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り狐:狐鬼番外編

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女郎



「一人」を好むのには理由がある

「上」も「下」も
金狐にとっては其の「声」が止まない

意識せずとも聞こえる
意識すれば尚の事、聞こえる

鼻同様、「耳」が良過ぎるのも考え物だ

仰ぐ、幾多の層を棚引く秋天
人人が絶え間無く行き帰り、其の中に金狐は立ち尽くす

誰も彼も心做し足早に通り過ぎるのは家路を急いでいるからだろうか

其処に待つ人が居るからだろうか
其処で待つ人が居るからだろうか

誰も彼も金狐の姿等、見えない
其れでも避(よ)けて行き交う、目前には「道」が開(ひら)ける

前触れも無く突如、「道」に足を踏み入れる其奴は空気等、読まない
尚且つ擦れ違い様に吠える野良犬(其奴)に琥珀色の眼を向けた

「頗る、調子は良い」

其の、受け流す態度に不満顔の野良犬は
「まあ、元気出せ」と、言うかの如く一吠え残して小路へと消えて行く

「社」を後にして当然、当ても無く歩き続けた

「上」に戻れば良い
其れだけの事なのに何故、戻らないのだろうか

到頭、其の瞼を閉じる
自分も彼(あ)の少女と同じなのだ、と思う

己も捨てられた
己も「赤子」の時分に捨てられた

迚(とて)も脆弱で
迚(とて)も薄弱で
育てる価値等、無いと見限られた結果だ

幸いにも少女とは違い自分には今も、家族は居る

多力で有力な父親
温かく濃(こま)やかな母親

そして何も知らずに懐き慕う、幼い弟

何時かは気が付く
何時かは気が付くのだろう

自分と、家族は「匂い」が違う

然(そ)うして自分は、他の「匂い」を覚えている
自分を愛でる母親とは違う、他の「匂い」を覚えている

彼(あ)れは、本当の母親の「匂い」なのだ
既に「上」にも「下」にも存在しない「匂い」なのだ

其れでも恋しいのか
其れでも憎しいのか

馬鹿馬鹿しい

少女同然、振り切れない自分は
少女同然、受け入れない自分は親不孝にも程がある

如何にも嘲笑を浮かべる金狐の脇を俥(くるま)が行く
引かれる前髪の隙間、琥珀色の眼を開ける

同様、琥珀色の御河童頭を振り仰ぐ
其の帆目掛け飛び乗るや否や、両手を突いて前屈む

何と言った?

覗き込む其処には男性が一人、座席に腰掛けている
男性は俥夫と会話をしている様にも独言をしている様にも見えない

だが、金狐には聞こえた
横向く、男性の「声」が金狐には聞こえた

然(そ)うして俥(くるま)は金狐を乗せたまま、花街へと向かう
軈(やが)て辿り着く、一軒の妓楼

見れば門迎(かどむかえ)する、中年の男女が慇懃に挨拶した

「若旦那、随分と御機嫌で」

蹴込みに足を掛け、俥夫の手を借りて俥(くるま)を降りる
「若旦那」と、呼ばれた男性は程程長身で程程良い身形だ

清爽な顔には髭を立てていたが程程、年若い

鼻歌交じりの、其の様子に目敏く窺う
楼主の妻、御内儀の言葉に若旦那が清しい笑みを零す

思わず半眼を呉れる金狐が其の唇を歪め妓楼の門を通り抜く

多少、いけ好かないのは否めない
だが、胡散臭い眼を彼(か)の若旦那に向けるには理由がある

意識せずとも聞こえる
意識すれば尚の事、聞こえる筈の声が如何にも斯うにも聞き取り辛い

此れ程、近くに居るのに曖昧(あやふや)も良い所だ

「え、そうかい?」

嘯く、顎髭を撫でる若旦那に御内儀が科を作り続ける

「まあ、素っ惚けて」

加えて此の御内儀の声が煩くて敵わない
何れ程、此の世の蟠(わだかま)りを抱えいるのか、心中は謗(そしり)の嵐だ

然うして未だ門前で御内儀と談話する若旦那を見据えて牙を剥く

「「らんに逢えるのが嬉しい」って、顔に書いてありますよ」

途端、若旦那は切れ長の目を糸目にして微笑む

「其れは、其の通りだ」

だが、其れ以上に心嬉しい事だ
端から然うして置けば良かったものの、余計な気扱いをした

全く、己らしくない

御内儀の背に続いて、妓楼の門を潜る直前
其れは其れは鮮やかに天を燃やす、茜空を若旦那は振り仰ぐ

其処に表情は無い
だが、がらんどうの双眸とは裏腹、「声」が溢れる

土間三和土に構える金狐が若旦那の「声」に眼を眇(すが)めた瞬間
御内儀の叱咤するかの如く「声」が響く

「らん!、御挨拶をおし!」

其の言葉に若旦那が反応するや否や、「声」が途切れた

当然、舌打ちを噛ます金狐は眼光鋭く目の前の御内儀を射抜くが
意外にも自身の肩を抱き神妙な面持ちで震い戦く其の様子に口元を歪める

成る程、多少の「信仰」は持ち合わせているらしい

其れでも「気の所為」と、頭を振る御内儀が再び声を張り上げる

「らん!」

忌忌しく金狐が眼線を投げた、階段の踊り場
美美しい踏絵衣装を身に纏う「女性」が立ち詰めていた

生憎、此の「眼」は下等
代わりに引き換えた此の「鼻」と「耳」は上等

紛う方無い

「白粉」の匂い等、無意味
彼(か)の「女性」は襤褸「社」の世話をする、彼(あ)の少女だ

覚えず、身を乗り出す金狐を余所に少女が辞儀をする

抜け襟から覗いた、稚(いとけな)くも婀娜(あだ)な項を見止めて
背後の若旦那が息を呑む

其れに釣られた様に金狐も息を呑んだ

作品名:り狐:狐鬼番外編 作家名:七星瓢虫