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荏田みつぎ
荏田みつぎ
novelistID. 48090
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創世の轍

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 豊前の指示を受けた家臣の一部は、城から城下へ走った。そして、
「一両日中に、畠山玄信が大軍を率いてやって来るぞ。そうなれば、家は焼かれ、民は命を奪われる。何故なら、領主の豊前様が、何を血迷うたか『我らが勝っても玄信の領土を奪わない。』との大言を使者に伝えさせたからじゃ。」
と、触れ回り、その噂は、忽ち国中に広まった。
 日頃から、畠山軍の峻烈な戦いぶりを噂に聞いていた民衆は震え上がり、我を先にと家財を纏めて山中に逃げ、城下は空っぽになってしまった。
 降伏を勧める使者が、豊前の元へ来てから四日目の夕方、畠山軍の先方を任された向坂主水は、豊前の城下町を見下ろせる丘に三千の兵と共に陣を張った。
 向坂は、城下町の外れから続く田畑の先に在る大嶽山の山腹で赤々と焚く松明に浮かぶ城に目を遣りながら、差し向けていた物見の報告を聞く。
「城下は、既に蛻の殻。それに、攻撃に備える兵の動きも目立って少のう御座います。城に籠もっておる兵の人数は、五、六百も居れば関の山。」
と物見がいうと、
「何? 豊前は、一か八かで籠城を選ぶ思うたが・・」
と、暫し考える。
 兵力が圧倒的に劣り、それでも戦うことを選んだ場合、持てる兵の全てで籠城して長期戦に持ち込む。そして、折を見て仲介を頼み和平への交渉しながら生き残る道を探るのが常である。
 しかし、千五百という兵力の三分の一しか城に居ないと聞いて、向坂は、豊前が一千の兵を城外の何処かに配し何か奇策を図っているのではないかと思ったのである。
彼は、夜陰に隠れてもう一度探りを入れるべく物見を走らせた。
 物見は、明け方近くに戻り、
「伏兵の影はありません。逃げ遅れた農民の話では、顔見知りの豊前の家来達が、商人や職人の出で立ちで一般の民に紛れ込み、先を争って城下を離れる姿を見たとのことです。」
と報告した。
 この報告で、向坂の腹は決まった。彼は、
「戦を目前にして逃亡を図る者が現れるとは、豊前という男、存外に家臣の信頼を得ておらぬようじゃ。」
と、夜明けを期して城を攻撃すると振れを出した。
城攻めには、籠城する兵の数倍で当たるのが常識である。従って畠山軍とすれば、間もなく到着する第二陣を待ち、籠城する兵の退路を塞いだ上で攻撃を始めるのが常である。
 だが、二度に渡る物見の報告で、向坂主水は、第二陣の到着を待たずとも、既に擁する三千の兵力があれば充分に戦えるし勝算もあると判断した。
 夜が明けた。
 城下は静かで、聞こえるのは、隊列を崩さず城を目指して進む向坂勢の足音のみであった。
 向坂勢は、苦も無く豊前の籠る城を包囲した。そして、最後の投降を呼びかける。
 が、城内からは何の音も沙汰もない・・
 遠く向坂勢の背後から、微かに騎馬の蠢く音が聞こえてきた。向坂が振り向くと、明け方まで陣を敷いていた背後の丘に第二陣を率いる伊藤外記の旗印が到着を知らせる。
 これを潮時と見た向坂が、総攻撃の命を出す。
 その命が下るや、既に味方の勝利を確信している向坂勢は、怒涛の如く攻撃を開始する。常に畠山軍の先陣を任されている向坂自慢の兵団である。彼らは、あっという間に四方の門を破り、城内へと傾れ込んだ。そして、四半刻もしないうちに、城内は静まった。
 あまりにも早い決着に拍子抜けした向坂の元へ先発隊からの伝令が、
「城内には、猫の子一匹居りませぬ。」
と、報告した。
