空と海の道の上より Ⅸ
五月三十一日(水)晴
朝食の後すぐ国分寺にお参りするので、頭陀袋も出して用意しておく。
根香寺で会った二人と、夜も朝も向かい合って食事だったので色々話をする。この方達もよく歩いておられる。高知の人で、今度は逆打ちで善通寺から帰るとのこと。
六時二十分、宿を出てすぐの国分寺に。土地の人も早くからお参りに来ている。
休憩所でお参りに来ていた人が一宮寺への道順を教えてくれるが、もう一人の人が、車の道を行ったほうが分かり易いと言われ、県道三十三号線を歩く。
左に昨日の山、右に道に平行して電車が走る。
八時、右に曲がって十一号線に。暫く歩いているとすぐ右に旧道があり、多分この道ではと、近くの家で尋ねる。道はそれでよくお礼を言うと、奥さんがお接待にとポケットから千円出して下さる。暑いからとジュースも持ってきてくれ、喉が渇いていたので少し歩いて早速頂く。ここで昔の遍路石を見つける。
時々車が通るがのんびりしたまっすぐな道。天気が良く暑い。
九時、円座。この辺はちょっとお店もある。川を渡り田村神社の横から九時四十分、八十三番一宮寺到着。
お参りを済ませ納経所へ行くと、納経所の方も二、三年前に歩いてお参りをされ、高野山までも歩かれたという。色々話して下さりちょっと遅くなる。
十一時、寺の前に遍路マークがあったが、それを行かず納経所で教えられた道へ。仏生山駅前商店街を抜け、また同じような道をどんどん進む。
十一時半、家の陰になったところで休憩。昨日国分寺の前のスーパーで買った小夏を食べる。久し振りの小夏に高知のことを思い出す。
少し歩くと広い道に。細かい地図がないので、どこを歩いているのか全然分からないけれど、教えられた通りに歩く。畑が多い。県道十二号線とある。
十二時半、喫茶店で昼食。食べながら地図を見て、どこを歩いているのか大体確認。
一時十五分、吉田橋を渡ってすぐ左に。ずっと遠く正面に台形の山。多分あれが屋島。両側が麦畑の土手を歩く。この道も一直線。高田駅の踏切、新川を渡る。すぐ前の山の向こうに、緑ではなく青く屋島が見える。遠いのでまだ緑色には見えない。
屋島を眺めながら休憩。リュックを背負っているのでいつも背中はビショビショ。
二時十分、屋島四キロ、八栗八キロの標識。左に大きな池があり、覗いてみると斑点のついた大きな魚がいる。このあたりからだんだん山の色が変わってくる。通りかかった人に、どこから歩いてきたのかと聞かれ、一宮からと答えるとびっくりされる。
三時、お茶を買って水筒に入れ、残り少しを飲む。十一号線を横切って正面に見える屋島に。山の正面右のほうにケーブルが真っ直ぐ上についている。
三時半、池のところで遍路マークと四国の道の示す方向が違っているので、遍路マークへ。途中で分からなくなり、前から来た人に尋ねると真っ直ぐ上にとのことで、少し戻り急な坂を上る。ものすごく急な坂道。
四時七分、不喰梨に。十一号線からの入り口と、さっきの池のところでもたついたので四時二十五分、やっと八十四番屋島寺到着。
蓑山大明神がお祀りされているのを見て、ずっと前に湊の伯母ちゃん達と石鎚山の帰りに一度来たことを思い出し、お参りしてお祓いをあげる。
屋島へは南側から真っ直ぐ上るので、お寺までだと海は全然見えません。
今日はここに泊まろうと思っていたが、お大師様が次まで進むようにいわれる。
駐車場のほうのトイレに行き、すぐ向こうは海だと分かってちょっと休憩したいと思うが、景色を眺める余裕もなく五時五分、すぐに下りる。
五時十五分、再び不喰梨へ。途中、良孝ちゃんのような運動選手が坂を上ってくる。歩いていると、下の町がきれいに見える。
この辺は住宅街で、坂のところに家がたくさん建っている。先ほどの池のところを左へ、八栗寺に向かう。
さっきの遍路マークは八栗寺の方へ行く道。途中またマークを見失ったが、通りがかった人が道を教えてくれ、分かるところまで一緒に行ってくれる。
一宮寺で、行けば必ず泊めて貰えると教えられた八栗の宿の番号を捜し電話するが、月末でいっぱいなので駄目と断られる。下の宿を教えて貰うが、ここもいっぱいで断られるが、どんなところでも良いからと無理にお願いする。でも食事は出来ないとのこと。
五時四十分、ケーブル駅前。少し歩くと正面にすごく変わった形の山。山裾に家がたくさんあり、あれが八栗寺の方と思う。六時五分、八栗寺駅前に。さっきの変わった形の山(五剣山という)を正面に見て、ちょっと上りの道になる。駅前で食べるところを聞いていたので、宿のすぐ手前のうどん屋さんにはいって食事。
