創世の轍
と、まるで他人事のように飄々と応えた。
人を見れば、まず疑ってかかり、あらゆる手管で人を魅せ、そして魅せられたように振る舞う。虎視眈々と人の心を奪うことに汲々とし、それが叶わないと見れば命を奪う。
そのようなことが当然のように繰り返されている時代に、人里離れた菖蒲ヶ淵で
ひっそりと住む忽然は、世間の人々とはかなり異なった人物ではなかろうか。彼が、何処かから送られた間者の類であれば、この数年の間じっとしていることなど有り得ない。
そう考えて佐太郎は、忽然が、一体どのような半生を送り、何を目的に生きているのであろうかと無性に知りたくなった。それが知りたくて、以来忽然の元を頻繁に尋ね始め、既に七年目を迎えようとしている。
佐太郎の主である景尾豊前は、今、供廻りも連れずに忽然の庵へと向かっている。
城を出る時、それが豊前の単独行であると知るや、用人の遠藤左之助は大慌てで警護の者に後を追わせるよう指示した後、自らは主人の後を追った。
豊前が城下へ行くものとばかり思っていた左之助は、その目的とする地が菖蒲ヶ淵であると知り、苦々しい表情を見せた。それを見た豊前は、少々可笑しかった。
(左之助め、慌てておるわ。供廻りの者どもも、今頃、城下でわしを探し回っておるであろう。)
と、特に彼が可愛がっている近習の長崎小吉の焦った様子など想像して、思わず唇を綻ばせた。そして、
「左之助、そのように顔を歪めるでない。男前が台無しじゃぞ。」
と、揶揄う。左之助は、
「どうせ拙者は、痘痕面でござりまする。」
と、不愛想に言い放ち、
「しかし、殿。殿は何故に菖蒲ヶ淵へ赴かれまするか。」
と、問う。豊前は、応えない。応えず先を急ぐ。
やがて二人は、ソジンさまの前に着いた。そこで二人は異口同音に、
「ありがとうございます・・」
と、深々と礼をする。
ソジンさまに感謝した後、
「見えたか、左之助?」
と、豊前がいう。
「一体、何が、で御座りますか。」
「ソジンさまのことよ。今日もご機嫌麗しく笑うていらしたぞ。」
「フン、そのようなことが御座いますものか。古くより、代々の御領主様もソジンさまのお姿を目にした方など居られませぬ。」
「そうか。それならば、この豊前がソジンさまを見た最初の者となる。これは、目出たい。左之助、これよりわしが、ソジンさまの姿形を云うて聞かせるから、お前は、それを絵にして領土内に配れ。」
「生憎、絵は不調法に御座りまする。」
「不調法な方が、尚よい。そもそも神仏(かみほとけ)のように有難い方の姿絵は、概ね人に似ているような気はするが、肝心の御尊顔が朧気ではっきりとしない。杖のような気がするが、それにしては些か長過ぎるか・・兎に角まあ、左手で棒状の何かを握り、地を突いておるのは解るからそれで良しとする。が、さて右手はどうなっておるのか・・胸元で印を結んでおるのか、それとも・・う~ん、この絵では判断出来かねる、という具合に多少解り難いものが益々有難いものとなる。」
「ご注文が多過ぎて、返って難しゅう御座りまするわ!」
「左之助の場合は、わしの伝えるまま素直に書けばそれでよい。」
「そこまで仰せならば、・・・ん? 殿、如何なされましたか。絵筆を構えてお待ち致しておりますのに。」
「忘れた・・ ソジンさまのお姿の記憶が消し飛んでおるわ。描くのは、またの機会とする。そうと決まれば、先を急ごう。忽然の庵は、すぐ其処じゃ。」
と、豊前は、歩き始める。
(武士に似合わぬ先程の惚けた遣り取りは、一体何じゃったのか・・)
と、不満気な顔でに左之助も後に続く。
二人が忽然の庵に着くと、表の小さな縁側に湯気の立つ白湯が置かれている。
そして、その白湯の向こうに、居住まいを正した忽然が静かに座っている。
「わざわざのお越し、痛み入ります。御領主様におかれましては、御健勝の旨祝着に存じます。まずは、これにてお体をお安め下さい。」
という。
「うむ・・」
と、豊前は、縁に腰を下ろし白湯の注がれた椀を手にして一口飲む。そして、
「忽然、この椀の中に何を入れた?」
と、問う。
それぞれが、勢力を広げようと豪族の命を虎視眈々と狙い合う時代である。
豊前の言葉に、庭に片膝ついて控えていた用人左之助は、
(さては、この坊主め、我が殿に毒を盛りおったか!)
