Clad
川崎が、眼鏡の奥に隠れた目だけで笑いながら言った。本田は一瞬だけを目を合わせると、同じ笑いを頭の中で共有した。勘のいい奴だから、おれが何か大事なことを言っていないと、気づいているだろう。バイクメーカーにちなんで名づけられた、四人の男。鈴木だけが年下で、仕事終わりに二十四時間営業の喫茶店で、フレンチプレスのコーヒーを飲みながらよく話した。三人が生き残って、時々忘れるぐらいに長い鎖を首に巻かれたまま、四十歳を迎えるまで生きてきた。川崎はコンテナヤードに残る自分の痕跡を消したがっている。おれは海外に出たい。そして、唐谷にさっき『逃げなくていいのか』と聞いたのは、まだ二十八歳で未来があって、おれたちがこれからやろうとしていることに巻き込まれてほしくないからだ。
外神真菜は、十六歳。どっちつかずの世界を渡り歩いているような見た目。薄い紫色のパーカーを羽織っていて、フードの紐を触るか、爪を噛むか、何かしら動いている。
『あなたたちは、若町さんの組織で働いていますね』
川崎の倉庫で集まったとき、外神はそう切り出した。若町の組織に依頼を出したのだから、もちろんそうに決まっている。川崎と山羽が顔を見合わせたとき、外神は続けた。
『依頼は二つあります。わたしはスーツケースを探しています 。おそらくあなた方の組織が持っていると、確信しています』
外神が掲げた写真は、ありきたりなサムソナイトのバックパックで、身軽なビジネスマンが出張で背負うようなタイプだった。特徴があるとすれば、大きな知恵の輪のキーホルダーが、鍵代わりにファスナー部分へ着けられているということ。全員がその写真を頭に入れたとき、外神は続けた。
『もうひとつの依頼は、殺しです。若町玄吉を殺してください』
その場で出て行くこともできたし、実際、山羽は出て行こうとした。思いとどまったのは、先に姫浦が来ていたからだった。別の組織から雇われた人間だから、どこで何を話すか分からない上に、下手に手も出せない。だからとりあえず、話を聞くことから始めた。
そして、殺し合うこともなく、こうやってひとり減った状態でも、また集まっている。つまり、若町の部下だった三人全員が、話に乗ったのだ。
若町玄吉は、一階にいる。唐谷でも、紅茶を淹れるついでにタオルで口を塞いで殺せるだろう。倉庫に集まった時点で、姫浦に全て任せて『若町は寝たきりなのでいつでも殺せます。なので殺しの件は、わたし達は結構です』と外神に伝え、バックパック探しだけ引き受けてもよかった。そうすれば、晴れて三人とも引退できた。そうしなかったのは、ここに若町の資産があるからだ。非常に勝手な解釈だが、人生の大半を尽くした人間への退職金とも取れる。
そしてそれは、この事務所に出入りする人間なら、誰でも簡単に取れる場所にある。地下と三階にひとつずつある金庫に分散されていて、地下には無記名債権、三階には現金。鍵は八桁のテンキー方式。それだけなら、何も難しい話はない。問題は、金庫を開けるとどこかへ『通知』される仕組みがあるらしいということ。よく出入りしている川崎はその辺りをこっそりと調べていて、『金庫を不用意に開けるとここに殺し屋が来る』という結論に達した。川崎曰くもうひとつ仕掛けがあって、それは『若町の脈拍が止まった時点で、自分たちの知らない誰かが見に来る』のではないかということ。さっき部屋に入ったとき、脈を測る装置の裏に小さな無線の中継器が取り付けられているのが見えた。若町は、いきなり寝たきりになったわけではない。設備は全て本人が揃えたから、どんな細工でもできただろう。本田がそこまで考えたとき、川崎が言った。
「ちょっと一服してくる」
同意を求めるように目が部屋の中をぐるりと周回し、本田を通り過ぎるときに少しだけ間があった。本田は外神と姫浦を代わる代わる見て、許可を求めるように眉をひょいと上げた。二人が同時にうなずき、本田は川崎の後をついて一階に下りた。唐谷はソファに横になって、テレビを見ている。外に出て、姫浦のプリウスの前で煙草に火を点けたとき、本田の隣に立った川崎は言った。
「で?」
「何が、で? だよ」
「とぼけるな。このタイミングで、偶然年貢を納めるか?」
川崎は黒縁眼鏡を指で弾くように持ち上げた。本田は念のため振り返った。このやり取りは、あまり見られたくない。指の中に畳んだメモを握って掴ませると、川崎は煙を吐きながら手を開いて目を通し、すぐに返した。煙が勢いよく吐き切られて、笑ったということが分かった。
「代償ね。まあある意味、おれたちのせいではある。でも、あいつが無罪ということもないな」
本田はうなずいた。
「おれたちが集まるってことを、どうにかして知ったんだろうな。実際、今も一か所に集まってる」
川崎は、本田の言葉に納得しながら、それでも首を横に振った。
「姫浦がいるにしても、ちょっかいをかけるなら今だろ。なのに、外に出ても弾は飛んでこなかった」
本田はうなずきながら思わず笑った。川崎は一見、役人のような真面目な見た目をしているが、頭のネジはぶっ飛んでいる。自分の体が穴だらけになるか試して、そうならないことを証明したのだ。川崎は煙草を携帯灰皿にねじ込むと、言った。
「おそらくこいつは、話したがってる」
「話してやるのか?」
本田が言うと、川崎は少し声を落とした。
「これ以上近づいてくればな。とにかく、バックパックの件をさっさと片付けよう。置いたままの場所にある」
あのバックパックは、鈴木の私物だ。川崎の倉庫に眠っている。忌まわしい六年前の記憶。今、頭の中でくすぶり続けている、『勝手な解釈による退職金』。本田は少し遅れて煙草の火を消すと、川崎に続いて家の中へ戻った。六年前にも、四人で同じことを考えたのだ。その結果、鈴木が死んだ。
二人が戻ると、外神と話していた姫浦が顔を向けた。外神がパーカーの紐をいじくりながら、言った。
「あの、バックパックの回収は引き続きお願いします」
「おれが行ってきますよ。今日中に帰ってきます」
本田は言った。姫浦が立ち上がろうとするのを手で制して、言った。
「あんたはここにいてくれ」
誰の返事も待つことなく一階に下り、家から出て弾が飛んでこないことを確認すると、本田はクラウンアスリートに乗り込んだ。本丸は退職金。川崎とはっきり話したわけじゃないが、無言の内に合意は取れた。エンジンをかけたとき、細い指が窓をコツコツ叩き、姫浦だということに気づいた本田は、しかめ面にならないよう細心の注意を払いながら窓を下ろした。
「ここにいてくれって、さっき言ったろ」
姫浦は作り笑いを浮かべて、半分開いた窓に手をかけたままうなずいた。
「身を守れるものは、持っていますか?」
「丸腰だよ」
本田は短く言うと、窓を上げた。姫浦は挟まる直前で手を素早く抜くと、ポケットに両手を突っ込んだまま家の中へ戻っていった。本田は敷地から出て幹線道路に合流すると、川崎の倉庫への道を急いだ。一時間以上はかかる上に、倉庫の人間にはうろついているところを見られたくない。今出入りしている人間は、そんなものが保管されているということは知らない。