空と海の道の上より Ⅱ
「え!歩いているのですか」「はい」
歩いていると言うと、「何とかしましょう」と言ってくださりほっとする。
しばらく歩くと椎名海岸で漁師さんが大勢網の修理をしている。始めてみる光景にめずらしく「網の修理ですか」と尋ね少し話をする。何も聞かないのに親切に室戸までの道を教えてくれる。
ここでも「一人で寂しいじゃろ」「お大師様と一緒だから寂しくないです」と言っても本気にしてくれない。皆、口では一様に同行二人と言っても、本当に心からそう思っている人は少なく、残念に思う。
ごろごろ岩の海岸線を歩くが、今日は立ち止まって景色を眺める余裕が出来る。奇麗な海岸線で粗大ゴミを捨てている人があり、何とも言えない気分。
九時、室戸まであと八キロのところでちょっとしゃれた喫茶店。まだ二時間近くかかるのでトイレにもいきたいし、ここで一服。
荷物を下ろして座るとほっとする。海を眺めながらミルクとトーストを食べる。ふと気付いたことは窓越しに見る景色は歩いて眺める海とは全然違い、同じ景色なのに自然の厳しさというものが全然伝わってこない。ガラス一枚でこんなに違うものかと驚いている。
昨日歩いた野根から佐喜浜までの海岸と比べると何十倍も優しく思えるここでさえ、波の音を聞き潮風に吹かれて経を唱えながら歩く時、まだまだ自然の厳しさを感じる。だから昨日の道をもし車で通っても私が感じた孤独感、胸を締め付けられる思い、地の果てに向かうような何とも言えない、泣きたい気持ちを味わうことは絶対に出来ないと、改めて昨日の体験を有難く思う。
十時五十五分、岬の少し手前、お大師様が十九才の若き日に修業された御蔵洞に着き、
「法性の室戸と聞けど我住めば有為の波風たたぬ日ぞなき」とその時詠まれた歌を見る。
今は国道も通り、人も多く便利なところだが、昔は海と空が見えるだけ。何と厳しいご修業か。それに比べ、今でも野宿托鉢の人も大勢いるのに、私のこの遍路旅は何と易しい毎日かと申し訳なく思う。けれど、これ以上の厳しさについていけないのを知って、お大師様が私に出来る行を与えて下さっているような気がする。
御蔵洞からほんの少し行くと遍路道。急な石段を上りながら久しぶりの遍路道が懐かしく、息を切らせながら上るのに何とも言えない幸せを感じる。
二十四番最御崎寺でお参りを済ませ、境内で頂いた豆ご飯のおにぎりが、何とも言えず美味しい。二日ぶりのおにぎりがこんなに美味しく感じられるとは思いもよらなかった。再び泊めて頂いたことが思い出され、下着まで干して下さった奥様に改めて感謝の気持ちが湧く。
午後一時五十分、厳しい所を通ってきた私には、遊歩道や岬に行って見物したいという気持ちも起こらず、そのまま二十五番津照寺へ。
急勾配のスカイラインを歩いて下っていると、真下右のほうに室津の町がはっきりと奇麗に見える。海と山に挟まれたこの土地の自然の厳しさが手に取るように分かる。
山田さんの話では、最近はもうあまり大きい台風は無いけれど、室戸台風の時は大勢の犠牲者が出たとのこと。
津照寺がここの漁師や船乗りの航海の安全祈願のお地蔵様であることなど、海の厳しさと生活しているこの町の人のことが伺い知れる。
スカイラインを下りながら下を見ると目が眩みそうで、お大師様や仏様たちはこのように上から私達を見下ろし、助けを求め信号を出しているのをご覧になり救って下さるのだと思える。
二十五番津照寺にお参りの後、山田さん宅に昨日のお礼と神峰寺の宿泊のお願いに寄らせて頂き、奥様からお寿司をご馳走になりみかんまで頂く。山田さんのお顔を見るとまた涙がこぼれそうになる。
山田さんは毎年高野山においでになるそうで、
「今度はぜひお寄り下さい」と住所、電話番号を書いて渡す。
本当に昨日の山田さんは私にはお大師様のように思え、大変有難かった。
四時過ぎ山田さん宅を出、一時間ばかり歩いて今夜の宿、二十六番金剛頂寺へ。
本によるともう少しで寺に着けそうなので、国道から少し入った道端に座り込んでみかんを食べる。もう少しで宿に着き時間もまだあるという時、こんなところでちょっと一服して自然を眺めるのは、何とも言えない幸せな気分。
ご本尊がお薬師様なので今日もずっとご真言を唱え、皆様の病気平癒を祈りながら歩く。このところ歩いているときはずっと一日中お経を唱えています。
五時十五分金剛頂寺着。皆の代わりにたくさんのお線香をあげ、本堂でゆっくりお経をあげ、病気平癒のお願いをする。
一日の最後のお寺は気分的にゆっくりとして、そこが泊まるところだったりすると余計にのんびりとしてくつろげます。大好きな時間です。
本堂から少し離れた庫裏の方に回るとおもいがけなく奇麗なところで、感じの良い奥様に案内して頂く。興国寺の書院のような感じで回りに広い廊下、池に鯉が泳ぎ、欄間の入った天井の高い広い部屋で気持ちが良い。
早速お風呂と食事を頂き、先に来ていた若い女の人と一緒になる。タクシーで回っていて今日は二日目とのこと、もう一日車で回り、その先は歩いて野宿するつもりとの話に、私はビックリ。
食事の後、明日のお昼のおにぎりをお願いし道を尋ねると、もう一人歩いている方がいらっしゃいますからとのこと。斜め前に座っている男の人が歩いていると聞いて驚く。
暫く話すうち、一番に着くまでに電車を乗り間違え大変だったこと、三人連れになったが一人は途中で脱落、二人で回り、一度用があり家に帰ってまた来たこと、最初つまずいたため予定が狂い牟岐から室戸までタクシーで来たこと等々話しているうちに、私はお大師様や諸仏諸菩薩、家族の皆様の蔭の祈り、ご先祖様の徳のお蔭で何と有難い幸せな旅をさせて頂いていることかと、勿体無く思っています。
この方は広島の太田さんというのですが、
「明日ご一緒しましょうか」と言うと、
「貴方はいいよね、もう宿が決まっているのだから。私は連休に入るし泊まるところは無いしどうしようかと思っている」と言われる。同じように神峰寺に泊めて頂ければよいがそうもいかず、本に唐浜に民宿ありと書いてあるので、朝電話帳で調べ電話するようアドバイス。
そういう私も、その先大日寺迄四十キロ近くあり、宿のことが分からない。でも先のことを心配するのは止めて、お大師様のお計らいで何とかして頂けるだろうと安心して、お任せして従いていくだけ。
昨日のことで、本当に困った時には助けて頂けるという自信が出来ました。山田さんにお会いし、泊まれない神峰寺に泊めて頂けることだけでもお大師様のお蔭としか言いようがありません。
しばらく若い方も一緒に太田さんの部屋で話す。私の話を聞いて驚いていらっしゃいます。お大師様は同行二人、必ず守って下さいますと話させて頂きました。
四月三十日 午前五時
二十六番金剛頂寺宿坊にて
作品名:空と海の道の上より Ⅱ 作家名:こあみ