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り狐:狐鬼番外編

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若旦那



己の、此の感情は何なのか

金狐自身、分からぬまま
寄り添う二人の後に連れ立ち座敷に迄、来た事に後悔した

だが、引き返す気にもなれず泳ぐ眼線の先、開け開いた格子窓
窓枠に腰掛け、此れから始まるであろう睦言に耳を傾ける

不本意此の上無いが、仕方無い

何処に居ようが
何時に居ようが聞かされる「声」に罪悪感は湧かない

等と毎回、太太しく居直るにも飽き飽きだ

「迚(とて)も綺麗だよ」

若旦那の第一声に窓辺に座す、金狐は鼻を顰める

此の少女が「綺麗」な事は下等な、此の眼でも分かった
唯、「其れ」を口にするのは何とも歯が浮く

自分で発した訳では無いが
如何にも浮く、「歯」を握り拳で押さえ込む

然うして耐え切れず身を乗り出した、窓柵

此方を見上げる
先刻、擦れ違った野良犬の姿が視界に入った

金狐の琥珀色の眼と搗ち合うや否や
野良犬の赤銅(しゃくどう)色の目が、にっと細まる

「、違う」

直ぐ様、誤解されたであろう此の状況を否定するも
野良犬は冷やかし一杯の笑みを浮かべ(た様に金狐には見えた)
頭(こうべ)振りつつ、小路へと消えた

「、待て」
「、本当、違う」

其れでも野良犬を姿を追い掛ける、金狐は悪態を吐く

「抑、何なんだ御前」

何だって己の前に現れるんだ
何だって己は野良犬相手に申し開きしているんだ

我ながら如何でも良い事柄に向腹(むかっぱら)を立てては呆れる
金狐を余所に若旦那は言葉を続けた

「迚(とて)も諦める気にはなれないよ」

少女の小振りの顎を掴み、引き寄せる
若旦那の唇が触れるか触れないかの境(さかい)で頬を撫でていく

身動(みじろ)ぐ少女の反応に笑みが零れる

大抵の「女郎」ならば、応えるだろう
大抵の「女郎」ならば、此の想いに応えるだろう

何も好き好んで
遊客相手に閨(ねや)を共にする「女郎」に成り果てる訳が無い

なのに
目の前の少女は如何にも斯うにも首を縦に振らない

何故
何故

悶悶と自問する日日だったが
漸く、「答」に辿り着いた若旦那は何時に無く晴れやかだ

「若旦那、随分と御機嫌で」
と、揶揄った御内儀の言葉は確かに正しい

自分の顔を覗き込む、若旦那の視線に少女は瞼を伏せる
笑顔の裏側、其の裏側が怖い

何時かの、女郎仲間の言葉を思い返す

問われた女郎が揉み手をする
両手の平に大袈裟に吐息を吹き掛ける姿が脳裏に浮かぶ

「若旦那、触れた手が物凄く冷たいの」
「彼(あ)れは心中も冷たいわ」

事実、顎に置く若旦那の指に触れれば震える程、冷たい

如何にか笑みを返すも、如何にも引き攣るのか
其れを誤魔化す為か、少女は酒器を乗せた盆を引き寄せる

「若旦那、一献、」

途端、袖口から伸びる手首を掴み上げる

咄嗟に腕を振り払う少女の態度は
正直、若旦那の癇に障ったが何分、未だ子どもなのだから仕方が無い

此れから時間を掛けて教え込めば良いだけだ

少女の稚(いとけな)い身体が強張る
少女の紫黒色の目が揺れる

貼り付けた笑顔のまま、若旦那が朗朗と訊ねる

「彼(あ)の、「社」が大事か?」

「何物」より
「何者」より

此の、「私」よりも

「彼(あ)の、「社」が大事で大切か?」

若旦那の、其の言葉は何故か少女の耳をすり抜けた
当然、すり抜けた言葉は理解出来ず少女自身、只管(ひたすら)不思議に思う

何程、時を要したのか
然程、時を要していないのか

其れすら分からない

漸く、すり抜けた言葉を理解すると弾かれた様に首を振った

「、如何して?」

誰ぞに聞いた
何処ぞに聞いた等、質した所で無意味だ

問題は此の、若旦那に知られた事だ

如何する
如何する

若旦那の次の一手は?

手練手管を弄する
姉女郎であれば、此の場を凌げたのだろうか

殆、無意味だ

自分は「姉女郎」でも無ければ
自分は「此の場」を凌ぐ事は出来ない

拙い心中を読み取る事等、造作無いのか

少女の紫黒色の目を覗き込む
若旦那が愈愈、腹立たし気に唇の端を吊り上げる

「大事じゃないだろう?」
「大切じゃないだろう?」

「如何でも良い、襤褸「社」等」

瞬間、其の顔を歪め少女が身を捩る
掴まれる腕を振り解こうと抗う様子に若旦那は溜息交じりに舌を鳴らす

「疾うに跡形も無く、燃え尽きているだろうよ」

若旦那が言うが早いか

窓外の彼方、軒を並べる長屋
瓦葺きの屋根から屋根へと跳んで行く、金狐の姿があった

作品名:り狐:狐鬼番外編 作家名:七星瓢虫