特別なお茶の時間
「構わないわ。昔のことに謝らないで頂戴。それにあたし、佐東さんとシャンデリアを磨くの大好きだったし。」
「それが誤解の元、なんですね、やはり。」
「そうね。」
シャンデリアを磨くのは、決まって大掃除のときである。
煌びやかなそれは、暖かいからか、意外にも煙草の脂や埃がつきやすい。
そして、下働きに掃除させて、万一傷をつけたり壊したりすると責任がとれない。
そのため、大掃除では必ず私がその巨大な照明を磨いたものだ。
ちなみに、同じ頃には旦那様が六畳ほどもある仏壇を磨いている。
ご先祖への礼儀ということで、仏壇の手入れは当主の仕事なのだ。
そうしてお嬢様は、この大掃除のとき、決まって暇を持て余していた。
他家ではどうか知らないが、12月の第2週に大掃除は行われる。
その時期は行事もなく、かといって外に遊びに行けるほど暖かくもなく。
小学校に上がる前には、お嬢様はシャンデリア磨きの場所に顔を出されていた。
始めは、埃がつかないようにと周囲に被せられた布を身体に巻きつけて遊んで。
長じると、私の手伝いをするようになった。
私が提示した、お手伝いのご褒美が、とてもお気に召されたからだった。
「今年、手伝いに行っちゃ駄目かしら?」
小首を傾げ、あどけなさを装う姿は要注意であると、若奥様の関係者には周知の事実で。
多分に漏れず、私も警戒して何が狙いかを考える。
ふと、思い当たった。
「坊ちゃまには、ご褒美は拷問に代わるかと思いますので、必ずお止めしますから。」
淡々と告げれば、バツ悪げに若奥様は紅茶に口をつけた。
「・・・本当、あしらいが上手って褒め言葉じゃないのね。にくたらしい。写真撮ったらカワイイだろうになー。」
シャンデリア掃除のご褒美は、ごっこ遊びだった。
当家のシャンデリアは、一部のパーツが取れるようになっている。
キラキラと光を弾いて揺れるドロップ型のクリスタルや、明かり同士の間に垂れるチェーンのように連なった丸いクリスタル。
それらの部分を分解しては、お嬢様に磨いていただいたのである。
そうして磨き終わったそれらを、お嬢様はちょうど洗い終わったばかりのレースのカーテンに、たくさんたくさん引っ掛けて頭から被る。
すると、煌びやかで可愛らしい、小さなお嫁様、もしくはお姫様が出来上がったのだ。
それは本当に見るものを幸福にするような愛らしさで、実は私だけの宝物の姿だった。
十代の半ばまで、毎年毎年寿命が延びるような、そんな幸せを私は見ていた。
「確かにお可愛らしいでしょうけれど。多分、坊ちゃまの誤解を招くでしょう。」
「・・・誤解?」
「・・・お亡くなりの産みのお母様の代理にされてはいらっしゃいませんか、と。」
「あ、そっか、この遊び、彼女としたこと無いわ。」
「あってもなくても、本来は女友達とすることですから。誤解は必至かと。」
「うーん、そうねー。考えたことも無かった・・・つもりで無意識じゃないと言い切れないし。」
冷静な判断を懸命にされている。
無意識の行動かどうかまでを問うのは本当に必死だからだ。
若奥様のご夫婦は、内密ではあるが子供を持たない予定である。
それだけに、ご夫妻の親友夫妻に不幸があったとき無理をしてでも遺児を養子とした。
未だ若いのに、家庭や事業も落ち着かないのに、養子なら縁戚からでも、そんな声も遺児の祖父の声も無視した。
あれは大層な無茶だった。養子に出来たのはどんな奇跡だったのかと、今でも思う。
圧倒的な経験の薄さ、関係性の細さに、ご夫妻は常に最善を尽くす親であろうとする。
結局、家庭を持たなかった私にさえ、我武者羅すぎると時に思わせる。
「うん、妄想で止めておく。」
かちゃり、と微かに音を立ててソーサーごと置かれたカップは空だったのでお茶をお注ぎする。
暗黙の合図である。
「本当に、出来すぎなんだから困っちゃうわ?」
「お困りですか?」
「うん。ほら今さ、厨房で修行させてるのがいるじゃない?」
それは若奥様が修行をさせたいのだと言って、実家であるこの屋敷の厨房に入れた青年だった。
歳は36歳。にも拘らず定職に就いたことが無い。
少し特殊な自営業をしていたが、事業が破綻し続けられなくなった。
この歳で雇ってくれるところも無いので、とりあえずの斡旋だと。
誰もが胡乱な気持ちになる経歴であったが、意外なことに彼は才能があった。
「ええ、素敵な料理を作ってくれるので賄いは勿論、旦那様もお喜びです。ご存知ですか?彼、香の物とデザートの用意は必ず任されるようになりましたし、洋酒なら付け合せは彼のものをとご所望になられることも多くて。若奥様の目利きに、お客様まで一目置かれていらっしゃいます。」
そう、お客様まで一目置くとは、旦那様がそれは本当に珍しく自慢をされるからだ。
お稽古や勉強でどんな成績を収めても、学校をどれだけサボタージュされても気に留めなかった旦那様がだ。
「・・・えーと、有難う?でも問題がね?」
「ああ、お困りとのことでしたね?」
「・・・うん、あれ、すっかり自信喪失しててね?」
「どうしてですか!!」
思わず意気込んでしまい、誤魔化すために咳払いをしてしまう。
「・・・なんか食で世界征服できるんじゃないかと思うような効果ね・・・」
「いえ、当家の料理長は和食が中心でしたから、彼の洋食ベースの料理は本当に新鮮で。」
「・・・後藤ちゃん拗ねるわよ?今でも自分で塩を磨く生粋の職人なのに。」
「後藤ちゃんと呼ばれるほうが拗ねるかと・・・。」
「まあ、不承不承、実力は認めてるみたいだけどね。洋食なのに残心があるし、味も立ってないのが多いから普通に食べられるでしょ。あの味にはあたしも惚れ込んだもの。」
「何年もお嬢様に振られ続けたとのことでしたが。」
「小学校時代から見慣れた大人は恋愛対象にできません。」
「古いお付き合いですねえ。」
「そう、そんな古い付き合いなのに、あんな風に自信喪失した姿は初めてでね?」
「はて、おかしいですね。彼の才能はもう認められてますのに。」
若奥様は本当に困った様子で苦笑し、溜息を吐く。
「料理が得意だから初めは厨房に入れたけれどね?最終目標は貴方なの。」
「・・・これは、驚きました。」
「料理長の次に話をする機会が多いのは料理人の仕事の他の狙いもあったのよ?」
確かに彼とは話をする機会が多かった。
来訪されるお客様の好み、お客様の付き人への振る舞う軽食、賄い食で避けるべき食事、アレルギーの有無、今月の経理状況と料理への予算、出入りの商人との遣り取り。
私が行う仕事だけでも、料理人とはこれだけの関係があった。
・・・確かに彼は、私の仕事を見て、よく感嘆の声をあげていた記憶がある。
「自分の仕事だけでも、あれだけの差配ができるのに他の仕事もどれだけ細かな差配をしてるか想像したら熱を出しそうって。」
「痛み入るほどの過大評価です。」
「・・・あたし、そうは思わないけどね・・・。」
「彼は彼で、多彩な能力があるじゃないですか。」
事実、彼の能力は料理だけではない。
こっそりと教えられた彼の前身の一つは、メイクアップアーティストだというだけあって、若い下働きの女性に施した裁縫、化粧は唸るほどだった。