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10:分岐点



 タケオが加わった小屋での生活はさらに加速度を増し、瞬く間に2年の月日が過ぎ去った。タケオは中学一年生だったので、この春で三年に上がったことになる。タケオの成績が、今の中三のどの辺かはわからない。この小屋でずっと生活をしてきて、模試などを受けさせていないから。だが、タケオは教科書は一通り学習し終え、高校受験の問題もある程度の点数が取れるようになっていた。恐らく、この市内の公立高校なら、どこでも受かる程度の学力を持っているだろう。
 これだけの学力を手に入れたのは、自主的に勉強してきたタケオ自身の努力の賜物だ。だが、タケオはこの二年間で、私たちの仕事も十分サポートできるようになっていた。彼がどういう進路を選んでも、まず問題はない。
 私はタケオを呼び寄せ、差し向かいになって座る。タケオも、ただの世間話ではないと認識しているのか緊張した面持ちだ。
「タケオ。おまえ、この四月で三年生になったんだよな?」
気軽に話しかけたつもりだったが、どうしても物々しい空気を纏ってしまう。
「うん。そうだね」
タケオも元気よく答えるが、どこか身構えている。
「来年以降、どうしていきたいかみたいなことは考えているか?」
唐突なオープンクエスチョンに、タケオは考え込む。
「……うーん」
答えが出そうにないタケオを見ながら、自分の考えを話していいかどうか考えこむ。しかししばらくして、タケオが小さく声をあげた。
「できることならここにずっといて、おじさんたちの仕事ができるようになりたい」
……案の定か。私は気持ちを少し暗くさせながら、自分の考えを話すことにする。
「そうか。それはとてもうれしいことだな」
うれしいという言葉は本心だった。十年以上この仕事をしてきた自分が認められたような気すらした。寂しいこの森での仕事を誰かに認められたかった、そんな思いが自分にもあったんだなと今更ながらに感じていた。
「だけどな、タケオ。世の中にはたくさん職業があるんだ」
タケオは明らかにムッとしたようだった。だが、それには構わず続ける。
「ここを出て、高校に行く気はn……」
「ない!」
食い気味にタケオは答える。
「もう街になんか戻りたくない! この森で、おじさんや田中さんと一緒にいたい」
タケオの気持ちは、私にも痛いほどわかった。
「タケオ」
私は、なるべく優しくタケオに呼びかけた。
「実はな。私も昔、あの沼で死のうとしたんだよ」
このことを開示したところで、この話の何が変わるとも思えなかった。でもなぜか今、タケオにこのことを伝えなければならないような気がした。
「え……」
タケオは目を丸くして一瞬動きを止める。
「お前に言えないようなことをして、会社をクビになって、離婚して、娘に会えなくなって」
さすがに痴漢の件を、中学三年生に公にするには憚られた。これまでの信頼関係が崩れそうだからという理由もあったが。
「おじさん……」
「そこを田中さんに救ってもらって、10年後、今度は救う側になった」
「……」
言葉少なになったタケオに、さらに言葉を重ねていく。
「簡単に言えばな、もう手遅れなんだ。街に、社会に、もう戻れない。でもな、お前は戻れる。ちゃんと高校に行ける学力もある。就職して社会に戻ることもできる。もちろん、この森の仕事が良いのなら、ちゃんと高校を出てから戻って来ればいい。おまえはまだ、道を踏み外してしまったわけじゃないんだ。わかるな?」
「でも……」
「もちろん、おまえと別れることになるのは寂しい。人手の面から言っても厳しい。だがな、それでもおまえのことを考えたら、最低でも高校に行っておく方が良いと、私は思う」
押し付けにならないよう、私の意見であることを強調した。その時だった。
「おい、ちょっと大変なことになった」
田中さんが、小屋に勢いよく躍り込んでくる。いつも沈着冷静な彼が、今は珍しいほど取り乱している。
「この一帯にダムが作られることになった。富豪はこの地を売り渡すことに決めたようだ。しばらくしたら、この辺一帯はダムの底に沈むことになる」
田中さんはそれだけ言うと、少し落ち着きを取り戻して私たちの横に座る。
「どうした。ケンカでもしてるのか?」
あまり反応がないことに違和感を覚えたのか、田中さんが私に問いかける。私は田中さんの問いを無視して、タケオに言い聞かせる。
「タケオ。やっぱりおまえは町に戻れ。住まいは俺のアパートがある。高校に行ければ、バイトもできるはずだ」
その言葉にタケオは、しばらく不服そうに黙って下を向いていた。田中さんは、私の言葉である程度話の見当がついたのか、私たちのやり取りを黙って聞いていた。
 しばらく、沈黙が場を支配する。やがてタケオが、小さい声でつぶやいた。
「わかったよ、おじさん。俺、ちゃんと高校行くよ」
そして顔を上げ、次はしっかりと私の目を見て言う。
「でも、おじさんや田中さんはどうするの?」
私は、思わず下を向いてしまう。実は、田中さんからさっきの話を聞いたその瞬間、私の心には自分のしようとしていることがほぼ定まっていた。だがそれをこの二人の前で口に出すのは、どうにも憚られた。
 私が俯いたせいで、小屋の中は再び静かになる。しばらく続く沈黙を破ったのは、田中さんだった。
「俺らは、富豪が持つ別の森の仕事に就くと思う。坊主、連絡先よこすから、学校出てもこの仕事に興味があるんならそこに来るといい」
「……おじさん、ほんとに?」
タケオは不安そうに私に訪ねてくる。もしかしたら、私の心中に眠っている「しようとしていること」の内容をわかっているのかもしれない。私は努めて明るく振舞い、田中さんと行動を共にすることをタケオに告げる。タケオは納得いかない顔つきだったが、頷いて立ち上がった。
「じゃ、俺ここを出るよ。おじさんほんとに大丈夫だよね? 死んじゃったりしないよね?」
タケオにそう言われて、私の胸はちくりと痛んだ。だがそれを押し隠して、タケオに否定の返事をする。
「じゃあ、高校出たらまた会おうね」
その瞬間、私はあることを思い出しタケオを呼び止める。そして、ここに来た時に作ってもらった通帳と印鑑を手渡した。
「いくらあるかはわからんが、しばらくの生活費にはなるだろう。全部やるから持っていけ」
「うん。ありがとう。またね」
その言葉を最後に、タケオは出ていった。

「しばらくどころか、高校と大学の7年困らないくらいあるんじゃないか」
タケオの後姿を見送りながら、田中さんは笑う。
「それならそれで構わないですよ」
私はその気なく答えて、再び俯いた。再び、小屋の中はしんと静まり返る。
「坊主、案外鋭かったな。だから言ったろ、子供じゃないって」
沈黙を破った田中さんの言葉に、私はぎくりとした。
「個人的にはよい選択とは思えんが、あんたがそうしたいのなら仕方がないわな」
田中さんはいつもそうだ。こちらが想定している言葉とは違う言葉を、鋭く突き付けてくる。
「田中さん、いろいろありがとうございます」
私は俯いた頭を、さらに深く下げる。
「一つだけ、言わせてもらえれば」
ため息をついて田中さんは言う。
「もう少し、あんたとは仕事をしていたかったな」
最上の誉め言葉だと思った。涙があふれだした。


作品名: 作家名:六色塔