空と海の道の上より Ⅲ
この方の名は知らないのですが、十六年間お遍路を続けていて、去年は寝袋で色々のところに留まりながら修業をし、今年は托鉢の行をしているとのこと。以前結婚しようと思っていた女性がこの近くの人で、その人のことを考えながら歩いていたら私と擦れ違い、何か感じるものがあったらしく後戻りして追いかけると、私がここで休憩していたという。うまく書けないけれど、歩いていると自然と遊んでいる感じとか歩行禅とか色々考えておられることを話してくれる。
「発心を因とし、大悲を縁とし、方便を究竟す」
加持や祈祷で人は救えない、方便を持って救われると、そのようなことを言われる。
雲海さんのことも話題になる。雲海さんについてはあまりいい話ではないので、最後に私は、
「でも、雲海さんは私にはとてもいい笑顔を見せてくれましたよ」と言いますと、
「それは雲海にも良い心と悪い心がある。貴方がそう感じたのなら、彼はその時きっと良い心だったのでしょう。
そう感じられる貴方は自身素晴らしいものを持っている。貴方は彼のような人間も救われると思いますか。」に私は、
「分かりません」と答えたけれど、仏様は慈悲のお方、彼にも救いの手の差し伸べられる日が来るような気がした。
話を聞いて、余計早く雲海さんに会ってお接待を渡したく思った。一時間程立ち話をして遅くなったが、今日は高知市内、どこでも泊めて貰えると気が楽。
十一時、大日寺着。お寺に着いてお経をあげていると高いところのせいか、ここまで暑かったのが嘘のように汗ばんだ身体に冷たい風が心地良い。お納経をしてもらい次の二十九番への道を尋ねると、五万分の一の地図を頂く。お寺を出たところの電話で今夜の予約。
下に下りると登山姿の男の人が、土地のおじいさんと座り込んで話をしている。この方もお遍路さんかと会釈をして通り過ぎる。暫く行くとスーパーがあり、先に食事のできるところがなさそうな気がしてパンと牛乳を買う。丁度お昼過ぎ、道端で食事。
本には八キロ二時間と書いてあるが、久しぶりの田舎道、畔を尋ね尋ね歩いてもまだなかなかの様子。広い畑を見るのは久しぶりの気がする。ハウスが多い。川にも水が多く、道より水面の高いところがありビックリ。
背中が痛いので荷物の入れ替えをしていると自転車の若いお遍路さん。
「この道でいいのですか」
「そうです。まっすぐ行くそうです」と、今聞いたばかりのことを答える。私も最近は遍路姿が板に付いてきたのか、同じお遍路さんから時々道を尋ねられる。
暫く歩くがいっこうにはかどらず、暑さのせいかなと思いながらダラダラ歩く。するとさっきの登山姿の男の人が小さな小川の橋の上で靴を脱いで座っている。声をかけると、「じゃ、一緒に行きましょう」と立ち上がる。中年のとても感じの良い紳士で、色々話しながら歩く。
さっき会った時は、大日寺にお参りする前だった。ここに来るのに車の道を通り少し遠回りをした。休暇を利用して一年に一国を歩いている、等々話ながら歩いたので、そこから先は元気に歩くことができた。
二時二十分、二十九番国分寺着。手入れの行き届いたきれいなお寺。次まで一緒にということで、私は拝む時間が長く悪いと思ったけれど、決めているお経を全部あげる。
私を待ってくれている間に、お昼を抜いたのでとカンパンを食べておられる。太田さんもそうでしたが、皆様困った時にと予備の非常食を持っておられるようです。太田さんはもし途中で倒れたらと保険証や住所を書いたものも持っておられた。
私はのんきなもので、困った時はお大師様が助けて下さると思いそんなことを考えたこともなかった。今までお蔭様で何事もなく来られました。本当に有難い勿体無いことです。
三十番まで並んで歩きながら、
「歩くことはいいことですよ」の言葉にこの方も信仰でお参りしているのだろうかとつい考えてしまう。
「お参りだけですか。名所みたいなところはご覧にならないのですか」と尋ねますと、「お参りが目的ですから、そういう所は寄らずにお寺だけお参りしています」
山本さんもそうでしたが、白衣を着ずに普通の格好で参っておられる方もいる。ここに来るまでは歩いているのは自分だけと思っていたが、以外に大勢の方が歩いているのに驚くとともに、歩く人が増えているとのことにとても良いことと喜んでいる。
途中、喫茶店で休憩、ジュースをご馳走になる。その時色々お聞きする。
二年前に奥様を亡くされて四国参りをする気になった。お参りするのに車でとは全然思わなかった。奥様に励まされて歩いているような気がする。
悟りとか捨てるということ、一遍上人の話、お釈迦様のこと。車でお参りしているその車が、小さなミミズなどをひき殺して行くのに感じたことなど色々話していますと、歩いて参られる方は、格好は白衣でなくとも宗教的な深いところを掴み、自分自身を見つめながら仏様のことも考え、本当の四国遍路をしておられる方が多いように思う。
話しながら五時四十五分善楽寺着。先にお納経を済ませゆっくりお経をあげる。もういらっしゃらないかなと思って下に行くと、まだ待っていて下さり今日は次まで歩かれるとのこと。
「またお会いできるといいですね」
「高知市内ですからまた会えるかも知れませんよ」とお別れ。私は今日ここに泊めて頂く。
夜洗濯をしていると、お寺の方が「森田さんという方から電話があり、電話してください。」とのこと。誰か分からず家に電話をしていてふと思い出す。十三番大日寺でお会いした森田さん。高知へ入る二、三日前にお電話したのですが、四日まで仕入れの為に大阪に行かれるとのことで、予定が合わずお訪ねせずに行くつもりだった。電話をすると私のことが気になり早く帰ってこられたらしく、明日はぜひといわれ、「安楽寺のあとお伺いします」と高知では少しゆっくりするつもりだったので、お伺いすることに。
善楽寺には机がなく、寝ながら手紙を書くがはかどらず全部書けない。仕方がないので、明日、森田さん宅に行く前に喫茶店ででも書き上げて「それから行きます」と電話すると、「うちは誰もいませんからうちで書いてください」と言って下さる。
三日。十時半森田さん宅へ。お店を訪ね、昼間は誰もいない家に案内して頂き、今これを書いています。そして乾かなかった洗濯物も干させて頂き、本当に良いようにして頂いております。お大師様がすべて整えて下さっているように思えてなりません。
今日はここに泊めていただき、明日種間寺か、清滝に泊まり、それから青龍寺の近くの国民宿舎に泊まって岩本寺に行くつもりです。
五月三日 午後零時二十分
高知市森田さん宅にて
五月三日(水)晴、四日(木)晴
善楽寺。七時半発。今日は安楽寺のあと森田さん宅に行く予定のため先の計画を立てていない。久万川大橋を渡り高知駅前へ。バスターミナルは連休の行楽客でいっぱい。
九時十分、安楽寺着。
横で二人連れの若い女の子が本を見ながら般若心経を唱えている。偉いなと思いながらお線香をあげていると、声をかけられる。金剛頂寺で一緒に泊まった人たち。一度徳島に帰り仕事をして、また出てきたとのこと、驚いてしまう。
安楽寺から森田さんに、
作品名:空と海の道の上より Ⅲ 作家名:こあみ