空と海の道の上より Ⅷ
七十二番から七十一番へ行くので逆回りになり、道標に気をつける。山道に入るところに人がいて道順を親切に教えてくれる。高速道路と平行した下の道を歩く。高速の下をくぐり竹藪を通って山道へ。草は多いが道は見分けられる。そしてだんだん山道らしくなってくる。なかなかきつい上り。道々、草の中に埋もれてしまいそうな仏様がある。
宿の人は今は通る人もいないと言っていたが、歩く人もいるようで、草に覆われてはいたが見分けられないほどの道ではない。私も後から来る人の為帰りもこの道を踏みしめて歩こうと思う。
弥谷寺仁王門、七時五十分着。下にはお店もあるがまだ閉まっている。
木がうっそうと茂り陰気な雰囲気がするお寺。朝なのにまるで夕方のよう。
石段を上って広いところに出ると、やっと日が射し明るくなる。風に木々がそよぐ音がするだけでとても静か。誰もいないのと静かなので鐘を撞く。石段をどんどん上りやっと本堂へ。高いところにあり誰もいないので気持ちよくお経をあげる。
下に降りかけると、上ってくる七、八人の団体の人に会う。最後に作務衣を着た若いお坊さんのような人と一緒に上ってきた、お婆さんとちょっと立ち話。
お婆さんは志度寺の傍に住んでいて、これから四国、高野山をお参りして一日の夕方には帰るから、それから後ならいつでもいるから寄るようにと、住所を書いた納め札を下さる。お坊さんも、このお婆さんはお接待好きだから日があえば寄ればいいと進めてくれる。
この人達と別れて大師堂に向かうが、ちょっと変わった大師堂で、勝手が違い通り過ごして裏のほうに行ってしまう。おかしいと思い、後戻りして大師堂と一緒になった納経所へ。少し話をして八時五十分出発。今度は同じ道なので安心して下る。
時々木の間から、下の町や畑がきれいに見える。九時、元の広い道に出る。蛇に会わなかったのでほっとする。
九時半、曼荼羅寺に戻る。七十三番出釈迦寺からまたここに戻らないといけないので、荷物のこともあり先に出釈迦寺にお参りする。
ここで会ったお遍路さんが、「私も前に歩いたことがある。頑張ってね」と、百円お接待を下さる。
お大師様が身を投げたといわれている捨身ヶ岳までの時間を聞いている人があり、私も行きたいと思うが、往復三時間かかるとのことに今回は諦める。
十時五分、七十二番曼荼羅寺へ。下りになっているので、右にまたぽっかりとお椀を伏せたような山が見える。正面下のほうには善通寺の町も見える。
曼荼羅寺の駐車場で弥谷寺で会った人達とまた会う。「早いね」と声を掛けられ、その人達は出発。私はそこの茶店で熱いお茶をご馳走になる。お茶屋さんなのでとてもおいしい。
駐車場の横から入る。中に入るとこじんまりとしたきれいなお寺。お大師様お手植えの笠松があり、本当に笠のようでとても大きく、美しい形をしている。
十時四十分、お寺を出てすぐ横の宿へ。リュックをもらって七十四番甲山寺へ。
広い道に出て右に曲がり歩き出すと、低いが形の良い山が見える。それを目当てに歩く。畑の中の遍路道を通り、山の横を回って、最後は草むらのようなところを通って十一時十五分、山の反対側の甲山寺に到着。
十一時五十五分、甲山寺を後にしていよいよ善通寺へ。甲山寺を出てからなぜか急に涙が溢れ出す。
歩いてもすぐそこと聞き歩き出すが、遍路マークを見失い車の道へ。十五分ほどで駐車場のほうから善通寺へ入る。入ったところが大師堂。
大師堂の前の通りには両側にベンチがあり、座れるようになっていて、真ん中が通り道。見ると、そのベンチに弥谷寺で会った人達が座っている。私もリュックを降ろししばらく雑談。
話の中で、このお坊さん(森本さんと言われる)は霊感があるようで、私に色々なことを教えてくれる。お参りの仕方、納め札の入れ方、お線香、ローソク、お賽銭のあげ方など、一つ一つ尊い方に対する礼儀があり、自分もローソク一つ上げる上げ方を教えて頂くにも六年もかかったなど、勉強になることを教えて頂く。
そして形もでき、その姿が人から見て尊く見えるようになれば、心境もまた一段と上がるのではと言われ、振り返ってみると何もできていない自分が恥ずかしく申し訳なく、これからも仏様の心に叶うよう一層努力していかなければと改めて思いました。
連れの方達と一緒に一時間程話をして、私は本堂へ。再び大師堂に戻る途中で、バスに乗って出発しようとしていた森本さん達とまた会い、みかんや飴、それに皆からと言って二千円お接待を頂く。そして志度寺のお婆さん(この方は大須賀さんという)のことも聞かせてくれ、なるたけ寄るよう進めてくれる。
話では、昔、大須賀さんのご主人が善根宿でお遍路さんを泊め、そのお遍路さんからお礼にと言って煮豆の作り方を教えてもらった。それを作って売り、大変繁盛したそうです。そんなことからご主人が亡くなられてからもお接待を続けておられるとのこと。
二時、善通寺発。お寺の傍の、森本さんが教えてくれたうどん屋さんでうどんとお寿司を食べる。お店の人も色々お四国の話をなさり、歩いているお遍路さんは滅多にいないと言って、支払いをしようとすると「お接待です」とお金を取ってくれない。納め札をお渡しして有難く頂戴する。
二時半、七十六番金倉寺へ。商店街を通り、善通寺駅の横の踏切を渡って三一九号線へ。あまり喉が渇くので、三時十分喫茶店に入りアイスコーヒー。水もいっぱい飲んでやっと落ち着く。外に出るとちょっと曇ってきた。標識を見て右に曲がると、ここも正面向こうにこんもりした山。まだまだ歩くと思っていたらすぐお寺に。
三時半金倉寺着。徳島から来た運転手さんやお店の人たちと話をしてちょっと遅くなり、四時半発。
次には宿があるとのことで、丸亀までと思っていたが、次に泊まろうと歩き始める。
こんもりとした形の良い山がいくつか見えるが、連なった山は全然見られない。十分ほどで車の多い道から畑の中の遍路道へ。
この辺は今麦刈りをしているらしく畑で何か焼いていて、あちこちに白い煙が上がっている。焼いている傍を通るとパチパチ音がしてすごく煙たい。全体が煙で白っぽくなっている。そんなところを通って五時十七分、七十七番道隆寺着。少し前から雨が降り始める。
宿を頼み拝み始めるが、電話の応対を思い出してだんだん泊まるのが嫌になり、丸亀まであと四、五十分だから歩こうと決める。お参りが済むと雨が上がっていて六時、お寺のすぐ裏の広い道を丸亀に向けて歩く。
さっきの宿は食事はできないと言われたので、多分まだそんなに用意もしていないと思い、すぐ断わりの電話を入れる。歩き出すとまた雨がぱらつくが合羽を着るほどでもない。
六時二十分、だんだん町に入ってゆく。道に平行して左を電車が走る。
七時、道沿いにあるホテルに。着いてすぐ、お腹が空いていたので、明日の朝の用意にと買っていたパンと牛乳を食べる。食事に出るのも億劫だったが、お風呂に入り洗濯をして家に電話。中島さんが今日から仕事と言っていたので、中島さんにも電話。冷たいものが食べたくなって、ホテルの近くで冷やしうどんを食べたがあまりおいしくなかった。
作品名:空と海の道の上より Ⅷ 作家名:こあみ