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短編集98(過去作品)

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 と考えていたのは、きっとれいこのことが頭にあったからだ。
 若かったという理由もあるだろうが、事あるごとに衝突し、その度に喧嘩になっていたのでは、精神的に辛いだけだ。結婚生活で喧嘩というのは法度だと考えるようになったのも仕方がなかった。
 お互いに気を遣った生活をしていた。それがさりげない気の遣い方だと思っていた。敦子は物静かで何も言わず、ただ夫である新谷についてくる。
 しかし会話が減ってきたことに夫である新谷は気付いていなかった。
――何かある時は、彼女から言ってくるだろう。会話がなくともお互いに気心知れているから問題ない――
 と思っていた。
 人との会話で、
「それ危ないですよ。会話がないと何を考えているか分かりませんからね」
「いや、俺は女房を信じきっているからね。それは女房も分かってくれているはずだ」
「そんなことありませんよ。会話がないと次第に不安になるものです。いくら分かり合えていると思っている相手でも、不安になりますよ。特に結婚していて相手が決まっていると、不安は募るばかり、会話をしないとそれこそ相手を追い詰めることになるんじゃないですか」
 会社の後輩ではあるが、同僚や後輩からの相談にいつも乗ってあげているやつからの忠告だった。いろいろな人の話を聞いたり、自分でもいろいろ経験しているということで、説得力はある。
 半信半疑で敦子に話しかけようとした。それには度胸も必要だった。普段あまり自分から話しかけることがないだけに、何を話していいものか分からないからだ。取ってつけたような話し方をするのが大の苦手な新谷にとって、辛いものであった。
 それは敦子も知っているだろう。話しかけようとして顔を覗き込むと、何とも言えない睨みが返ってきて、ハッとされられた。
――あれが敦子の顔なのか――
 スナックで知り合ってから、今までに見た顔であれほどハッとされられたことは一度もなかった。喧嘩など一度もしたことがなかったが、考えてみれば本音で話し合ったこともなかったように思う。お互いにギリギリのところで接触を避けてきたかのようだった。
 勘のいい敦子のことだから、とっくに分かっていたのかも知れない。
――知らずは夫ばかりなり――
 というわけで、すでに修復不可能なところまで来ていた。
――こうなることは分かっていたように思う――
 何を根拠に思うのか、まったくな平和な結婚生活。ずっと新婚気分で過ごしていけそうな甘い生活は、自分の中の甘い妄想でしかなかった。
 結婚五年目で迎えた破局、気がつけば四十歳になっていた。付き合っていた時期は永くもなく短くもなかったつもりだが、今から思えば短かったように思える。
――そういえば、れいこと別れたのもちょうど節目の歳だったな――
 偶然であろうか。だが、十年という年月は長いようで短いと感じる。
 四十歳になって、初めて人生を逆戻りしているような気分になった。
 離婚して最初は、
――自由になったんだから、これからいっぱい知り合って、人生をやり直すぞ――
 と思ったものだ。自分に悪いところはなく、お互いに合わなかっただけだと思っているから感じるのであって、そう思っている間、なかなか出会いなどあるはずもないことに、全然気付いていなかった。
 まったく知り合わないというわけではない。何人かの女性と知り合ったが、気がつけばすぐに別れていた。付き合ったなどというにはあまりにも希薄な関係だった人もいるくらいで、中には身体だけを求めるような関係になった人もいた。
 その女の名前は、幸恵と言った。
 知り合ったのは、バーでだったが、その頃は別れて自由になり、いろいろな女性と知り合うことができると思っていた時期だった。
 二十歳代ではスナック、三十歳代では居酒屋、四十歳になってからはバー、女性と別れるたびに、飲みに行く場所も変えてきて、しかもそこで女性と知り合うというのも、面白い人生だと思うようになっていた。
 その度に悩んで、気がつけば悩みから解放されている。
 幸恵とは、一夜だけの関係だった。今までに二、三度会ってすぐに別れた女性はいたが、一夜限りの女性というのは初めてだった。
 バーで人と会うこと自体珍しかったのに、その日はなぜか、女性に出会う気がしていた。それが幸恵だったのだ。
 会ったその日に身体を重ねるなど妄想に近いものだったが、まさに最初から最後までが妄想の世界だった。だが、人生を逆行しているとしか感じていなかった新谷にとって、ひょっとすると人生の中で一番刺激的な一日だったのかも知れない。
「あなたとは、今日だけの関係」
 最初からそう言われての関係だったが、今まであれば、そんな関係は嫌だったはずだ。だが、どうしてなのだろう? 幸恵に言われて素直に頷いたのは、彼女の中に妖艶さだけを見出していたからかも知れない。
 ベッドの中の空気は最初、重たかった。しかし、次第に軽くなっていくのは、身体に纏わり着くようなしなやかな動きに魅了されていたからだ。
――これほど女の身体を感じるなんて――
 忘れていた感覚を思い出したように思えた。
 次第にベッドの中が明るくなってくる。目が慣れてきていて、真っ暗な中に白さが目立ってくる。
 身体とともに気持ちが高ぶっていき、最後の絶頂を迎える頃には、どこからか白い閃光を感じたくらいだった。しばらくはその思いが抜けないでいた。
 とても暖かい身体だった。特に指先は熱く、触られただけで、身体が溶けてしまうのではないかと思えるほどだったのが印象的だった。
 北陸での出張で入ったバー、その時にも幸恵と出会った時と同じ思いを感じていた。いや、それだけではなく、今までに同じような感覚を何度か感じたようにも思える。それは最近ではない。かなり前のことだ。
――れいこや敦子に出会った時だったかも知れない――
 すでに過去の人になってしまった二人。本来であれば思い出したくないはずの二人なのに、頭から離れないでいるのは、きっとある瞬間に思い出すことを予感しているからだったに違いない。
――俺の求める女は一体誰なんだ――
 最近頭の中でいろいろ考えているが、突き詰めればみれば、そこに行き着くように思えてならない。
 北陸の雪は冷たく、限りなく白に近い。吹雪いていてもいつか風がなくなり、しんしんと降り続くようになる。
 そこには暖かささえ感じられ、人生を逆行している自分を顧みることができる。
 四十歳を超えて、さらにいろいろなことが頭を巡るようになった新谷の中で、何か共通性を自分の中で感じているようだ。その日の予感もまさにそこから来るものだった。
「こんにちは」
 静かな店内に乾いた女性の声が聞こえた。キーの高い声に聞き覚えがあったが、その瞬間、目の前に白い閃光が現われた。それは走らせていた車のフロントガラスに容赦なく当たっている雪が溶けていて、距離感を掴めないでいた自分を思い起こさせた。
 思わず振り返ると、そこに立っていたのは、幸恵にそっくりな女であった。
「はじめまして、よろしくね」
 新谷のすぐ横に座った女は、はじめましてといいながら目は濡れている。
 思わず指が触れた。その指先は、氷のように冷たかった……。
作品名:短編集98(過去作品) 作家名:森本晃次