三すくみによる結界
小学校低学年の女の子なので、まだまだ子供、快感と言っても、大人が感じるような身体に対しての快感ではない。自分でもよく分からない何とも言えないものが、まるで電流が走るかのように駆け抜けていくだけのことだった。
この快感に対しては、別に恥ずかしいという意識はなかった。むしろ、人の視線によってそんな気持ちが盛り上がってくることを不思議に感じながら、自分だけのことではないと感じていたのだ。
羞恥という意味からすれば、子供が肉体以外で感じるものを果たして羞恥と言えるのかと感じたが、逆の意味での羞恥とは、まさにこのことではないかとも感じた。もちろん、これは大人になってから知った本当の周知を比べて感じたものなので、子供の頃には分からなかった。
子供の頃の周知は大人になるにつれて消えていくものだとつかさは感じていたのだが、そうでもないようだった。
大人になったからと言って、子供の頃に感じた羞恥がなくなるわけではないが、少し変わったという気になったのは、自分が大人になって、内面が変わってしまったことや、大人として感じることが子供の頃に比べて格段に増えたことが原因ではないか。それだけ大人が感じる羞恥の感覚は大きなものであり、
「ひょっとすると、自分の大人の部分のすべては、羞恥で固められているのではないか?」
とまで感じるほどであった。
そんな羞恥を初めて知った同じ頃、つかさは別の男の子に出会った。それはまるで自分の中のバランスを崩さないようにするかのようにも感じられるようなことだった。
その子は一つ年上の四年生だったが、三つか四つ年上に見えるくらいの人だった。きっと身長が高かったからであろうが、やはり、小学生と言っても、三年生と四年生の間には、目に見えない何かの境界線のようなものがあるのかも知れない。当たり前のことであるが、なかなか追いつけないという気が強く、自分が近づこうとすると、相手が勝手に逃げていくような感覚さえあった。もちろん、無意識のことであって、逃げられているわけではなかった。
それなのに、相手が自分を意識しているのではないかと思った瞬間、今度は自分の方でその人を意識しないわけにはいかなかった。自分が近づこうとすれば逃げていくのに、相手が意識していると思うと、こちらからは歩み寄ってしまうのだった。
恋愛感情などあるわけもないが、もし自分に初恋を意識した時があったとすれば、これが最初だっただろう。初恋というのは意識してするものではなく、後でそうだったのだと感じるものなのであれば、この時がまさにその感覚だったのだろう。
だが、不思議なことに、その人をかなりの年上のように感じていたにも関わらず、自分の中では、
――この人、私に逆らうことができないタイプなんじゃないかしら?
と感じるふしがあった。
それは、小学一年生の男の子に、自分が逆らうことができないという意識を持ったのと同じ感覚なのではないかと思ったからだ。しかし、つかさと違うところは、一年生の男の子につかさ自身が自覚を持っているのに、この年上の男の子は、つかさに対して逆らえないという気持ちを持っていないのではないかと感じたことだった。聞いたわけではないのでハッキリしたことが分かるはずもないが、そう思えて仕方がないのは、つかさの中でそれなりの理屈があるからなのかも知れない。
――私って、まわりは意識していないことを自分で感じてしまうんだわ――
と思うと、小学生の頃には分からなかったが、あとになって感じたこととして、自分が何かいつも重荷を背負ってしまっているということに気付いていたという思いだった。
つかさは、その年上の男の子が、自分を見る目にトロンとしたものを感じた。
それは、大人になってからも、そんな視線をした人と出会ったことがないと言えるほどの、奇怪な表情だった。実際に子供の頃にその目を初めて見た時は、
――こんな目と二度と出会うことはないかも知れない――
と思ったほどだ。
もっとも、こんな表情の人に出会いたいと思うこともなく、出会うことを恐怖に感じるほどだった。
ただ、その視線に気づいたからこそ、年上のその人が、つかさに対して逆らえない感情を持っていることに気付いたとも言えるので、彼なりのつかさに対しての何らかのサインだったのではないかとも思えた。
まだ、異性というものを意識したこともなく、恋なのか、親友なのかの区別もつかない子供のつかさは、中学生の自分から見ても、まるで幼児にしか見えなかったのは、思春期に自分が背伸びしたくなるという意識を持っていたからなのかも知れない。
その男の人が初恋だったのだとすれば、彼が抱いていたと思われる、つかさに逆らえないという感覚は何なのだろうか? その感覚につかさは感銘を受けた。もしその感覚がなければ、その子を意識することもなかっただろう。無意識にまわりを見渡したのであるから、意識したはずもないのに、それなのに、その人の視線で立ち止まってしまった。止まってしまうと今度はそこで金縛りに遭ってしまったかのように、身動きができなくなってしまった。
その男の子を見ていると、何もできない自分がイライラしてきた。いつかは声をかけなければいけないという思いをどんどん深めていって、その気持ちが爆発寸前になれば、声を掛ければいいと思うようになった。
――焦ることはないんだわ――
と思い、次第に気持ちの高まりを感じていたが、いよいよと感じた頃のことであった。
その男の子は、スルリとつかさの前を通り過ぎるようになっていた。確かにつかさの方を見て、今までと同じ視線を浴びせてくるのだが、つかさの方でそれを感じることができなくなった。
――どうしたんだろう?
と思っていると、その理由が少ししてから分かった。
――どうやら、あの人の視線を私の身体が通り抜けているようだわ――
と感じた。
視線がつよくなったせいなのか、それともつかさの身体が、その視線を浴びすぎて、すり抜けるようになってしまったのか、どちらかは分からないが、つかさにはそう思えて仕方がなかった。そう思ってしまったことで、またしても、これが初恋だったのか、結局分からずじまいになってしまったのだ。
だが、この関係というのは、実際に何かがあったという事実を元に感じたことではなかったので、そのうちに、気のせいだと思うことで、しばらくやり過ごした。
しかし、それも仕方のないこと、何しろ子供の頃の感覚として、錯覚に近いものだと感じるようにしていた。
しかし、中学になると、その思いを裏付けるかのような関係が築かれていたことに自分でもビックリした。
相手こそ違ったが、自分が、
「この人には逆らえない」
と感じた人は、年下だった。だが、逆に、
「この人であれば、自分に従わせることができる」
と感じたのは、年上だった。
しかも、この二人の間にも明らかな主従関係が見られ、こちらは年上が年下を支配していた。
その関係がハッキリと分かったのは、中学の修学旅行からだった。初めての家族以外の外泊で、しかも、クラスメイトという血縁以外の人との共同生活。変な遠慮と違和感で、不思議な気持ちになっていた。