六時半、うどんを頼んで待っていると、疲れたのかフラフラめまいがする。食べているうちに、背中が汗でびしょ濡れなので寒くなり、だんだん悲しくなってくる。宿に着くと広い部屋に入れて頂き、お風呂にはいってほっとする。
改めて地図を見ると、屋島まで通ってきた道は分かり易く車も少なかったけれど、高松の町を通ったほうが近かったような気がする。自分の心積もりでは、今日は屋島に泊まってと思っていたし、時間的にも丁度良かったのに泊まれなくて、海も見られなかったのでちょっと残念な心残りな気がする。
夜、喉が渇くので、宿の少し下にある販売機まで缶コーヒーを買いに行く。下の町に灯がついてとてもきれい。右に見える屋島も頂上の右側にあかあかと電気がついて、どちらも夜景が美しい。讃岐はゆっくりお参りしてと思っていたのに、毎日遅くまで歩くことになり、ちょっと疲れています。でも自分の考えや我儘は出さず、言われる通りにと思っています。今までそのようにしていつも助けて頂いているので、もう暫くお大師様に引っ張って頂いて、お参りしたいと思っています。
よく歩くので、座ったり寝ている時は良いのですが、立ったり起きたりする時足がどこもここも痛くて、思わず声を上げてしまいます。でも毎日よく歩かせて頂けるものと有難く思っています。
一宮の方の話では、毎年多くの人が歩いてお参りする志をたてるのですが、全部を歩き通す人は大変少ないとのこと、私はお大師様や家族、それにこの旅で知り合いになった方、また、親切な土地の方々のお蔭でよくここまで歩かせて頂いたと、感謝の気持ちでいっぱいです。いつも助けて頂いて、そんなに苦労もなくここまで来させて頂き、そのことを考えると涙が出て参ります。
どんなに遅くとも後数日でお四国は終わると思います。けれども一層気を引き締めて歩きたいと思います。近頃は朝に一日の予定が立てられず、いつも昼からとか夕方に宿を取るようになってしまいます。
一宮で教えて貰った宿、ここに来て断られて良かったと思っています。ここまで来るのに七時迄かかり、それからケーブルの上までだともっと遅くなってしまいこれもお蔭さまと有難く思っています。
六月一日 午前五時
八栗寺ケーブル下 高柳旅館にて
六月一日(木)晴
朝食は無いと思いお勘定に行くと、食事が出来ていると言って下さり、頂いて六時半出発。
朝食の後すぐ国分寺にお参りするので、頭陀袋も出して用意しておく。
根香寺で会った二人と、夜も朝も向かい合って食事だったので色々話をする。この方達もよく歩いておられる。高知の人で、今度は逆打ちで善通寺から帰るとのこと。
六時二十分、宿を出てすぐの国分寺に。土地の人も早くからお参りに来ている。
休憩所でお参りに来ていた人が一宮寺への道順を教えてくれるが、もう一人の人が、車の道を行ったほうが分かり易いと言われ、県道三十三号線を歩く。
左に昨日の山、右に道に平行して電車が走る。
八時、右に曲がって十一号線に。暫く歩いているとすぐ右に旧道があり、多分この道ではと、近くの家で尋ねる。道はそれでよくお礼を言うと、奥さんがお接待にとポケットから千円出して下さる。暑いからとジュースも持ってきてくれ、喉が渇いていたので少し歩いて早速頂く。ここで昔の遍路石を見つける。
時々車が通るがのんびりしたまっすぐな道。天気が良く暑い。
九時、円座。この辺はちょっとお店もある。川を渡り田村神社の横から九時四十分、八十三番一宮寺到着。
お参りを済ませ納経所へ行くと、納経所の方も二、三年前に歩いてお参りをされ、高野山までも歩かれたという。色々話して下さりちょっと遅くなる。
十一時、寺の前に遍路マークがあったが、それを行かず納経所で教えられた道へ。仏生山駅前商店街を抜け、また同じような道をどんどん進む。
十一時半、家の陰になったところで休憩。昨日国分寺の前のスーパーで買った小夏を食べる。久し振りの小夏に高知のことを思い出す。
少し歩くと広い道に。細かい地図がないので、どこを歩いているのか全然分からないけれど、教えられた通りに歩く。畑が多い。県道十二号線とある。
十二時半、喫茶店で昼食。食べながら地図を見て、どこを歩いているのか大体確認。
一時十五分、吉田橋を渡ってすぐ左に。ずっと遠く正面に台形の山。多分あれが屋島。両側が麦畑の土手を歩く。この道も一直線。高田駅の踏切、新川を渡る。すぐ前の山の向こうに、緑ではなく青く屋島が見える。遠いのでまだ緑色には見えない。
屋島を眺めながら休憩。リュックを背負っているのでいつも背中はビショビショ。
