空と海の道の上より Ⅱ
黙々と歩いていると四時過ぎにふき取りのお婆さんに出会う。人に出会ったことで、もしかして町が近いのではと嬉しくなる。ずっと先の霞んでいるところに何か町のようなものが見える。暫く行くと山の伐採した木を積んでいる人に会う。「偉いね」と声を掛けられ、
「あれが佐喜浜の町、その先が室戸、もう五キロ位じゃきに、一時間位で佐喜浜じゃ」と教えてくれる。
先が見えてきてほっとするけれど宿が決まっていずとても不安だ。いつもならどんなに疲れていても、足を引き摺っていても、そこに行けば泊まれるので何の不安もなく目的に向かって歩くだけで良かった。しかし、この調子で行くと着くのは五時を過ぎるし、それから泊まるところを探すのではどうなることかと不安ばかりが大きくなる。
すると、
「大丈夫、心配するな」の声。私は心の中で、私は女ですから野宿は絶対に嫌ですよと言うと、
「よし、よし」の声。
入木の町の少し手前で、突然後ろから「偉いね」と声を掛けられる。振り返ってみると、遍路姿の自転車の男の人。香川県を回って高野山にお参りし、室戸の向こうの室津迄帰る途中とのこと。
その方は自転車を押して色々話をしながら佐喜浜の町まで一時間余り一緒に歩いてくれる。それから宿を探してくれるが、無し。
「もう三十分位歩いたところにあるけれど足は大丈夫か」と、いたわってくれる。
佐喜浜の知り合いの家に寄り、電話で泊まる所に連絡をしてくれる。この家の人が私を見て、
「すぐそこじゃきに、車で行ったら五分じゃ。うちの人が送ったげる言うちょるきに。お大師様もそれくらい許してくれる」と言って下さるがお断りする。どっと泣けてくる。
家の人がまだ進めてくれるのを、
「この人はそうしたい気持ちがあるんじゃ」と宥めてくださり、また一緒に歩いてくれる。
足元を見ると、とても疲れておられるのが分かるが、
「自分はもう一時間程で家に着く。貴方はまだこれからじゃきに。室津に来たら寄るように」と言ってくれる。
これから先、室戸から神峰寺迄も遠く、そんな話を色々としていると、奥さんが神峰寺に御詠歌を教えに行っているから自分も良く知っているので、頼めば泊めてくれるから、もしそこに泊まるようになれば電話をしてくれるという。
お遍路さんはお互い様、自分にも泣きたいようなことが一杯ある。この旅でも高松の屋島で泊まれずお堂を借りて寝た。先のことは考えずに今だけを考えていくこと。人はどうしてそんなしんどいことをと言うけれど、しんどく辛いことが多いほど後の喜びが大きいなど話しながら歩く。
荷物を持ってくださると言うけれど、鶴林寺から大龍寺に行く途中、山本さんがあまりしんどそうなので「一つ荷物を持ちましょうか」と言うと、
「いいえ、持つ物を持って自分で歩きたいのです」の言葉に、私も自分の持ち物はどんなに辛くとも自分で持って歩きたいと思う。前に荷物だけ誰かに運んで貰えたらどんなに楽かと考えていたことが恥ずかしくなる。歩きながら有難くて涙が溢れる。
六時四十分、やっと宿に着く。ここも知り合いらしく今日は休みと書いてある。この方がいないとどうなっていたのか分からないところ。宿の人にも親切にして頂く。
本当だと知らない土地で、日も暮れてくるし、泊まるところもなくきっと途方にくれただろうに、この方のお蔭で何の不安もなくここ迄連れてきて頂いた。さっきの電話でお風呂も沸かしてくれている。
部屋に入り座ろうと思うが、太股が痛くて膝を曲げることが出来ない。お風呂に入り、食事を頂くがあまり疲れすぎたのか、申し訳ないが初めて残す。
洗濯もここ二、三日出来ず着替えが無く、明日は室戸で買わねばと思っていると、洗濯機を回してあげると言って下さる。洗濯が出来るまでちょっと横になると堪らなく、何もしないで眠ってしまう。
十一時半に目が覚め、一日のお礼のお経を唱える。眠ってしまったので洗濯物がどうなっているのか分からず、白衣のことが心配だが、今から尋ねるわけにもいかずおまかせ。また少し眠る。こんなに疲れて、何もせずに眠ってしまったのは始めて。
三時前に目が覚め、今これを書いている。今日ほど不安だったことはないが、考えてみると、挫けそうになると何かの形で勇気付けて頂いていることを、本当に有難いと思う。
お接待を頂いたり、蕗取りの人に会ったり、それから後、この人に会ってからは何とかしてもらえると安心で、何の心配もせずただついていくだけで良かった。
お遍路さん、それも高野山帰りの人に助けて頂けるなんて、お大師様は最初からそうなるようにして下さっていて「心配するな」とおっしゃるのだと思うけれど、私には不思議で不思議でしようがない。
私のちっぽけな頭では考えられない程の大きな力によって動かされているのが良く分かりました。上から見て丁度良いときに丁度良いようにして下さるとはこのことだと思います。本当に毎日なんとも言えない気持ちになります。
部屋の真正面から朝日が上りました。でも今日は拝む余裕が無く、横をちらちらと見ながらこれを書いています。
部屋の前が国道、そしてすぐ海です。寒いので蒲団の上に座り毛布を一枚出して肩から被っています。
毎日本当に有難いことばかりで勿体無く、幸せに思っています。
四月二十九日 午前六時五分
佐喜浜の民宿徳増にて
追伸 書き終って洗濯のことを聞きに行くと、ちゃんと干して下さっていました。申し訳なく有難く思います。
四月二十九日(土)晴
朝食を取りながら宿のご主人が話してくれるには、昨日私が通った海岸線でよく皆が難渋をする。
今は間に二つ公衆電話が出来たが、それまでは本当に何もなく大変だったらしい。
今でも時々、日は暮れるし町は見えない、どうしようも無くなって宿に電話がかかり、車で迎えに行ったことなど話してくれる。
そんな時、歩くと決めた人は翌朝そこまで車で送りそこからまた歩き始めるそうだ。よく挫折するのもこの海岸線とのこと。山の際に海に向かって供養のお地蔵様が幾つか刻まれていたのを思い出す。行年十九才とか若い人が多かった。
後で今夜の宿で、お大師様もそこで大変な思いをされたことを聞かされる。私はお大師様のお蔭で山田さん(昨日の人は室津の山田さんと言って、宿の方の遠縁に当たるそうです)に助けて頂き、この方についていったら何とかして下さると、まるでお大師様の後に従って行くような気持ちで宿まで連れていって頂いた。挫けそうになる時、いつも力づけるものを与えて頂き、見守られているのが良く分かり、札所から札所迄が大変長い高知にも不安が無くなる。
宿の奥様が豆ご飯のおにぎりを作って持たせてくれる。ご迷惑を掛け、ようお願いしなかったので思いがけなく有難い。
七時三十分、宿を出て室戸に向けて歩き始める。昨日と違って海と山の間に少し平地があり、朝日が当り、それだけで昨日の胸を締めつけられるような圧迫感はない。室戸まで十三キロ高知まで九十七キロ、すぐ向こうに室戸が見え今日は楽しい気分。
公衆電話で二十六番に宿の予約の電話をする。
「今日一晩泊めて頂きたいのですが」
「何名様ですか」
「一人です」
「今日はちょっと、今どちらですか」
「室戸の少し手前です」
作品名:空と海の道の上より Ⅱ 作家名:こあみ