と、さっと立ち上がり、両脚を広げて僅かに腰を落とし、忽然を睨み付けながら脇差しに手を遣った。その左之助をまったく気にせず、
「塩か?」
と、豊前は、忽然を見る。忽然は、さようでございますという代わりに、黙って頷いた。
「そうか・・、美味い。・・これ、左之助、今後、城で出す白湯にも塩を僅かに入れよ。」
と言い、続けて、
「しかし、塩のみではなかろう。何ぞ隠し味がある筈じゃ。」
と、忽然に話しかける。忽然は、頭を下げながら、
「さすがは、景尾豊前様・・お見立ての通りに御座います。が、その隠し味は、私が好んで入れたものでは御座いません。」
「と、申すと・・?」
と、興味を示す豊前。それを見て忽然は、
「この塩は、私が仙谷山に在る石から採ったものに御座います。」
と、応える。豊前は、驚いた様子で、
「何? 石から採れた塩というのか。」
と、やや身を乗り出して問う。忽然は、
「はい、左様で・・、少々長うなりますが、修行の為に仙谷山に登りました折に、山の南側を歩きますと微かに塩の匂いが致しました。試しに、その辺りの石を持ち帰り、細かく砕き水を加えて火にかけますと塩の匂いは更に強くなりました。そして、鍋の湯を口にしますと当に塩を白湯に混ぜた時の味。先程、豊前様が仰せられました隠し味は、おそらく熱をかけるうちに石から染み出た何かであろうと想われます。が、私は、既に三年余りもこの白湯を飲んでおります故、体に害を為すものではないと存じます。」
と、もの静かだが、はっきりとした口調で豊前に伝えた。
豊前は、忽然の話を聞きながら一口、二口と続けて白湯を飲んだ。そして、忽然の話を聞き終えると、話の内容には触れず、
「そういえば、佐太郎は、今日は来ておらぬのか。」
と、話題を変える。
忽然は、佐太郎が城下に向かったことを告げた。
「そうか、・・」
と、豊前は黙る。そして、
「忽然、馳走になった。」
と、立ち上がり庵を後にした。
その数日後、用人遠藤左之助の長子、佐太郎は領主の呼び出しで登城した。
佐太郎から形通りの挨拶を受けた豊前は、近習達を部屋から遠ざけた。そして、
「佐太、お前、今年でいくつになるのか。」
と問う。
「お陰をもちまして、二十一歳となりました。」
と応える佐太郎に、豊前は、手招きをしながら、
「近う寄れ。」
と言う。そして、単刀直入に、
「菖蒲ヶ淵の住人を如何に見ておるか。既に七年も通うておれば、些かの存念もあろう。」
と、佐太郎をまっすぐに見ながら聞いた。佐太郎は、
「何やら子細があって、あそこに住み始めたとは察しておりますが、この七年の間、御坊が菖蒲ヶ淵に住み始める以前の模様を話したことは一切ありませぬ。」
と応えた。豊前は、
「そうか・・」
と、やや間を置いた後、
「忽然を秘密裏に召し抱えようと思う。」
と言った。
「はっ?」
と、問い返す佐太郎に、