二時十分、屋島四キロ、八栗八キロの標識。左に大きな池があり、覗いてみると斑点のついた大きな魚がいる。このあたりからだんだん山の色が変わってくる。通りかかった人に、どこから歩いてきたのかと聞かれ、一宮からと答えるとびっくりされる。
三時、お茶を買って水筒に入れ、残り少しを飲む。十一号線を横切って正面に見える屋島に。山の正面右のほうにケーブルが真っ直ぐ上についている。
三時半、池のところで遍路マークと四国の道の示す方向が違っているので、遍路マークへ。途中で分からなくなり、前から来た人に尋ねると真っ直ぐ上にとのことで、少し戻り急な坂を上る。ものすごく急な坂道。
四時七分、不喰梨に。十一号線からの入り口と、さっきの池のところでもたついたので四時二十五分、やっと八十四番屋島寺到着。
蓑山大明神がお祀りされているのを見て、ずっと前に湊の伯母ちゃん達と石鎚山の帰りに一度来たことを思い出し、お参りしてお祓いをあげる。
屋島へは南側から真っ直ぐ上るので、お寺までだと海は全然見えません。
今日はここに泊まろうと思っていたが、お大師様が次まで進むようにいわれる。
駐車場のほうのトイレに行き、すぐ向こうは海だと分かってちょっと休憩したいと思うが、景色を眺める余裕もなく五時五分、すぐに下りる。
五時十五分、再び不喰梨へ。途中、良孝ちゃんのような運動選手が坂を上ってくる。歩いていると、下の町がきれいに見える。
この辺は住宅街で、坂のところに家がたくさん建っている。先ほどの池のところを左へ、八栗寺に向かう。
さっきの遍路マークは八栗寺の方へ行く道。途中またマークを見失ったが、通りがかった人が道を教えてくれ、分かるところまで一緒に行ってくれる。
一宮寺で、行けば必ず泊めて貰えると教えられた八栗の宿の番号を捜し電話するが、月末でいっぱいなので駄目と断られる。下の宿を教えて貰うが、ここもいっぱいで断られるが、どんなところでも良いからと無理にお願いする。でも食事は出来ないとのこと。
五時四十分、ケーブル駅前。少し歩くと正面にすごく変わった形の山。山裾に家がたくさんあり、あれが八栗寺の方と思う。六時五分、八栗寺駅前に。さっきの変わった形の山(五剣山という)を正面に見て、ちょっと上りの道になる。駅前で食べるところを聞いていたので、宿のすぐ手前のうどん屋さんにはいって食事。
六時半、うどんを頼んで待っていると、疲れたのかフラフラめまいがする。食べているうちに、背中が汗でびしょ濡れなので寒くなり、だんだん悲しくなってくる。宿に着くと広い部屋に入れて頂き、お風呂にはいってほっとする。
改めて地図を見ると、屋島まで通ってきた道は分かり易く車も少なかったけれど、高松の町を通ったほうが近かったような気がする。自分の心積もりでは、今日は屋島に泊まってと思っていたし、時間的にも丁度良かったのに泊まれなくて、海も見られなかったのでちょっと残念な心残りな気がする。
夜、喉が渇くので、宿の少し下にある販売機まで缶コーヒーを買いに行く。下の町に灯がついてとてもきれい。右に見える屋島も頂上の右側にあかあかと電気がついて、どちらも夜景が美しい。讃岐はゆっくりお参りしてと思っていたのに、毎日遅くまで歩くことになり、ちょっと疲れています。でも自分の考えや我儘は出さず、言われる通りにと思っています。今までそのようにしていつも助けて頂いているので、もう暫くお大師様に引っ張って頂いて、お参りしたいと思っています。
よく歩くので、座ったり寝ている時は良いのですが、立ったり起きたりする時足がどこもここも痛くて、思わず声を上げてしまいます。でも毎日よく歩かせて頂けるものと有難く思っています。
一宮の方の話では、毎年多くの人が歩いてお参りする志をたてるのですが、全部を歩き通す人は大変少ないとのこと、私はお大師様や家族、それにこの旅で知り合いになった方、また、親切な土地の方々のお蔭でよくここまで歩かせて頂いたと、感謝の気持ちでいっぱいです。いつも助けて頂いて、そんなに苦労もなくここまで来させて頂き、そのことを考えると涙が出て参ります。
どんなに遅くとも後数日でお四国は終わると思います。けれども一層気を引き締めて歩きたいと思います。近頃は朝に一日の予定が立てられず、いつも昼からとか夕方に宿を取るようになってしまいます。
一宮で教えて貰った宿、ここに来て断られて良かったと思っています。ここまで来るのに七時迄かかり、それからケーブルの上までだともっと遅くなってしまいこれもお蔭さまと有難く思っています。
六月一日 午前五時
八栗寺ケーブル下 高柳旅館にて
六月一日(木)晴
朝食は無いと思いお勘定に行くと、食事が出来ていると言って下さり、頂いて六時半出発。
作品名:空と海の道の上より Ⅸ 作家名:こあみ