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荏田みつぎ
荏田みつぎ
novelistID. 48090
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創世の轍

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軍監とは、少し離れた処で敵味方双方の戦いぶりを監督する役割を担う者のことである。特に、味方が勝利を得た後に、家臣それぞれの功労などを主に伝え、主は、その報告を元に報奨を与えるという重要な責務だ。
京への進軍に際し軍監の任を与えられていたのは、玄信の叔父である畠山信篤であった。
「おそらくは、向坂、伊藤両将も討ち死にかと・・」
という信篤の知らせに、
「実で御座るか!」
と、声を上げる玄信。信篤は、黙って頭を下げながらふつふつと湧き上がる不安に捕らわれる感覚を禁じ得なかった。
 僅か数日前、豊前への攻撃が決まった時、信篤自身、いとも簡単に味方が勝利すると信じていた。そして、それは、信篤の予想通り、戦などと呼べるものではなく豊前の不甲斐なさを笑うだけの結果に終わった。
 だが、勝利を得た日から次の朝を迎える前に、状況は一転して味方は大打撃を被ったのである。その様子を目の当たりにして、信篤は、遥か昔の出来事をふと思い出した。
それは、彼がまだ幼かった頃に聞いた話である。
 
 源平の戦が始まるずっと以前のこと。木枯らしが吹き始めた季節、越後の小さな漁村を一人の老僧が通りかかった。
 その僧服は、泥と垢にまみれ、かぶった傘は、漆が剥げ落ちていた。村の人々は、その姿を憐れみ、
「御坊よ、もっと報謝したいのだが、これくらいしか差し上げられない。」
と、僅かばかりの食べ物と雨風を凌ぐ蓑を差し出した。老僧は、黙ってそれを押し戴き、
「何のお礼にもなりませぬが・・」
と、一膳の箸を村人の一人に渡した。
 その箸は、朱塗りの上に何層も漆が丁寧に塗られていた。
「御坊、これを何処で手に入れた?」
と聞く村人に、老僧は、
「これは、わが師の形見です。わが師は、既にこの世の人ではありません。その師が、仏界へお発ちの折、わたしに下されたものです。その箸には、色即是空・空即是色と記されております。」
と、静かに応えた。
「何じゃね、それは?」
「はい、色は空に他ならず・空は色に他ならずと申しまして、平たく云えば、あの世もこの世も同じですとの教えに御座います。」
「そうかい。よう分らんが、まあ有難い教えなのじゃな。」
「はい、左様で・・ では、お世話になりました。」
と、老僧は、頭を下げた。村人達は、
「御坊も、用心なさってな・・」
と、頭を下げ、そして、頭を上げると、目の前に居た筈の老僧は忽然と消えていた。
 次の日から、その漁村は、七日の間大漁が続いた。その話を伝え聞いた隣村の漁師が、
「きっと、あの箸のお陰じゃ。」
と考え、隙を見て漁村から箸を持ち帰った。
その日から、隣村は、七日の間大漁が続いた。だが、箸を持ち帰った漁師の姿を八日目の朝から見た者は、誰一人居なかった。

 その話を思い出した信篤は、身体の底から来る震えを覚えた。だが、何故幼い頃に聞いた話が浮かんできたのか。そして、もうひとつ、震えの所以が分からない。
 人という生き物は、実に厄介である。順風満帆の時は、多少の問題など勢いで押し切る。しかし、一旦、失速し始めると、針の孔にも満たないことが妙に気になる。そして、どんどん負のスパイラルに巻き込まれる。それを人為だと言えば、そうかも知れない。人は、良きにつけ悪しきにつけ、自らを気付かぬうちに想定の場に連れて行くからである。
 
