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空と海の道の上より

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私は持ってきたお金、使ったお金、全部付けているので財布の中を全部見せれば分かるのですが、そんなことをするのも嫌なので、「知りません」と言って山道を上る。
 嫌な気持ちだったが気分を取り直す。途中からまた遍路道がありとても急な坂道。上っていくと、すぐ上で立ち止まり休んでいる人がいる。
「立江からおいでたのですか」
「そうです。寺の近くで擦れ違ったのですが早いですね」と、この方は私が立江寺に入っていったのを知っていた様子。遍路姿ではなく普通の服装なので私は気が付きませんでした。
 ここから太龍寺に着くまでずっと山の中を一緒に歩く。六十才前後の品の良い東京の方で、歩いていく内だんだん信仰の話になり楽しく過ごす。
この方は、いつもはお昼まで歩いて宿を決め、それからゆっくりその近くを見物して、三時頃宿に帰り、翌日、昨日歩いたところまで戻りそこからまた歩き始める。そんな繰り返しで最後までお参りしたいとのこと。今日も鶴林寺迄の予定が、泊めてもらえないので仕方がなく次まで一緒にというお話でした。

 いつもだったら私はお昼までに宿の予約をしておくのだが、鶴林寺のお坊さんの「今日は空いているから大丈夫」の言葉に予約せず二十一番太龍寺へ。
 午後四時二十分、太龍寺着。私は拝む時間が長いので、「先に下って下さい。後を追いかけます」と別れる。それからゆっくり拝んで納経所の前のリュックのところに戻ると、
「龍山荘、お寺より部屋二つ予約してもらいました。安心されたし。先にそろそろ行っています」のメモ。
安心してお納経をして頂くと、「もうお金は入りません。お接待します」とのこと。

 ここはお大師様がお若いときに修業されたところで、西の高野と言われ杉の木が多く、本当に何となく高野山の雰囲気がある。お大師様ゆかりのお寺でお接待を頂いて嬉しくて、下の宿までずっと南無大師遍照金剛を唱える。途中何度も涙が溢れ、しまいに声を上げて泣いてしまいました。

 昨日からずっと思っていることですが、お父さんは網代笠を高野山で買った時のことを憶えていますか。
みろく石から、本当だったら車で数珠屋四郎兵衛さんまで行くところ、途中、道を直していたので歩いて行きましたね。それで、私は通りの店でこの網代笠をちらっと見つけていました。
四郎兵衛さんには気に入ったのが無く、結局戻ってこれを買いました。お杖も一緒に買うと、
「歩いて行かれるのならお杖は差し上げます。気を付けて行って下さい」と言われました。今になって気付くのですが、あれが最初のお接待だった。そしてこの網代笠は、お遍路に出るのにお大師様が私に持たせて下さった「はなむけ」だったのです。
 そう思いますと、この笠のお蔭で(こんな笠を被っている人は滅多にいないので)、とても目立ち、見ただけで歩き遍路と分かり、私はどんなに皆様に親切にしてねぎらって頂いているか分かりません。これがお大師様の本当の弟子にならせて頂いた証のような気がします。
書いていても涙が溢れて困ります。あの時、前の道を直していなかったら、歩かず、四郎兵衛さんのところまで車で行っていたと思います。色々なことが偶然重なっているように思っていたのですが、そうではなくてお大師様がそのようにして下さっているのだと思います。

 考えますと、今日のお連れの山本さんも本当は鶴林寺に泊まる予定を組んでいたのに、お寺で断られたため太龍寺までとのこと。この方は十数年前、お大師様が修業されたお寺というので行きたくなり、ここに何日かを過ごされたそうです。話の中で、
「ずっとお寺で泊めてもらったんだけど、あの時は何で泊めてもらったんだろう。もう憶えていないなあ」とおっしゃる。そんなにもお大師様に対する思いの深い方なのかと改めて感じました。
そんな方と一緒に太龍寺へ。それはお大師様が、明日からの二十二、二十三番を通っての室戸への前に、一日の連れを与えて下さり、そして今朝一番の恩山寺から立江、また最後の太龍寺から麓までは、一人でお経を唱える時間を与えて頂き、全ておはからいによって連れていって頂いているように思えます。

 嬉しくて勿体無くて、私はもうただただお大師様が懐かしく、恋しくて恋しくてなりません。まるでお大師様に恋しているような気持ちです。歩きながら考えるのはお大師様のことばかり、本当に同行二人で連れて行って頂いています。
 家を出る時、ドライヤーや化粧品を持っていこうとして、宗弘ちゃんに「そんなもの置いていけ、そんなことでお参りできるものではない」と笑われましたが本当です。お昼はどこかで美味しいものでも食べてなどまるで物見遊山のようなことを考えていたのが、今ではどうしても必要でない限りお店に入って美味しいものを食べたいとは思いません。
宿で朝晩はご馳走を頂きますが、お昼はいつも作って頂いたおにぎりを道端かお寺で食べています。
帰ったら、また前と同じ生活に戻ってしまうかも知れませんが、遍路旅の間はお大師様の弟子として恥ずかしくないよう、そして弟子と認めていただけるよう日々を送りたいと思います。

 泣けて泣けて仕方がないのをどう表現したらよいのか分かりませんでしたが、色々話をしていると山本さんが、
「それを法悦の涙と言うのですね」と言われました。その言葉が私の心にピッタリときます。日に何度となく法悦の涙を流しています。
 ただアスファルトの道を歩くと本当に疲れ、足が痛く辛い思いをしています。夜、見ると両方の小指に大きな豆が出来ています。それでも朝はとても元気です。
朝は颯爽と(自分ではそう思っています)、夜は足を引き摺りながら宿に着きます。毎日感謝と喜びの生活を送っています。

 家では皆様が毎日祈って下さっているのを聞き、有難くて涙が出ます。それは皆こちらに届いて、本当に何の心配も不安もなく過ごしています。
「寂しくないですか?お一人で偉いですね。お若いのに」とよく言われますが、お大師様と一緒にいるので何の寂しいことも恐いこともありません。安心して、楽しく、人様と一緒にいる時より気持ちが浮き浮きしています。自分でも有り難すぎて冥加に尽きるのではないかと恐ろしいくらいです。本当に感謝します。こんな毎日ですからどうか心配しないで下さい。

 太龍寺にお大師様の言葉が書かれていました。
 一、難行苦行とはいかなる難をも難とせず、いかなる苦をも苦と思わず、道を切り開いて進むことなり。
 一、一家円満はすべての事の一歩なり。一家円満とは我を捨てて和をもって一同に仕え当ることなり。
 一、人の振りみて自分の心の悪を直せ。
 一、人の心自分の心ともに相い助け合うべし。
 一、何事に対しても誠意をもって当るべし。人から
は感謝の念で受けるべし。
いかなる難の者、いかなる苦の者といえども、
弘法大師はこの心に従うものを助ける。
この言葉を噛み締めています。
作品名:空と海の道の上より 作家名:こあみ