空と海の道の上より Ⅱ
私も、待っていてくれる皆様や御先祖様、そして困っている知り合いの人、お世話になった方全部と一緒にお参りさせてもらうつもりで、「さあ、一緒に付いて来て下さい」と心の中で声を掛けながら、お大師様に引っ張って頂くつもりです。
だんだんと一日のリズムも決まり朝七時出発。夕方六時前後に宿に着き、お風呂、洗濯。明日の準備が済むのがだいたい九時から十時、それから手紙を書き終えて、十二時前後から三時位まで熟睡。
三時から五時までは蒲団の中で体を休めながら色々考え、五時起床。時々忙しすぎて用意をしながら朝のお経をあげることもあります。
ずっとその繰り返しでしたが、ちょっとしんどくなってきたので、夜は少し早めに寝て、朝蒲団の中にいた時間に手紙を書くようにしてからは、ちょっと楽になりました。家にいた時には信じられないような生活に自分でも驚いています。
今日は早く着いたので宿までの間、日和佐の町をゆっくり、キョロキョロ眺めながら歩きました。とてもゆったりとした気分でした。初めての経験です。日和佐がとても気に入りました。
四月二十七日 午前六時 民宿弘陽荘にて
四月二十七日(晴れ)
今、地図を広げながら、よくもまあこんな所まで歩かせて頂いたという思いで一杯です。
出る前に、宗弘ちゃんが「日和佐まで遠いぞ。まあ行ってみよ」と言った言葉を思い出しながら、なんとも言えない気持ち。
昨日、私は、薬王寺に行くのに大浜海岸の方に折れずに、国道をまっすぐ薬王寺へと向かいました。そして宿に着いた時はもうくたくたで海岸に行く元気もなく(海岸がどの位のところにあるのかも知らず)、有名な海亀の海岸だけど、お参りが目的だから今日は諦めて、また次の機会にと思っていました。
朝、目が覚めて手紙を書き、食事までまだ三十分位あったので、外に出て海の方に向かって歩くと、海岸はすぐそば。海から上ったお日様を拝み、思わぬ海岸も見せて頂き、これもお大師様が「まあ見物しておいで」と言って下さったようで嬉しくなりました。
七時前、出発の支度をしながら思いました。今日泊まる予定の鹿島莊までは二十四キロ、今までのぺースで行くと少し早く着きそうですし、今日はお参りするお寺もないので、もう一度お薬師様にお参りしてからと思い、頭陀袋を出して玄関に出ました。
すると、ちょうど雲海さんも起きてきて、朝の挨拶。
「早いね。もう出発? 朝ご飯は?」
「お先に頂きました。どうも有難うございました」
「気をつけてね。すぐ追いつくけん」
「雲海さんもお気をつけて」
見送ってくれた雲海さんのニコッと笑った顔が、何とも言えないきれいな笑顔で、大人の、あんなきれいな澄んだ笑顔はあまり見たことがありません。一度に好きになってしまい、振り返ると、食堂からまだ見送ってくれていました。私もにっこり。
道々、ああ今、雲海さんは幸せなんだなあ、私が人から(お四国を歩いて回りたいと思っている人は別ですが)、何か、かわいそうに見られていたように、私も雲海さんのことを見ていたんだなあと、雲海さんを誤解していたことがよく分かりました。
何の不幸も悩みもなく、家族の祈りに見送られての旅でも、こんな何とも言えない気持ちになるのに、悲しみや苦しみを持ってお大師様に助けを求めそして答えて頂けたら、もうここから離れられないようになってしまうのだろうなあ。人からどのように見られようと幸せな人なのだ(雲海さんは小児マヒ)、など考えながらお経をあげていると、また涙。
家に電話した後、お参りをすませ、門前の電話で鹿島莊に予約を取ってリュックを背負いかけていると、後ろから「有本さん」と声をかけられる。振り返ると山本さん。
山本さんとは昨日ずっと一緒で、龍山莊でも私の方が早く発つので挨拶に伺い、足のまめの治療の仕方も教えて頂き、薬局のあるところまでの分とサビオをたくさん頂いたりしたのに、「山本さん」「有本さん」だけで、信仰の話やお互いの思っている事などはいろいろ話しましたが、どこから来たということ以外お互いに何も聞かずお別れ。お大師様が、その日のためにだけ与えてくだっさったお連れと思いながらも心残りのまま、今頃どうしていられるのかな、明日だろうな(今回は日和佐までと聞いていたので)、と思っていたので、声をかけられ本当にビックリ。
何となく気になっておられたのか、
「有本さんが結願になったら、ただそのことだけの報告でいいからお葉書下さい」と住所を書いて下さる。
そして、雲海さんのこと、山本さんが今なぜここにいるのかなど、お寺の前でリュックをかけたまま暫く立ち話。
最後に「お接待に」と日和佐で買ったらしい飴を下さる。私もお礼に住所の書いた納め札を渡し、十分ほどで私は室戸へ、山本さんは薬王寺のお参りに。何とも有難い出会いだった。事実は小説より奇なり、そんな言葉がピッタリくるような気がした。
国道を歩き始めると二十分程ですごくお腹がすく。昨日から朝ご飯を一杯頂くのに、歩き始めるとすぐお腹がすく。今日はお弁当も無く、もしお店もなかったら大変と、道沿いの喫茶店でコーヒーとトースト。
歩く距離が短く、早く着きそうなので気分がゆったりしているせいか、店の人といろいろ話す。「歩くことは命の洗濯ですね」の言葉に本当にその通りと思う。私は今、命の洗濯をさせて頂いている。でもこんな命の洗濯の機会が、一生のうちでもう一度あるかしらと今の自分を有難く思う。
「海南町まで車でいくけに、乗らんかね」と、軽トラックのおじさんが声を掛けて下さるが、お断りしてまた歩き始める。
牟岐の町に入る少し手前でも、道のお地蔵様に手を合わせ歩きかけるとすぐ、急に車が止まりまたお金のお接待を頂く。
私は初めから、自分のお金と、頂いたお接待のお金は別にしています。皆さんは「お茶でも飲んでください」と言って下さるけれど、勿体無くて使えない。これはお大師さまへのお供えをお預かりしているものと思い、最後に奥の院にお供えできればと思っています。が、今は私のお守りの様な気がします。
十二時半、牟岐駅前。おいしいお昼を頂く。めしやと食堂をあわせたようなところで、おかずが棚に並んで好きなものを取るようにしてある。きゅうりと魚とたこの酢の物、冷や奴、ポテトサラダ、太刀魚の塩焼き、お腹が空いていたのでいっぱい取ってしまったが、全部きれいに食べる。久し振りの家庭料理の味で、本当においしかった。幸せな気分。
出るとすぐ、隣の店の人が弾んだ声で、「お遍路さん、お接待したげる!」とふかし芋を持ってきて下さり、一緒にいた人にも百円頂く。何もせず、お遍路姿で歩いているだけで、こんなに頂いて申し訳なく思っていると、ふと山本さんの言葉を思い出す。
「お母さんが昔お遍路さんにお接待した分、今貴方が頂いているのですよ。あげて頂いて、差し引きゼロですよ」と言われたが、本当にそんな徳も頂いているような気がする。
三時十五分鹿島莊着。リアス式の曲がりくねった美しい海岸で、見えているのになかなか着かない。
作品名:空と海の道の上より Ⅱ 作家名:こあみ