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空と海の道の上より Ⅱ

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四月二十六日(水)晴

今日は本当によく歩きました。
二十二番から薬王寺迄なんと三十八キロも歩いたのです。でも土地勘の無い私には、どれ位歩いたのか見当もつきません。
最後のところで、日和佐の町は左手に見えているのにお寺に着かず、とうとう疲れ果てて、
「あとどの位ですか」と自転車に乗った人に聞きました。すると、
「すぐそこ、信号の見えている右ですよ」とほんの百メートル位先だといわれて、ほっとしました。

 午後四時、薬王寺着。
宿も決まっていたので、お薬師様の前で心経十一巻を余計にあげました。
昨日電話で菊屋さんのお婆ちゃん、坂口さん、松本のお婆ちゃん、それに茂田さんのこともお願いしておくよう聞いていたので、お線香、ローソクも皆さんの分もたくさんあげて、お薬師様に病気平癒のお願いをしました。
昨日電話してから、今日のお経はお薬師様のご真言にしようと思って、朝から唱えられる限り一日中、オンコロコロセンダリマトーギソーワカと唱えながら長い国道を歩き続けました。

 私には、同じ道でも徳島のような町中よりも、こんなところの方が疲れが少ないような気がします。
同じような山また山の景色ですが、自然はあきがきません。疲れると、立ち止まってお杖を顎に当て景色を眺めたり、座ってお茶を飲んだり。
 日和佐までの国道は本当に何もない所です。車の走る横を、ご真言を唱えながら黙々と歩き続けました。道の途中、奇麗な死にかけの蝶を見たのですが、何だか可哀想になり、蝶の為にお経を唱えながら少しの間歩きました。歩きながら死んでいるカエルやミミズを見かけますと、お経を唱えるようにしています。こんな気持ちになれるのも歩いているお蔭と思っています。

 景色の良い道端で食べたおにぎり。柳水庵で頂いたお煎餅で、鶯の鳴き声を聞きながら美しい山を眺めての午後のティータイム。何とも自由で気持ちの良いものです。これが本当の贅沢なのかもしれません。
国道沿いに何軒かある喫茶店に今日は入る気にもならず、疲れたらお煎餅とお茶、お天気なのでリュックを降ろして腰を下ろせるのが、何とも有難い。
四国へ来てから、お天気は有難いし、雨もまた濡れますが汗をかかずに有難いと何でも感謝出来るようになりました。

 旅は人生そのもの、本当にそんな気がします。まるで大自然の映画を見ているようです。
今日一日をとっても、朝は杉木立の中を歩き、そのあと竹林の中、そして車の走る国道、海の見える奇麗な札所、過ぎてしまえば夢のような一日です。これが車で来ていると速すぎてとてもそんな気分は味わえないと思います。

 薬王寺でお経の本やらお袈裟を出して拝む準備をしながら、ふと、何をするにも少しも億劫にならない自分に気付きました。今までだったらリュックから出したり入れたり、それから何か忘れても、ああ面倒臭いと思っていたのが何とも思わず当たり前のことに思え、これはきっと車に乗ったりすると気ぜわしく、だんだん不精になるんだなと思いました。歩くようになってから昔の人のまめなのが理解できるようになりました。でも帰ってまた普通の生活に戻ったらきっと元に戻ってしまうような気がします。惜しいですが仕方の無いことかもしれません。
便利で忙しすぎると心が忘れられ、右往左往している間に何も考えず一生を終ってしまうのでしょう。いろんなことを考えるこんな貴重な時間を頂いていることを改めて有難く思います。
そんなことを考えたり、景色を見たりして歩いていると、一日一人で歩いていてもちっとも退屈することがありません。だんだん心が澄んできて色々なものが見えるようになって来るのが自分でも分かります。まるで濁ったコップの水がだんだん漉されて奇麗になるような感じです。

 今日は本に書かれていた民宿に泊まったのですが、来てみるとあまり奇麗でないところ。ここは国民宿舎もあるのにとちょっと後悔しましたが、お大師様やもっと難行している方に比べれば勿体無いことと、お風呂に入れて頂くうちに気分が変わる。

 食堂に行くと男のお遍路さんが先に食事をしている。お酒を飲んでいるので、嫌だなと思いながら少し離れた席で食事をする。宿の人に明日の予定の立て方を聞いていると横から話に加わり、それから色々と話をする。
「巡礼の心」の本に載っているような、年中お遍路で生活している雲海さんという人で、お遍路さんでは有名な人らしいのです。
二十一年間も遍路生活を続け今、百三回目とのこと。乳母車に幟を立て、紺の半被を着て歩いている。乳母車にはラッパを付け、網代笠のまわりには金の納め札をきれいに放射状に貼り付けている。また乳母車の中には毛布やら所帯道具が全部揃っている。
私の疑問に思っていることや興味のあることを尋ねると親切に教えてくれ、色々勉強になり疑問も解ける。しまいに乳母車の中も見せてもらい、錫杖まで振って見せてくれる。今でもそんな人のいることを知って驚いています。
今日はこの人に会うためにお大師様がここに泊めて下さったのかもしれない。お大師様は私に遍路の全てを教えてくれているような気がする。そして、毎日楽しい変化を与えてくださる。本当に何もかもおはからいに思えて仕方ありません。自分でも不思議な気がします。

 明日は室戸までの間泊まるところが色々あるようですから、少し歩いてから計画を立てるつもりです。お弁当をお願いすると「ここからはずっと食べるところもあるし、痛んでも」と言って作ってもらえそうにない。これも明日はどこかで好きな物でも食べなさいとのおはからいと思い素直に引き下がる。

 二十二番平等寺で、横で話していた人が「次までは三十分ですから」といっていたが、車で三十分のところを私は七時間かかりました。でも、やっぱりそれだけ、いやそれ以上値打ちがあるように思います。車の人が落としていったものを一つ一つ拾い集めながら歩いているような気持ちです。
 一つとても嬉しいことがありました。国道を歩いていると前から観光バスが来たのですが、そのガイドさんが私の姿を見て、手を合わせ拝んでくれたのです。思いがけないことに勿体無くて涙がこぼれました。四国の人はお大師様のお蔭で本当に良いお徳を積めて幸せだなと、羨ましくなりました。

 苦労して札所に着いた時の嬉しさは何とも言えません。
西行法師の歌に、これはお伊勢さんのことを歌ったのだと思いますが、
「何事のおわしますをば知らねども かたじけなさの涙こぼるる」
こんな歌がありましたが、その気持ちが良く分かります。歩いていると心が洗われ、だんだん澄んでくるのが分かります。

 宿の人や雲海さん曰く、
「ここに来る頃には何人かの人は足を痛めて歩けなくなり車で帰ることがよくある。今年だけでももう三人知っている。それでなくてもここに着いた頃にはすっかり疲れ切った顔をしている。あなたはとても元気そうだ。それなら八十八番大丈夫」
 しみじみとお大師様、そして家で無事を祈って毎日拝んで下さっている皆様のお蔭と思っています。
作品名:空と海の道の上より Ⅱ 作家名:こあみ