Clad
神崎はそう言うと、返事を待つことなく若町の生命維持装置のスイッチを切った。
雨がいつの間にか止み、真っ暗な空をくり抜いた影絵のような家が見えてきて、先頭を走るアルテッツァのブレーキランプが光ったとき、姫浦のスマートフォンが光った。ロック画面に現れたメッセージを見た姫浦は、ヘッドライトを消して右にハンドルを大きく切り、急ブレーキを踏んだ。動きに追いつけずにランドクルーザーが行き過ぎてふらついたが、諦めたように姫浦が抜けた分の車間を詰めた。車列から抜けて元の車線に戻った姫浦に、外神は中で心臓が跳ねまわる胸を押さえながら言った。
「どうしたんですか」
「若町が死にました」
姫浦はダッシュボードを開けると、四十五口径のUSPをホルスターごと取り出した。体をずらせて腰の位置にホルスターを取り付けると、反対側にポーチに入った弾倉を一本差し込んだ。今若町を殺せる人間は、自分が知る限りひとりしかいない。
「外神さん、わたしが雇ったのは、さっきお昼に話した人です」
「せんせーですか?」
外神は、姫浦の横顔を見ながら目を丸くして言った。アルテッツァを先頭に、四台の車が家の方向へ入っていき、ランドクルーザーのブレーキランプが見えなくなるのと同時に、姫浦はアクセルを踏み込んだ。家を通り過ぎた後、ガソリンスタンドの廃墟に入ると奥で転回させた。錆びた燃料ポンプに見られているように、外神は体を捩らせながら言った。
「あの、どうするんですか?」
「待っててください。わたしは家に戻ります。このまま逃げたら、あなたの依頼を終えることができないので」
姫浦は返事を待つことなく、プリウスから降りた。神崎はどこにいるのだろうか。メッセージが届いたのは、数分前。おそらく家の中にはいないだろう。痕跡すら残していないかもしれない。
川崎はメルセデスから降りるなり、ランドクルーザーから降りた内田に言った。
「あいつら、どこに行った?」
「急にかわされて……、すみません」
内田が頭を下げて地面を見つめながら謝る様子を見ながら、川崎はそれ以上言っても無駄だと言うことを悟り、ランドクルーザーを指差した。
「そいつを反転させとけ」
内田は運転席に乗り込むと、ランドクルーザーを横向きに転回させて入口へ向け、改造されたAKMを手に下りると、そのスリングを肩に通した。岸川は、サプレッサーと銃身が一体になったスウェディッシュKのストックを開き、それに合わせるように瀬口がウィンチェスター1300の先台を操作し、散弾を薬室に装填した。
クラウンから降りた本田は、川崎に言った。
「プリウスはどこに行ったんだ?」
「知るかよ。あのバカ野郎、全く防げてなかったな」
川崎は苛ついた様子で言い、内田を手で呼び寄せた。
「お前は林に行け。中で待機してろ」
内田がAKMを持って道路を横断し、林に繋がる小道へと入っていくのを目で追いながら、本田は言った。
「若町を殺したら、本当に誰かが来るんだな?」
「おそらくな。だからお前も、中に入れ」
川崎が本田を家の中へ送り込み、岸川と瀬口が後に続いたとき、メルセデスの助手席から降りてきた唐谷が川崎の耳元で言った。
「これって順調なの?」
川崎は少しずれた黒縁眼鏡をひょいと持ち上げると、うなずいた。
「上々だね」
唐谷が初めて自分の意思を口に出したのは、四年前のことだった。川崎が冗談めかして『この仕事もなくなるな』と、山羽と言っていたとき。山羽がトイレに入ったタイミングを見計らったように、川崎に言った。『なくなったら、わたしがやってきたことは無駄になるんですね』。それに対して川崎は『無駄にはならない。すっからかんにしてやればいい』と答えた。非公式に繋がりが生まれ、それはいつか二人で逃げるという口約束になった。その口約束はいつしか川崎の背中に覆いかぶさる義務になり、タイミングを待っていたら三年が経っていた。この依頼自体が、渡りに船。川崎は、唐谷に続いて家の中へ入ると、後ろ手にドアを閉めた。
スウェディッシュKを右手に持った岸川が階段を早足で降りてくると、川崎に言った。
「ここは危険です。誰かに入られてます」
川崎は反射的に身を低くすると、唐谷の背中を押してキッチンに移動させた。細い体をくねらせると、唐谷は顔をしかめながら振り返った。
「なんですか」
「誰かに入られた痕があるらしい。ここにいろ」
本田が一階へ降りてくると、岸川に言った。
「銃はあるか?」
岸川は首を横に振った。川崎はベルトに挟んだ三十八口径のエアウェイトに意識を向けた。本田に銃を渡すと、後々厄介になる。ここに残ってもらわないといけないのだ。できれば、死体として。川崎が話しかけようとするよりも先に、本田は若町の部屋に入り、川崎を呼んだ。
「プラグが抜けてる」
生命維持装置の電源が落ちていることに気づいた川崎は、顔をしかめた。『誰か』が若町を殺したのだ。自分が稼いだと思っていた時間は、初めからゼロだった。金庫を開ける時間がない。瀬口が三階から早足で降りてくると、息を切らせながら言った。
「この家の中には、他に誰もいません」
本田は、若町のベッドの傍らに寝かされた段ボールに気づき、拾い上げた。裏側には几帳面な字で五十音が書かれていて、空いたスペースには文字があった。
内田は、四キロ近くあるAKMを担ぎながら、林の中へ足を踏み入れた。狩猟免許を持っていた時期があり、実際に森の中でイノシシ狩りをしたこともあった。しかしそれは全て、表側の世界を渡り歩いていたときのこと。四十代半ばになると、その面影はほとんど消えてしまっている上に、夜に林の中を歩く経験は、豊富ではなかった。銃身が枝に片っ端からひっかかろうとするのを避けながら、内田はようやく家を見下ろせる位置まで辿り着き、スリングを体から抜いた。家の全体が良く見える。車回しには、入口に鼻面を向けたランドクルーザーと、少し空いて反対側に停められたメルセデスにクラウン。そしてアルテッツァ。敷地は広いが、四台が停まるとさすがに手狭だ。視界の右側には海岸に降りる遊歩道と、かなり先の方に廃墟のガソリンスタンドがある。左側は、道が暗闇に吸い込まれている以外は何も見えない。
AKMの安全装置を解除し、一発目を装填したとき、内田はランドクルーザーの車体から影が伸びたことに気づいた。ほとんど見逃すぐらいの小さな動きだったが、何かが後ろで動いたようにも見える。内田は伏せた状態で銃口をまっすぐ持ち上げて構えると、ランドクルーザーの周りに銃口を向けた。