短編集95(過去作品)
「そういう時ほど、しっかり覚えているんだと思うけどな」
「それは、同じ状況に陥った時に思い出すからさ。めったにないから、まるで昨日のことのように思い出せるんじゃないかい?」
斉藤の話にも一理ある。確かにそうかも知れない。逆に体調の悪い時に見た夢を思い出すと、元気なのに、体調を崩しているような気分になるからだ。
「中洲の街に繰り出して、久しぶりに飲みすぎたためか、意識が朦朧とする中、やっとの思いでホテルに辿り着いたんだ。部屋を開けると入ってきた冷たい風を今でも思い出すようだよ……」
想像するだけで、寒気を感じてくる。以前福岡で風邪を引いて、風邪薬を買ってきて飲んだ時、感じた寒気は一瞬だったが、それは薬の効き目が強かったからに違いない。
ホテルで見た夢を覚えているのはそれだけだった。だが、それ以外の時に見た夢で、
――夢見たことを誰にも話してはいけない――
という意識になっていたことを思い出した。夢から覚めて、
――まるで昔話のようなセリフだな――
と思ったくらいで、話してはいけないと言われれば話したくなるもの。そう感じたのも昔話をイメージしたからに違いない。
だが、見た夢の内容を覚えているというわけではない。覚えていないものを話そうにも話せるわけがない。
斉藤と話をしたのがつい最近のように思っていたが、あれからすでに数ヶ月が経っていた。しばらく立ち寄っていなかった福岡。斉藤の話ではないが、宿を変えてみることにした。
初めて泊まる宿というのは、同じように部屋から流れ出る冷気とは違う種類の寒気を感じる。湿気を帯びた寒さが身体に沁み込んでくるほどだった。
その日、ホテルに入るまでも入ってからも、疲れを一切感じなかった。感覚が麻痺しているのではないかと思うほどで、以前同じ福岡でいつものホテルに泊まった時に飲んだ風邪薬によって襲ってきた睡魔を思い出していた。
――心地よいというよりも、体温と同じ温度の空気に包まれているようだ――
シーツですら肌にサラサラ感を与えない。
ふと見ると真っ暗な部屋の中で、一人女性が佇んでいる。この世のものとは思えないほどの真っ白な肌。見た瞬間に、ゾッとしてしまった。
手を伸ばしてみる。届きそうで届かない感覚は、部屋の広さを感じさせないものであった。
白装束に身を包んでいる。真っ白い肌がさらに白く見える。目の錯覚か、近寄ってくるように見えるのに、差し伸べた手の先から、かなりの距離があった。
「誰にも話してはいけませんよ」
という女性の後ろに男が一人佇んでいる。女性と同様、白塗りされたかのようで、下を向いたまま顔を上げようとしないが、その雰囲気には、かつての親友である福山を感じさせた。
――美しい肌の持ち主とは彼のようなことを言うんだろうな――
と感じたことがあったが、まさしくその時の感情を思い出した。
福山の訃報を聞いたのは一体いつだっただろう?
福山が子供の頃の夢を見たというのも、まんざら偶然ではなかったのかも知れない。
虫の知らせというのがあるが、過去の記憶が走馬灯のようによみがえっていて、覚えているのが、その瞬間だけだったのではないだろうか。
正夢のように思えてならなかったが、それを感じさせたのは、斉藤と呑みに行ったその日である。
どうやら、斉藤は佐川に対して特別な意識があるらしい。尊敬の念を持っているようなのだが、嬉しい気持ちを正直に表せばいいのだろうが、どうもそんな気分になれないのだった。
おもむろに斉藤が話し始める。それがその日の本題なのだろうが、意識してさりげなく話していた。
「白い女性の後ろに一人の男性が佇んでいたんだ。真っ白い顔をしてね」
と呟きながら、その視線は佐川を捉えて離さなかった……。
( 完 )
作品名:短編集95(過去作品) 作家名:森本晃次