僅か一日で、しかも戦わずして手に入れた領土の民と兵が消え、そのすぐ後に、城と城下町があっという間に焼失し、総勢六千五百の兵は、その半数を失ってしまった。
この事実を聞き、軍を進めるばかりになっていた玄信は、些かの驚きを隠せなかった。彼は、覇権を求めて京を目差している最中なのだ。これまで順風満帆な進軍を続けていたし、山国の小さな領国など歯牙にもかけないでいた。だが、結果は、惨憺たるもので、名も知らぬに等しい軍団に好いように操られ、畠山に向坂主水ありと諸国に広く知れ渡った猛将も首を取られたという。
戦の勝ち負けは、時の運も手伝って誰でも経験することであり、然程の気にもならない。が、玄信にとって、この小さな敗北が、覇権を争っている勇将、知将に知れた時、玄信恐れるに足りずとの思いを抱かれることこそ問題である。
軍監の信篤を見れば何か言いたげな様子だが、玄信は、彼の軍の志気を大切にしたかった。
一軍の将として最も重要なのは、逡巡を部下に悟られないということだ。それに、逡巡は、判断に迷いを生じさせる。刻々と変わる戦況に応じて軍を動かす時、例え敗走する結果になったとしても、それが勝利を確信しての指揮であったなら必ず再興出来るのは歴史上の事例をみても明らかだ。
玄信は、予定通り進軍を決めた。但し、露払いである先行軍の数を二倍に増やし、万が一のゲリラ的襲撃に備える策をとった。気骨のある敵の残党によるゲリラ攻撃は、思いの外に大きな被害を味方に与え得る。それに、被害も然ることながら、昼夜に渡る緊張から来る精神的な疲労度も大きい。
玄信軍は、先行軍が安全を確認してから一定の距離を進み、暫く待つ。そして、また進むというまるで物見遊山のようになった。
玄信が進軍を始めて二日目、農民達が米を差し出した。
「新しい領主様に・・」
と、恐れ入っていう農民を前に、玄信は些か気を良くした。そして、
「この地は、肥沃であると聞く。逃げ出した民に伝えよ、新しい領主の下で精出して働けば城下の再興を許す。」
と告げた。農民達は、更に頭を低くして謝意を述べ静かに立ち去った。
 その翌日、玄信軍が不可解な行動を取った。旗印を掲げ隊列を整えた軍が、昨日まで来た道を引き返し始めたのだ。その隊列は、何時もと変わらず整然としていたが、何故か昨日までの覇気は感じられない静かなものであった。
 玄信の京への進軍中止は、近隣の豪族達を驚かせた。一体、何があったのかと皆が先を争って情報を手に入れようとするが、玄信が国に引き返してからの警護はそれまでにも増して厳しくなり確かな理由は掴めなかった。
 だが、情報は必ず洩れる。最初は、あれこれ思いつくままに想像を膨らませる。次に、その想像が八卦見の如く当たっているのか否かと、下っ端の足軽や賄働きに問いかける。そうして何人もが多くの家来衆に何度も聞くうちに、事実の欠片が幾つか得られる。たとえば、
「最近、殿様の食べ物の好みが変わった。」
とか、
「やや寡黙になられたようだ。」
など、中堅の家来が感じた僅かな変化を下へ下へと伝わる噂で繋ぎ合わせて行く。そうして、情報収集の専門家は、当たらずと雖も遠からずの推測を幾つか打ち立てる。そして、その推測を実しやかに巷で触れ回り、重臣達の反応を探る。
 だが、探られる側も手を拱いているだけではない。漏れてはならない重大な事情が本当にある場合、
「今日は、戦勝の酒宴が催された。」
とか、
「戦功のお褒めにあずかり、殿より五百石の加増を賜った。」
という話を巻き散らす。
 そういった謀報戦の最中に、一人の僧が玄信の城下に入ろうとしていた。僧は、荷車を曳く若衆を連れている。そして、城下町の関を通る際、
「京都浄福寺の大僧正、覚然様から畠山玄信様へ戦勝を寿ぐ進物をお届けに参りました。」
と、口上を述べ城への道を進んだ。
作品名:創世の轍 作家名:荏田みつぎ