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空と海の道の上より

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 四国には「遍路道保存会」と「四国のみち」という立て札が、遍路が歩く道でややこしいところには到る所につけられていて、これもまた、歩くのに本当に役立ち、どれだけ助けられているか分かりません。十七番井戸寺迄はこんな道を楽しく歩きました。

 朝はとても元気で、笠を被りお杖を持って歩いていると、なんだか雲水になったような気分で一人はしゃいでいます。それで札所で他のお遍路さんが、
「雨で歩くのは大変でしょう」とねぎらって下さいますが、本人はそれほど苦には思っていません。かえってバスでお参りする時雨だったりする方が、嫌な気分になるような気がします。

 歩くことは素晴らしいことです。何時間か、何も考えず淡々と歩いていくと急に札所が現われた時の嬉しさは、何ともいえないものです。本当にお寺に行くのではなく現われるという感じなのです。今までもよくお参りに行きましたが、お寺の前でこんなに有難い気持ちになったことはありません。
 歩く時の状態は、お経を唱えている、人生について考える(自分のことではなく一般的な意味です)何も考えず黙々と歩く、大体こんなところです。
 私にはお寺からお寺へ歩いている時が本当の行のような気がしてなりません。
昨日は日曜だったので、バスや自動車のお遍路さんが数え切れない程通りましたが、ちらっと通り過ぎるのを見ると、皆よく眠っています。
私はお寺からお寺への間に、仏様やお大師様から色々な教えや鋭い感覚を与えて頂いているような気がします。何ものにも変えがたいことです。
人様には難行に見えるかも知れませんが、これは本物の楽しみなのです。レジャーと言われるようなものは足元にも及ばないように思えます。

 車のお接待はよく止まってくださいますが、いつもお断りしています。でも昨日は車には乗せてもらえないけれど、荷物だけのお接待があったらどんなに助かるかと思っていました。すると今日、十七番から十八番(二十キロ、途中お店で二回休憩して五時間五十分かかった)の間に、車のお接待を言ってくださった遍路参りのタクシーの運転手さんが、
「じゃ、荷物だけ先に届けておいてあげましょうか。」と言ってくれました。でも、よう預けませんでした。
九十九%持っていって欲しいのですが、一%の不安の方が大きくて。もっと疲れていてどうしようもなくなった時にはお願いするかもしれませんが、元気に歩けるうちはやっぱり自分で持っていきます。

 昼前に井戸寺の納経所の軒先でおにぎりを食べ、徳島に向かって歩き始めました。町中に入ると好きなものですからつい、美味しそうなケーキ屋さんが目に入り、そっちの方に心がいってしまい今日はお大師様にお会いできませんでした。何度か店に入ろうと思うのですが(ケーキを食べるためではなくトイレの必要から)、ビショビショの合羽姿に網代笠と杖、気が引けて入れません。それで余計通りの店が気になります。でも恩山寺までまだ遠いので思い切って入ってミルクを飲みました。
昨日焼山寺を下りたところのうどんやさんで借りたトイレは上にあり、仕方がないので靴下を脱ぎ用を済ませ、またびしょ濡れの靴下と靴を履いた時はさすがに情けなくなりました。
 四国の人はお遍路さんを嫌がらずとても大切にしてくれます。道を聞いても親切で、最後には必ずと言っていいほど「お気をつけて」と言葉をかけてくれます。
子供たちも「お早ようございます」「こんにちは」と挨拶をしてくれ、お遍路さんが生活に密着しているように思います。

 町で見かけた店で遅まきながら防水スプレーを買ったら、奥さんが「お遍路さんなら進呈します」と言われお接待を受けました。また、道で立ち止まって地図を見ているとおじさんがそばに寄ってきて黙って十円玉を差し出してくれます。お礼を言って受け取りながら、こんなことをしている自分が不思議でなりません。もう、すっかり遍路姿も板に付いて、お接待も素直に頂けるようになりました。お返しのつもりのお経も必ずあげています。

 十六番観音寺の奥様が井戸寺のそばの宿を教えてくださり、立江迄行けないかなとまだお昼の時点では迷っていたのですが、せっかくのご好意と素直にその通りにしましたら、思ってもみなかった感じの良いところで、何もかも行き届いていて有りがたく思っています。
 自分であれこれ思案しすぎるより、素直にならせて頂いたら、本当にお大師様がチャンと用意を整えてくださっているのが分かり、勿体無い思いでいっぱいです。色々考えながら歩いていると何度も思わず涙がこぼれます。

 四国に来てからはいろんなところを回っているせいか、お寺でも宿でも、入ってすぐに雰囲気でそこの人の人柄とか考え方など分かるような気がします。
お寺など、お経をあげ納経をして頂き、ゆっくり眺める余裕もなく四十分ほどでまた次に向かうのですが、それだけでも何となく人柄が分かる気がします。

 書きたいことが一杯あるのですが、目がしょぼしょぼしてきます。昨日まで気が付かなかったのですが、顔が腫れているのか、人相が変わったような気がします。鏡で見ると目が少しつりぎみで、頬がやや直線的でおかしな顔です。会う人は年が分からないらしく、「お若いのに」とよく言われます。今日の宿のご主人など二十七、八なのにと言われ、もう誰にも年のことは言わないことにしています。 今日はこの辺で。

 四月二十五日 午前零時十五分
恩山寺麓 ちばにて


 四月二十五日(火)快晴 
 
 朝七時、恩山寺を出て太龍寺麓にある民宿に着いたのが午後六時三十分。
昨夜お世話になった宿のご主人夫婦や、宿にいた近所のおじいさんがとても感じの良い人たちだったので、立江に着くまでの間お礼の気持ちを込めてずっとお経を唱えながら歩く。本に一時間十分(四・七キロ)と書かれているところを四十五分で着く。

 昨日もそうですが、今日もお寺で私がお経をあげている時、お遍路さんが少なく気持ちよくお経をあげられた。そして立江でお納経をしてもらっていると、納経所の方が、
「先程一人歩いていかれましたよ。でも今からじゃ追いつけんじゃろうな」と言われた。今日は朝から歩きながらお経をあげている時も、本堂でも急に涙が溢れ止まらなくなることがよくあります。

 八時十分、充実した気分で鶴林寺に向かって歩く。
川沿いのきれいな道を、雨に洗われた緑の山々を眺めながら。昨日の徳島市内は雨。こんな景色の良いところで天気になり、そして風も冷たく、今日は今までで一番のお遍路日和、嬉しい弾んだ気持ちでした。
本によると、山に登る手前の標識通りに行かず、まっすぐ山の道を行くよう書いてあるので、角のお寿司屋さんに聞くが「知らない」と言われる。それでお寺に電話して確かめると、「今、そこは通れません」とのこと。店の人にそのことをお礼とともに伝えると、何か態度がおかしい。
私は店の前にリュックを置いて電話していたのですが、もう一人の人が何か捜し物の様子で、私に「この辺にナイロン袋落ちてなかった?」と聞き、「知りません、何か大事なものでも?」と尋ねると、お金七万円ほどとのこと。そして、私を疑っている様子。
作品名:空と海の道の上より 作家名:こあみ