空と海の道の上より Ⅸ
この辺は石屋さんが多い。五分程でケーブル乗場に。乗場の横の鳥居をくぐって参道へ。何人もお参りの人が下りてくる。店も何軒かあり、連れになったおじいさんに、「毎日お参りですか」と尋ねると、
「いいえ」と言われ、今日は一日なのを思い出す。朝早くから多くの人がお参りをしている。道々、おじいさんとお四国の話。
「お大師様がついとるけん、しんどいことも道を間違うこともない。ケーブルで上る人も多いが、お大師様の行場じゃけん、歩かな勿体無い。」と言われ、歩きながら百円お接待を頂く。上にも大勢のお参りの人。
本堂でお経を上げていると、さっきの人が声を掛けて下さり、反対側の道を下ったほうが近いと教えてくれる。お堂の前で納札箱をかき回している人がいる。時々見かける光景なので、何をしているのか尋ねると金のお札を探しているとのこと。
納経所に行くとお寺の方がタオルをお接待して下さる。荷物を持って大師堂へ。今修理中だが、その中でお参りをし、荷物をリュックに入れていると次までの車のお接待をいって頂く。が、お断りすると、五百円お接待して下さった。
七時四十分、大師堂前発。車で来た人がいっぱい歩いてくる。お店があり、ここから下は車が通りタクシーが何台も待っている。さっきの人にまた会い、
「乗っていかんね」と言って下さるがやはりお断りすると、
「人間皆、人には言えんことがあるきにね」と言って車で先に行かれる。
七時五十分、下の町が見え、屋島の頂も真横に見える。木々の間から時々、下の町や向こうの山がきれいに見える。屋島では景色を眺める間もなかったが、今日は遠く高松の町の方も見える。上から下りてきた四人連れの車の方に、三千円お接待を頂く。
八時五分、この辺から下るのに困るほど急な坂道。じきに緩い下りになったが、急な下りだった為足の膝がおかしくなり、痛くて歩き辛い。
八時半、下井手川橋を渡る。しおや駅の踏切を渡り、十一号線に。すぐに旧道へ。左は海。磯のにおいがする。
九時、平賀源内旧邸と遺品館前。この辺も古い家並みが残っている。通りがだんだん賑やかな商店街になり、九時十分、八十六番志度寺へ。大きなお寺で、本堂の前でさつきの品評会をしていて、ちょっとのんびりする。
十時発。善通寺で会った大須賀さんの家に寄り、先に進むとのメモをポストに。古い作りだが二階建ての立派なお家。十一号線を横切り、喫茶店で休憩。店のお客さんが昔のお遍路さんの楽しい話を聞かせてくれる。
十時半、真っ直ぐの道を長尾寺に向かって歩く。今日は真夏のような暑さ。十一時五分、長尾町へ。前から自転車で来た女の人に千円お接待を頂く。旧道の遍路道沿いに、日切地蔵尊お大師様開基とあり、椅子もあったので日陰で暫く休憩。お参りの人が下りてきて、また五百円お接待を頂く。
平行して走っていた車道を横切り小さな川沿いを歩く。今日お接待を頂いた方の為にお経を唱えるのを忘れていたので、長尾寺までずっと、一人一人思い出しながら心経を唱える。
十二時五分、八十七番長尾寺着。大きな木があり、荷物を降ろして休むと、風が涼しくて気持ちよく汗がひく。本堂でお経を唱えるとなぜか涙。
「あなうれし ゆくもかえるも とどまるも われは大師と二人づれなり」
と書かれた碑。読むとまた涙がこぼれる。
十二時五十分、駅の近くで食事。一時二十五分、大窪寺に向かって山のほうを向いて歩き出す。
二時、田舎で山深くなる。遍路マークを見つける。これを見つけるとほっとする。道々に菖蒲の花がきれいに咲いている。川沿いの道を上っていく。今日は何度も車のお接待を言って下さる。
二時半、中津橋。左に前山ダム。練習中の自転車選手と擦れ違い、「頑張って」と声を掛けられる。「ありがとう」と大きな声で返事。
三時、どちらを行っても良いという遍路マークがあり、左の女体山から大窪寺への道を行きかけるが、途中土地の人に出会い、遍路道は大変な道なので車の道を行ったほうが良いと言われ、谷一つ隔てた道をどんどん上り、四時、元の車道へ。ここまで必死に歩く。
雑貨屋さんがあり缶ジュースを二本飲む。休憩しながら、遍路道も気になるが、私にとっては今日はこの道が良いとのお大師様の言葉と思い、素直に車道を行くことにする。
四時半、信号があり、ここから左に折れて大窪寺五キロとある。長尾町多和、多和小学校前。
四時四十五分、見えるのは山ばかり。山で日陰になった道を歩く。この道は山深いけれど、点々と家もあり、畑仕事をしている人がいたりして何となく安心な道。もっと山の中、人里離れたところと思っていた。
五時三十五分、八十八番大窪寺着。六時までに着くようにと必死の思いで歩いたので、とてもしんどかった。納経を済ませ、ゆっくりお経を唱え、六時四十分、前の宿に入る。
宿に大須賀さんからの伝言があり、すぐに電話。森本さんが高野山の泊まるところを心配してくれ、色々話をして「何かありましたか」と言われたので、お大師様のお姿が見えたことを話す。電話の後、お風呂、食事を済ませ、洗濯をしながら手紙を書こうと思い用意をしていると、思いがけず森本さんが来られる。
どういうふうにしたらお大師様が見えたのかと聞かれ、色々私も話し、森本さんからも伺う。結局、十二時過ぎまで話をして私はそのまま眠ってしまい、朝、慌ててこれを書いています。
森本さんが帰る際に、
「お大師様や仏様には感謝の心が届いているけれど、お世話になった方々に対して大窪寺で感謝していない。」と言われる。その通りで、私はお大師様や仏様にはお礼を申し上げたが、家族やお世話になった方々、道を尋ねたり親切にして頂いた方々に対する感謝の気持ちを、ここで申し上げるのを忘れていたので、朝食の後、出発の前にもう一度お参りして出かけるつもりです。
これから逆打ちする徳島も、その気持ちを忘れないよう順にお参りして行きます。今日はもう食事まで時間がないので、書きたいことはいっぱいあるのですがまたにします。
六月二日 午前五時四十分
大窪寺前八十窪にて
六月二日(金)晴
夕食の時、窓から見える山を見ながら、
「きれいですね。」と言うと、宿の奥さんが、
「あの山の向こうが切幡寺です。」と、遠くの山を指して教えてくれ、食事をしながら眺める。
食事の後、お世話になった多くの方々がいたお蔭で、私も無事満願させて頂き、ここ八十八番まで来させて頂いたことを仏様やお大師様にお礼申し上げ、これから一番まで逆打ちして、高野山まで行かせて頂く間、その方々、いや全ての人たちの幸せの為にの思いで、ただただお礼の気持ちだけのお経を唱えさせて頂こうと思う。
七時、お参りを済ませ宿を出発。朝の下りは爽やかで、鳥の声だけが聞こえる。白鳥町に入る。下ると段々畑があり、山の陰で日が当たらず歩きやすい。人家が少し出てきたところに大きな木があり休憩。
七時五十五分、分れ道を右にとって切幡へ、八丁橋を渡る。十分ほどで徳島県市場町に。ここでもまた香川にお礼をいい、徳島にも頭を下げ、お願いとお礼の心経を二巻ずつ唱える。
車も滅多に通らない、高野山に行く裏道のような、川沿いの道を歩く。
作品名:空と海の道の上より Ⅸ 作家名:こあみ