「何と!」
そのようなことが有ろうかと、向坂は城内に入り、
「今朝方まで居た五、六百の人間が、一人残らず消えるなど有り得ぬ。隠し部屋や抜け道が、必ず在る筈じゃ。探せ!」
と、自らも先頭に立って探した。しかし、その結果は、人ひとりがやっと通れる抜け道を一本見付けただけであった。
 その夜、向坂は、第二陣の伊藤外記と話し合いの上、向坂勢三千は城中に、そして、三千五百を擁する伊藤勢は、城下町で空き家となった民家と城下に入る手前の河原とに分かれて野営することに決めた。
 畠山玄信は、豊前が一度も刃を交えぬまま逃走したと聞き、大いに気分を良くした。そして、彼は、新しく自分のものとなった領地に伊藤外記を残し、柵木川沿いの山道を抜けて京を目差すことにした。
 伝令は、向坂、伊藤両将に、
「本隊の到着は、二日後。それまでこの地で待機せよとの仰せで御座いました。」
と、伝えた。
 両将の軍勢は、その指令を受けた後に鎧を解いた。そして、今日一日は足腰が伸ばせると、あちこちで見付けた食料と酒で酒宴を始めた。戦の為に駆り出された雑兵にとって、思いのままに飲み食い出来る束の間である。酒宴は、大きく小さく人の輪を作り夕刻まで続いた。
 そして、充分に飲み食いした軍勢は、警護の者を残して眠りに就いた。
その頃、城の背後に在る大嶽山を音もなく駆け下りる十人余りの集団が居た。その集団は、夜陰に隠れて城の石垣を上り、壁を飛び越えて城中に入った。
 暫くすると、城のあちらこちらで火の手が上がり、それは、たちまちのうちに大きなひとつの炎となった。
「火事じゃ!」
と、皆が騒ぎ始めた時は既に遅く、城内の建物の殆どは焼けるに任せる外はなかった。
 炎に包まれた城は、城下からもはっきりと見える。城を捨てたと思わせて、その油断を突いた景尾豊前の反撃かと備える畠山勢。
 間もなく、城下でもいくつか火の手が上がり始め、軒を連ねた家々に燃え移り、畠山勢は混乱に陥った。
「殿! 景尾豊前の反撃に御座います。城は、既に炎に包まれ・・」
と、知らせを受けた伊藤外記は、すぐに総大将の玄信へ伝令を向かわせた。伝令は、忽ち馬で駆ける。
 それを見定めて、伊藤外記が、
「武具を・・」
と、近習に言いかけた途端、ヒュッと何かが風を切るような音がした後、彼の首が床に転げ落ちた。そして、それに続いて周りの近習も次々に倒れた。
 記の命を受けた伝令は、城下の街並みを駆け抜けて柵木川沿いの街道をひた走る。
その行く手に身の丈六尺を優に超えた大男が立ちはだかっている。
「道を開けよ。」
と、駆けながら叫ぶ伝令に、大男は、無言で大長刀を振るった。長刀は、伝令を馬もろとも真っ二つに切り捨てた。
 一方、向坂勢は、燃え盛る城を捨て伊藤勢と合流すべく川土手への道を辿る。
 その軍勢目がけて道の両側から突然火矢の雨が降る。急を突かれた向坂勢は、混乱して逃走を図るが、道を外れれば火矢の的になるだけで隊列は自然に延びてしまう。加えて間もなく城下も火に包まれたとみるや、混乱は益々大きくなり向坂勢は右往左往するばかりの集団と化した。
 逃げ惑い手薄になった向坂勢に、二、三十人を一つの集団とした数組の豊前の手勢が音も立てず襲い掛かる。そして、その集団は、向坂勢にある程度の損害を与えるといつの間にか消え去る。集団が、消えると再び火矢が飛んで来るという地の利を生かした攻撃の繰り返しに、向坂勢は、完全に戦意を喪失して逃げ散った。
 城下町で宿をとっていた伊藤勢の損害は、向坂勢の比ではなかった。そして、戦いの序盤で指揮官を失った兵は、軍を立て直すどころか自分の命を守ることに汲々とする有り様であった。
 
 畠山玄信は、城と城下町が焼失したことを軍監からの報告で知った。それは、京へ向けて進軍する為の陣払いを終えた直後であった。
作品名:創世の轍 作家名:荏田みつぎ