り狐:狐鬼番外編
願い事
「声」が聞こえる
「声」以上に定かで厄介なのは、「記憶」だ
何処に居ようが
何時に居ようが
御構い無く己の「記憶」を押し遣る、「声」の「記憶」
刹那、前髪を引いて行く俥
刹那、「声」の「記憶」が頭の中に駄駄洩れる
「若旦那」と呼ばれて随分、久しい
「徐徐(そろそろ)、連れ合いを」
と、責付かれる事に慣れた、と言えば慣れた
家業繁栄の為
家業継続の宜しい家柄の、「娘」を娶る
勘弁して欲しい
家業を継ぐ事に何等、異議申し立ては無いが
其の「一生」迄、差し出す気は無い
「一生」を付き添う相手なのだろう
「一生」を分ち合う相手なのだろう
ならば、自分で見付ける
ならばと、自分で見付けた意中の、「娘」は何とも靡かない
離れ難き家族が居るのか
別れ難き男子(なんし)が居るのか、勘繰るも露程も無い
何故
何故
延延と自問するも「答」に辿り着く事は出来ず
意中の、「娘」も頑なで「答」を得るのは中中、厳しい
此処は「贈物作戦」と、いこう
「感謝」とは受け取らないが
「当然」と受け取る、「娘」では無い事は知っている
其処に付け込むしか無い
然うして建ち並ぶ露店に足を運べば偶偶、見掛けた
何とも見覚えのある、「女郎」
当然、踏絵衣装で着飾っている訳では無いが
其処等辺の、「町娘」とは明らかに雰囲気が違う
何処と無く、浮世離れ
何処と無く、果敢無い
目を落とす朱色鮮やかな花簪を穴が開く程、眺めては
年若の店主に煙たがられていた
当の、「女郎」は何処吹く風、営業妨害も良い所だ
思い出せば此の、「女郎」
妓楼でも持て余している様子だった
何処迄も甘えた声振りで女郎仲間に絡んでは
香車や御内儀に折檻される姿を幾度と無く、目にした気がする
頭が弱いのかな
だとしたら其れは其れで可哀相だな
「私が、御前さんに贈ろう」
「女郎」が穴が開く程、眺めていた
其の親指の爪を齧って迄、眺めていた花簪を摘まみ上げた
吃驚顔の、「女郎」に差し出した花簪よりも
自分の顔を確認して、幼子の如く燥ぐ様子に私の心も躍る
「良いんだ」
「良いんだよ」
「甘味でも御馳走するから少し、話しをしないか?」
「女郎」は返事の代わりに
私の腕に其の、か細い腕を絡ませた
しかし本当に可笑しな、「女郎」だった
何処迄も上の空で
何処迄も要領を得ない会話に付き合う羽目にはなったが
取り敢えず、得たい「答」は得たので感謝はしている
そして、最後の最後に心の底から笑わせて貰った
露店先で何程、粘ったのかは知らないが
結局、手に入れた花簪を「女郎」は茶店に置き忘れたのだ
甘声で、間怠っこい礼を述べた後
左右に頭を揺らしつつ遠ざかる、背に手を振る最中(さなか)
気付いた女中が届けに来たが、自分は其のまま「女郎」を見送った
「あの、宜しいんですか?」
とでも問いた気な、女中の髪に「御礼」と称して
其の、花簪を挿した件(くだり)は気障(きざ)だっただろうか?
かと言え、引き取るには悪趣味過ぎる
突然の、棚牡丹に困惑するも
喜悦を禁じ得ない表情を浮かべる女中を眺め、思う
彼(あ)の、「女郎」の髪にも挿して遣れば良かったか、と
然すれば忘れる事も無かっただろうに(笑)
間間、有る事だ
手に入れた途端
其の価値が無価値に下がる事は間間、有る事だろう
私は其処迄、明白(あからさま)では無いがね
端銭で雇った
破落戸(ごろつき)等を引き連れ訪れる、村の外れにある襤褸「社」
何程、対峙するも
意中の、「娘」が大事に大切にする意味が分からない
冗談半分、襤褸「社」の格子戸を打ち叩く
此れで鵼的な、「何某」が姿を現わせば此の価値が分かる
少なくとも無人では無い、「社」なのだ、と
抑、自分に信仰等無い
「道程」は、切り拓く「モノ」だ
「道程」は、自らの手で切り拓く「モノ」だ
「神」に縋っていては、自分の価値を見出せない
其れでも「商売繁盛」の、熊手を
毎年、拵(こしら)える自分の行為に笑いが込み上げてくる
「本当に、遣るんで?」
破落戸の一人に声を掛けられ、我に返り振り返る
好い加減、痺れを切らしたのか、と思いきや
其の、凶相には似付かわしくも無い、神妙な顔付きは如何した?
何だ何だ
襤褸「社」の戸を打ち叩いた行為にも
若干、引き気味の御様子だ
「生憎、家主は居ない」
「へ?」
死んだ魚眼に似た、硝子玉の様な目を真ん丸くした
破落戸の一人に笑顔を向ける
「此処に、「神」様は住んじゃ居ないよ」
此れで僅かな背徳心も消し飛んだだろ
抑、真っ当に生きられない御前等に信仰等、無意味だろ
然うして組む、腕を袖手(しゅうしゅ)し、「社」の石階段を下りて行く
依然、狐につままれた顔を浮かべる破落戸の、其の傍らを通り過ぎる際
袖に入れた巾着を取り出し、「現実」を知らしめる
嬉嬉として差し出す、無骨な手の平に落とす様に手渡す
其の重みに、此の世の「贅(ぜい)」を思い出したのか
恭しく受け取る、破落戸が笑う
何とも、下劣な笑みだ
だが
自分も然程、大差無い笑みを浮かべているのだろう、と思う
「醜穢」だろうが
「綺麗」だろうが
「同族」である事は認めざるを得ない
此処で、「声」の「記憶」は途絶える
海波(かいは)の如く、寄せては返す
白昼夢宛(さなが)ら、「声」の「記憶」に否応無しに当てられる
故に、憎憎しくもある
故に、愛愛しくもある
「そうか」
金狐は独り言ちる
御内儀の背に続いて、妓楼の門を潜る直前
其れは其れは鮮やかに天を燃やす、茜空を若旦那は振り仰ぐ
其処に表情は無い
だが、がらんどうの双眸とは裏腹
天の原の彼方、燃え盛る炎を確かに見詰めていた
「御前には見えていたのか」
己の「眼」が真っ当ならば
己の「眼」にも見えていたものの、此ればかりは致し方無い
「鼻」は上等
「耳」は上等
生憎、「眼」は下等以下だ
其れでも、綺麗な「モノ」には心が魅かれる
傍に居たい、と思ってしまった
唯、傍に居たい、と思ってしまった
馬鹿な、「願い事」だ