空と海の道の上より Ⅱ
いつものことですが、最後は痛む足を引き摺り、ただひたすら南無大師遍照金剛を唱えながら、右、左と機械的に足を動かすだけ。いつも最後に唱えるのは南無大師遍照金剛、それで励ましてもらっています。
歩きながら、あの海の見える部屋だったらいいのになあ、と思っていたらその通りになりとても嬉しい。部屋に入り、葉書を書くつもりが疲れたのか眠ってしまう。
四時半頃フロントから電話。
「今日はまだお客様が誰も来ていないので、五時迄にお入りになるのなら、男性用を使って下さっても結構です。中からロックができます」とお風呂の案内にありがたく頂戴する。海の見える、広い温泉のようなお風呂で汗を流し、足をもみ、ほっと生き返った。一人でこんなにゆっくりできて、これもお蔭さまと手をあわす。
潮騒の聞こえる、海の景色の素晴らしいところで、阿波最後の夜。あちこちに葉書を書く。久し振りにくつろいだ気分。これは今日迄よく従いてきたと、お大師様が一晩褒美を下さったような気がする。
食事の時、私は今きれいなところで食事を頂いているけれど、雲海さん今頃どうしているだろうと思い出す。いろいろ考え出すと、自分は皆からこんなに良くして頂いているのに、どうして雲海さんにお接待させて頂くことに気が付かなかったのかと、申し訳なく、情けなく、涙がこぼれました。
おかずのがんがらを見て、周ちゃん(長兄、二十二歳で交通事故で死亡)の事も思い出され、いろんな人の導きでこんな良い旅をさせて頂いていると思うと、胸が一杯です。
今日始めて、お大師様に自分のことをお願いするつもりです。
「お大師様、結願迄にもう一度、雲海さんに逢わせて下さい」と。雲海さんに逢えるのを楽しみに、お接待のお金を袋に用意し、リュックの中に入れました。
三時前に起きて、電気を消したまま波の音を聞きながら、灯台の灯が三つ見える海を見ていると、こんな所にいる自分が不思議で仕方ありません。毎日が映画のフィルムをゆっくり回しているようです。景色も人との出会いも流れていくのが良く分かります。
「月日は百代の過客にして行かふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老いをむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす」
思いもかけない奥の細道が頭に浮かんで、意味が頭ではなく、心で分かるようになり驚いています。太龍寺で西行の歌が浮かんだ時、私にも下手な歌ですが一句できました。
南無大師遍照金剛 唱うれば 大師はそばに おわしますなり
今日もまた、勿体無いお計らいの一日でした。
昨日、高知はとても遠い気がして、少し心細く思っていましたが、一日をこんなに過ごさせて頂き、また何の不安もなくなりました。ご安心ください。
四月十八日 午前四時三十分
国民宿舎鹿島莊にて
四月二十八日(金)晴
朝食が七時からなので、鹿島莊を七時三十分出発。
国道から少し反れ、海南町浅川というところに入り封筒を売っている店を探すが見当たらず、国道に戻る手前の雑貨屋さんで見つける。
九時、海南町郵便局前。そこで封筒の上書きを書き投函。海南町の町はずれを歩きながら少し寂しくなる。昨日、侑司や玲子と話をしたからか家が恋しい。
十時四十五分、宍喰に出てきれいな海でまた心が慰められる。町に出るほうがかえって寂しく、穏やかな自然を眺めていると心が慰められ、寂しさも無くなるのが何か不思議な気持ち。
少し湾になったところで、昨日頂いたふかし芋の残りを食べる。
ここの海は穏やかで、キラキラと海面に日の光の当たるのがまるで宝石をちりばめたようで、しばらく眺めるがちっとも飽きない。
いつも思うのですが、お接待で色々なものを頂くとき、それがその時欲しいものでなかったりすると、申し訳ないことですが、持つのに困ったり、歩くのに重いなと思ったりしてしまいます。ところが、何もないところでお腹が空いておやつになったり、飴玉一つで元気に歩けたりと、思わぬところで有難さが増します。これはきっと、まごころで下さったものだからだと思います。
宿の予約を取りたいと思い電話ボックスに行くが、ここはまだ徳島県なので、高知の電話帳がない。仕方なくまた歩き始める。
十一時半頃、トイレに行きたくなり、国道沿いの店で借り、ついでに食事。少し歩いて、十二時二十分、甲浦のトンネルの手前でまたトイレに行きたくなり、ミルクとケーキを食べる。ミルクを頼むと、店の女の子が変な顔をする。私もコーヒーを飲みたいのだが、トイレに行きたくなると困るので、いつも長い歩きで休む時はミルクを飲む。
トンネルを抜けたところで、きびなごを干している人に声を掛けると、色々高知について話してくれる。
徳島とは気風が違うと聞き、ちょっと心細くなる。
「今日は室戸までは無理なので、佐喜浜に泊まるところはありますか」と尋ねると、
「さあ、佐喜浜に旅館があったかな」
「本に佐喜浜に旅館、民宿数軒と書いてあるのですが」
「ほんじゃ、あったかもしれんな」あまり参考にならないやりとりの後、室戸に向けて歩き始めた。
泊まるところを予約せずに行くのは始めてなので心細いが、「大丈夫、行け」とのこと。昨日も加島荘へ泊まるようにとのお知らせにずっと歩いてきて、あそこに泊まったのが一番良かったと分かる。
ここから入木までの海岸線の長いこと。
行けども行けども何もなく、左は海、右は大きなきつい山が海岸までどっと迫ってきている。海と山に挟まれた国道を歩くが、太平洋の波が高くドドッと押し寄せ、車が時々通る外は何もなく、地の果てに向かっ
て歩いているようで、何とも言えない気持ちになる。
通っている車は、人が乗っているという感じではなく、ただの物体のようで、今まで感じたことのない孤独感を味わう。
今日は一日中経を唱え、前を見ず、下を向いて歩く。
前を見ると、見えるのは曲がりくねった海岸線が、どこまでも続いているだけで、やりきれない気持ち。
牟岐で「これから室戸まではずっと海岸線で、綺麗ですよ」と聞いていたが、とても恐くて、立ち止まりゆっくり海を眺める気持ちになれない。同じ自然でも、土佐に入った途端に厳しくなり、ここは自然と話をすると言うような気分ではなく、ただ自然の厳しさに恐れおののきながら歩く。穏やかな気候に育ち、そこに暮らしている、まして女の私には少し厳しすぎ、早く人のいるところに行きたい。
黙々と下を向いて歩いていると、おばあさん(といっても若い五十位の人)と母子の乗った車が止り、
「室戸の方に行くのですか。良かったら乗りませんか」と、親切に言ってくれる。お礼を言ってお断りし、また歩き始める。
二時四十分、伏越峠。一服して牟岐の近くでトイレを借りる時買っていたオレンジを一個食べる。少し歩いたところで、さっきの人が室戸の用を済ませたらしく擦れ違う。
車を止めて「大変ですね、頑張ってください」と、二千円手に持たせて下さる。その真心が嬉しくて、寂しく、恐ろしいようなこの道を、歩く勇気がまた湧いてきて、元気を出す。しかし何とも気の滅入る道である。
作品名:空と海の道の上より Ⅱ 作家名:こあみ