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端数報告5

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事件のヒントは1997年にあると見ることもできます


 
画像:千円札
 
まず前回のおさらいからいくが、この写真はもちろん三脚を使って撮ってる。こういう写真を撮るときは三脚を使わなければならないことをおれは知っているからそうする。
 
おれが若くて写真を趣味にしていた頃、てのは1990年代だが、その頃のカメラ雑誌に〈サンダー平山〉という名前でいわゆるカメラ小僧向けの文を書いてた人がいて、1997年に出した本に、
 
画像:FOCAL FAST FIXED
画像:FOCAL FAST FIXED表紙
 
こんなこと書いていた。当時はデジタルカメラと言えばカシオのF-91W、じゃなくてなんとかいうのからたいして進歩していなかった。そしてさらにそれより前の、グリ森事件の1984年には最初のAF一眼レフ、ミノルタα-7000さえも発売されておらず、人は眼で見て自分でピントを合わせなければならなかった。
 
そしておれに言わせれば、
 
画像:札を撮る刑事達
 
前回書いた通り、人がこの画面全体にピントを合わすのは至難の業だ。おまけに椅子の上に立ち、前屈みになるなんて不安定なやり方をしている。これではおそらくフラッシュの重みのために知らず知らず、
 
画像:フラッシュを付けたカメラ
 
内向きに角度をつけることになり、どれか一列にピントが合っても他はボケボケとなるのは必定。
 
そして当時は現像し、印画紙に焼いて初めてそれに気づくわけである。これは再現ドラマだからほんとに当時警察がこの通りのことをやったかわからない。十万札すべてを撮って6667枚の使えぬ印画紙の山をこしらえたのか、刑事部長の鈴木邦芳は「よろしく頼むぞ」と言いながら腕組みして見ていたのか。
 
それはわからない。やらされた刑事の中に、
「あー腰が痛え。これおかしいで。要求がケタ違いなのにマニュアル通りをやってもしょうがないのとちゃう?」
と言う者はいなかったのか。
 
わからないけど、ウィキの記述から察するにねえ。しかし何より鈴木邦芳。この男はもともと〈警察〉の人間でなく〈警察庁〉の人間だった。前回見せた『キツネ目』の本の、この男について書かれたくだりをもう少し長く見せると、
 
画像:キツネ目66−67ページ2
アフェリエイト:キツネ目
 
こうなっている。グリ森事件の後ほどなくして〈サッチョウ〉に戻り、その後はずっと肩身の狭い思いをしたものらしい。
 
気の毒と言えば気の毒だが、『キツネ目』の著者はこれをもって、
「この苦労人に辛い思いをさせた犯人どもは断じて許せん。人でなしどもめ」
という感じで、そう書くことで、
 
画像:トニーたけざきのガンダム漫画72ページ アフェリエイト:トニーたけざきのガンダム漫画
 
このような陶酔にひたる。グリコのおまけのようにちっぽけで手軽な正義を集め、それで満足の矮小な男。そのようにおれには見える。
 
自分こそが世の良識の代表だ。
 
良識に満ちた男。言うなれば良識の化身……。
 
良識の権化なのだ! という、それでいい気になれる人種はいい気になれていいだろうけど、おれの書棚に同じく1997年に出た『ミステリーファンのための警察学入門』というムック本があり、警察庁の説明が載ってる。それによると各都道府県の警察は〈自治体警察〉でその人員は地方公務員なのに対して警察庁はそれを管理監督する国家機関で、属するのは国家公務員。基本的に事務職であり、官僚の集団であり、その庁舎は、
 
画像:ミステリーファンのための警察学入門81ページ
画像:ミステリーファンのための警察学入門表紙
 
こんな人間の巣窟らしい。
 
繰り返すが、おれが持ってるこの本が出たのは1997年。『踊る大捜査線』の最初の連ドラが作られた年だ。大蔵省のキャリア官僚がノーパンしゃぶしゃぶで接待を受けたとかいう話が取り沙汰されたりして、キャリア批判が高まった年。実際にキャリアが相当ノボセあがっていたはずの頃で、批判を真摯に受け止めるどころか、上祐史浩なギャンギャン声を張り上げるばかりだったという。
 
今は少しは変わっているのかどうか、わからないけど鈴木邦芳が入庁した1962年はそうでもなかったのか。しかしその後にたとえ試験に合格しても東大か京大を出ねば入れぬ場所となった。鈴木邦芳はその中で、
 
 
   「あの人は三流大出だから」
 
 
という眼で見られる。人をそういう眼でしか見ない組織の中でただでさえハンデを背負っている人間が、大きな失敗をすればその後の官僚人生は闇。
 
なのだとしたら気の毒だが、しかしおれの関心は、そもそもそんな人間がグリ森事件の捜査指揮官になったことだ。普通に考えて適切な配役とはとても思えず、実際に最初の誘拐の時点では、
「よろしく頼むぞ」
と言う以外ほんとに何もしとらんのじゃないか。これが普通の誘拐と変わらぬ、借金に困ったボケが子供を攫うようなものなら十億プラス金塊のうち、ほんのいくらか持てる分だけ抱えて逃げるのを押さえて落着。やれやれ、大山鳴動してなんとやらだったねということになっておしまい。
 
だったのかもしれないけれど、あいにくそういう事件じゃなかった。なのに間違った人間が指揮を執り続けてしまった。
 
それが捜査の迷走の一因。と言うより最大の要因。元凶にして諸悪の根源だったのでないかというのがおれの邪推するとこで、警察庁の長官とか次官とかも案外鈴木に手柄を立てさせて一流大出の若い思い上がりどもの意識をちょっとは変えさせたい考えがあったりしたのかもしれないけれど、
「鈴木、頼むぞ」「とにかく頼むぞ」
と言うばかりじゃダメだった。ますます怨恨だ戦前だ、江崎勝久の弟だ、株価操作だ被差別部落だ北朝鮮のスパイだ連合赤軍だ。そして警察の中に仲間がいるんだいるんだいるんだ……。
 
となって、現場の刑事を、
「こいつが仲間なんじゃないか」「いや、こいつが仲間じゃないか」
という眼でしか見なくなる。もともとが〈警察〉でなく〈警察庁〉の人間なのだ。都道府県警を管理監督する〈国家〉の人間なのであり、大阪にやって来たのも、
「大阪府警の連中がちゃんとやっているのかどうか」
を減点法で採点するため。マクドナルドを「マクド」と言う劣等種族を教育するため。
 
 
   「君ら、まったくなってないねえ」
 
 
というセリフを一日に何百回も言ってやるため。それが〈優秀な人間〉である己の使命とこころえ、認識を疑ってない。そして同時にナントカ大の出であるために自分より格上の学歴を持つ人間にコンプレックスを持っている。四方修は痴呆公務員のくせに府警にあっては鈴木より上で、たぶん十歳も年下だろう。
 
一流大学の出であるために。滋賀県警でのちに自殺する山本晶二は一方でノンキャリ。学歴だけなら鈴木に近いようでいて、叩き上げであるために下の人望が厚かったらしい。
 
対して鈴木。一年前に関西に来て、
「刑事部長はどこの出身なんでっか。フクシマ? 東北? それ、青森より北でっか」
などと言われる人間にそんなものが期待できるか。
 
「オレも福島県警ならば、ノンキャリでも本部長。その方が良かったかも……」
 
なんてふと考えてから、
 
作品名:端数報告5 作家名:島田信之