端数報告5
間にそれがあることで人が油断できるもの
水島(松重豊)「府警と県警がガッチリ手ぇ組んどったら犯人逮捕できたかもしれへんのや。この日の攻防がギン萬事件最大の山場で、犯人逮捕の最後のチャンスやった。ウチらもなあ、今度こそようやく逮捕やっちゅうんで、原稿用意しとったんや。まだとってある。でも、実際に出したのはこっち」
阿久津(小栗旬)「ずいぶん厳しいですね」
水島「このころは警察も秘匿主義にイラついとったからなあ。事件発生から8ヵ月。上からとにかく『記事書け』言われるやろ。他紙に後れとっちゃならん。スクープ合戦や」
阿久津「犯人は、警察とマスコミを翻弄して、騒ぎを大きくする裏で、株で儲けて、ドロン」
水島「それがほんまやったらやりきれんけど、どうもひっかかんねん。この大津のんときは、ほんまに現金奪りにきとったんやないやろか」
阿久津「え?」
水島「警察の裏かいて、こんだけ転々と場所変えて。株価操作だけやったらこんな大がかりな計画必要あるか?」
阿久津「うーん」
アフェリエイト:罪の声映画版
「ふーん」
と思いつつ、おれがこの場面を見ながら何より気になったのは松重豊演じる男の、
《まだとってある。でも、実際に出したのはこっち》
画像:新聞記事AB
のセリフである。何を言ってやがるんだ、そんなバカな話があるか、と思いながら画を戻してふたつの新聞をよく見ると、
画像:日付部分拡大
あ、日付が違っている。なるほどね、そりゃそうだろうな、と納得もしたのだけれど半分しか納得できん。これを読んでる皆さんの中に、ふたつの日付が違うことの意味がわかる方はいますか。
おれはもちろんわかるんだけど、事件についてよほど詳しく知る者でなきゃ、この映画のこの場面の《実際に出したのはこっち》の記事がおかしいのに気づかんだろな。小栗旬と松重豊はわかったうえでこの芝居をしているのか。
そこが気になるところだが、1984年11月15日の新聞に実際に載っていたのは、
【かい人21面相が6月に丸大食品を脅迫していたことが判明! 警察は今までそれを隠していた!!】
というような記事のはずである。ウィキにそれは、
*
森永製菓脅迫事件が発覚した後の11月になって犯人がマスコミへの手紙に高槻市の食品会社を脅迫したとし「わるでもええ かい人21面相のようになってくれたら」と丸大食品のキャッチコピー「わんぱくでもいい たくましく育ってほしい」をもじった言葉を使ったことで、犯人が丸大食品へ脅迫したことが暴露されたため、丸大食品への脅迫が世間に知られるようになった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%83%BB%E6%A3%AE%E6%B0%B8%E4%BA%8B%E4%BB%B6
こう書かれ、『「最終報告」真犯人』に、
画像:真犯人127-128ページ
アフェリエイト:森下香枝真犯人
こう書かれる。丸大への脅迫が発覚したのが2日前のことであり、ハウスの件を知らぬ世間はそのスクープに騒然としていた。
わけなんだけど、エンデンブシという作家は事件について調べながらこのポイントを完全に見落としていたとしか思えない。マスコミの視点で書かれたものしか読まず、【一般市民がどう見ていたか】に頭が及ぶことがないのだ。大衆はブタで、自分が与える情報をむさぼり食らわすものでしかない。もちろん犯人の身になってものを考えることもなく、マスコミの論理だけで物事を決める。マスコミの考えだけが常に正しい。
ということにしてる。だから落とし穴にもはまる。前回のログを例によって、原作本をおれはざっと読んだだけで書いたんだが、あらためて読み直すに症状は最初に診たより深刻だぞ。
――と、おわかりのことと思うが、ケーブルテレビで放映された『罪の声』の映画版をおれは見てみた。すると丸大、いや、又市食品の話がほとんどすっ飛ばされている。そして前回にここで見せた、
《間に又市を入れたのは、製菓会社だけを標的にしたものではない、と萬堂を油断させるためでした》
が犯人の告白にない。
さらにこんな、
画像:6企業のロゴ
画を見せられて、前回見せたこっちの画とはどうも会社の並びが違う。
画像:罪の声電子書籍版試し読みページ発生順
アフェリエイト:罪の声
脅迫された企業の名は発生順に、
ギンガ>又市>萬堂>ホープ>鳩屋>摂津屋
であったはずのものが、
ギンガ>萬堂>ひな屋>又市>ホープ>摂津屋
と変えられているらしいのだが、しかしそうはハッキリ言わずに曖昧にぼかされている。
又市食品がどの順でいつ脅迫されたか示す描写や説明がない。
実際のグリ森事件の流れの中で〈キツネ目の男〉が最初に現れたのが丸大の脅迫。それを示すシーンはあるが、それがいつ、事件のどの段階なのか説明するものがない。事件を知らずにこの映画をただ見る者は、〈キツネ目の男〉がどの企業の脅迫の際にどう出てきたかわからんだろう。
なぜこいつがそんなに不気味な存在のように言われるのかわからんだろう。全部ぼやかされているから。もちろんこれが、
画像:罪の声323ページと奥付
ダメになったものだから。おれが図書館で借り出したのがこの写真にあるように初版から半年後に出た十刷目だが、これの少し後くらいに、
【間に又市を入れたのは萬堂を油断させるため】
が有り得ないのを指摘する者が出たんじゃないかな。今に出ている文庫版や電子書籍版ではおそらく、この部分は別の文に変えられてるんじゃなかろうか。
たぶん、【カモフラージュのため】とでもしてあるんじゃなかろうか。主人公の新聞記者・阿久津が、
「目的が株価操作なのを隠すためのカモフラージュ……」
「そうです」
てなふうにでもなってんじゃないかね。まだこの方がマシでもあるしな。
が、しかしこのミスは、それだけでは解消しない。ハウス、いや、ホープ食品の件がある。映画版で松重豊演じる男は、
「どうもひっかかんねん。この大津のんときは、ほんまに現金奪りにきとったんやないやろか」
と言う。ホープの脅迫。それは最大の山場だったが、
「警察の裏かいて、こんだけ転々と場所変えて。株価操作だけやったらこんな大がかりな計画必要あるか?」
と言う。うーん。うーんですねえ。その話もうーんだけど、それを言うなら丸大、いや、又市もそうだ。ギンガに次ぐ又市の脅迫で、犯人一味は黒澤明の『天国と地獄』を真似たやり方で、ほんまに現金奪りにきとったんやないやろか。
そこはひっかからんのか。え? おれが撮って見せた写真にもあるではないか。あれがお遊びなのか。6月28日の件で〈彼ら〉は現金を奪うため大津以上に危ない橋を渡っているではないか。それをなかったことにするのか。
そう、なかったことにする。映画版はここを曖昧にぼやかして、そもそも話から消してしまい、又市食品がどう脅迫されたのか見る者に教えない。