に掛け合った。
 例によって、多少のもめ事はあったものの、母は比較的すんなりと折れてくれた。弟は大学進学を強く望んでいて、それに適う公立高校への入学を考えている。自分が必ず弟を志望校に入れて見せるから、あと二年間、毎週末、弟が塾代わりに自分の下 宿へ勉強に来くることを許可してほしいと頼んだ。
母は、いろんなところで俺とは意見が違っていたけれど、学習指導だけは俺のやり方を尊重していたし、跡取り息子には、兄よりいい大学を出させたいという願いもあるらしかったから、双方の利害が一致したというわけさ。  
 そうして、俺たちには幸福な、そして母には平穏な、二年間の週末が過ぎて行った。幸いというか、予想通りというか、弟は志望校に合格した。いくら教えることに自信があったとはいえ、結果が出るまでは、神経を張り詰めて薄氷を渡っているみたいで、生きた心地がしなかったから、俺の喜びも一入だった。ところがそのあとに反動が来た。
 弟が入学の準備でしばらくの間、来なくなったからだ。もちろんそれは当然のことだった。が、その喪失感は大きかった。俺はまた一人に戻ってしまい、大学入学時の孤絶感に再び苛まれ、あのとき以上に、寂しくて寂しくてたまらなくなった。
 それでも、平日は大学に通ってクラスメートに会えるから何とか毎日を凌ぐことはできた。だが、土曜日の授業を終えて下宿に帰った午後から、翌日の夕方までは、どうにも耐え難かった。
 仕方なく、読みかけの本を読んだり、レコードをかけたり、ラジオを聞いたりして気分を変えようとした。しかし、お恥ずかしい話だが、焦燥が募って何一つ集中できない。いっそ寝てしまおうと、布団をかぶるが、緊張のせいか眠りが浅く、午前零時をまわる頃には不思議と目が覚めてしまう。その後は、どう頑張っても眠くはならない。そのくせ、頭は霧がかかったように働かないし、目は眠さで真っ赤になっているのに、閉じても眠りの訪れる気配が少しも起きないので、精神はへとへとに疲れてしまう。
 さすがに、このままではまずいと思った。このまま部屋にいても孤独な状態に変わりは無いから、午前零時をすでに過ぎているとはいえ、外に出て散歩でもした方がましなんじゃないだろうか。そういえば、最近、銀閣寺の先に午前二時まで営業している本屋ができたと、確か野上が言っていたな。よし、今からそこまでゆっくりと歩いて、本を物色して戻ってくれば優に二時間はかかる。身体もほどよくほぐれて緊張が解け、さらに面白い推理小説でも見つければ、帰ってからの時間をうまくつぶせるかもしれない。あまり人に言ったことはないが、気が滅入ったときに推理小説を一冊読むのが俺の唯一の効果的憂鬱解消法なんだ。
 早速、ランチコートをひっかけて俺は下宿を出た。外は二月末(すえ)の暗い寒空に、煌々と満月がかかっている。その満月に追いかけられるように俺は歩いた。まず、下宿前の細い通りを丸太町通りへと抜け、丸太町通りが白川通りと交わる四つ角を北(つまり白川通りの方)に曲がり、そのまま直進して、今出川通りとの交差点までたどり着くと、交差点を渡った少し先の右側に、紫の地にピンクのネオンサインで「本」という字をあしらった、どこか胸さわぎを感じさせる看板が確かにかかっている。
 余計な話だが、中に入って見ると、意外なほどちゃんとした本屋で(失礼)、特にミステリーのラインナップが素晴らしい。その上、探していたヴァン・ダインの「グリーン家殺人事件」まで見つかったので、俺もやや気分が晴れて、帰り道の足取りが軽くなった。
ようし、それなら、帰りは別の道を歩いてみるか。実は白川通りの一本東側に鹿ヶ谷(ししがたに)通りという道が並行している。並行と言うには、かなり左右に湾曲しているけれど、とにかく同一方向には向かっている。昼間歩く時に、人や車の通りが少なく何となく物寂しい通りだなとは思っていたが、親しみはこちらの通りに感じているので、近くに来たときは好んで歩いていた。その道を帰ることにした。
 だが、白川通りを銀閣寺道へ折れて、鹿ヶ谷通りの入り口まで来て、俺はびっくりした。通りはすでに入り口からして闇に包まれ、街灯もまばらな上に、その街灯がまた薄明りをわずかにまとっているだけで、隣の闇にすぐ飲み込まれている。道脇の家々にもあかりはなく、シルエットだけを見るなら、巨石が道の両側に積み上がった、無人の町としか思えない。
 俺は暗澹たる気分に戻った。ああ、また孤独を歩かなければならないのか。俺は仕方なく足を踏み出した。昼間歩き慣れた道とはいえ、暗闇の中では、路面にわずかな高低があってもすぐにつまずき、転びそうになる。これからの人生、きっとこんな風に生きて行くのだろうなと思うと、余計に気分が塞いでくる。
 一歩、また一歩、恐々(こわごわ)と進みながら、さらに一歩を踏み出したとき、あたりがパッと明るくなって急に風景が開けた気がした。顔を上げると、満月が高く正面に輝いている。そのとき、妙な話だが、俺は、満月が俺の孤独を見かねて、待っていてくれたような、そんな温かい気持になった。
 ふつう、月は「孤独」、「寂しさ」、「冷たさ」の比喩としてよく使われるが、このとき以来、俺には「友愛」、「思いやり」、「温かさ」の象徴となっている。
 ま、それはさておき、俺は、月の後を追うようにして通りを進んだ。月は見え隠れしつつも、俺が迷わずついて来ているか時々確かめているらしく思える。知らず知らず、こんな句が口をついて出た。
〈月天心さびしき町を通りけり〉
 何だか最近どこかで読んだことのある句だと思った。余談になるが正確を期すため、つけ加えさせてもらう。俺は下宿に戻って、どの本の中にあったかを調べてみた。といっても俳句の本は、正岡子規の「俳人蕪村」と萩原朔太郎の「郷愁の詩人 与謝蕪村」しか読んだことがなかったから、蕪村の句にほぼ決まりだ。少し調べると、原句は
〈月天心貧しき町を通りけり〉だった。 
 俺の気持ちは「さびしき」でいささかの迷いもないが、蕪村の名句に申しわけがたたないのでここで訂正させてほしい。よろしく。
 それで、帰り道の続きだけど、
 これからは、悲しいとき、寂しいとき、月を友としよう、そうすれば、弟がいなくても人を煩わせずに済む。そう考えると、少し心が軽くなった。
作品名:京都七景【第十六章】 作家名:折口学