短編集95(過去作品)
次元のニアミス
次元のニアミス
「雪が降ってきましたね」
組んだ腕に力を入れて和子が浩一を見上げた。まわりのイルミネーションに彩られて光っている瞳は、十分に潤んでいる。
雪が身体に当たるが冷たさは感じない。ただ、なぜか首筋だけがやたらと熱い。
十二月で雪が降るなど最近にしては珍しい。正月が明けてから急に雪が降り出すことはあったが、年内に振り出すなど想像もしていなかった。
明日はいよいよクリスマス、日が暮れてからの街はさぞかし賑やかになることだろう。一ヶ月も前から街はすっかりクリスマス色に染まっていて、イルミネーションは嫌が上にもクリスマス気分を盛り上げている。
さすがに十一月ではまだクリスマス気分には浸れないが、師走の声を聞くことで街の彩りも違って見える。田舎を知らない浩一は、雪を見て感動しても、懐かしいと感じることはなかった。
田舎育ちの和子は、雪を見て感動よりも懐かしさを感じる。深々と降る雪が与えてくれる落ち着きを話してくれたことがあったが、実感できない自分が忌々しいと感じた浩一だった。
「懐かしいと思う時があなたにもきっと来ますよ」
と話していた和子の言葉の意味が、今やっと分かったような気がする。その時の和子とはかなり雰囲気が違っているが、和子の顔を見て最初に思い出したのが、この言葉だったというのも皮肉なことだった。
雪が落ちてくるのを見ると、しばし時を忘れさせてくれる。
――積もるだろうか――
今までに積もっていくところを見たことがない。一度見てみたいと思って降っている雪をしばらく見続けていたことがあったが、地表に落ちてから溶けるように広がる光景しか見たことがない。朝起きて見てみれば、一面白銀の世界というのは今までにもあった。
――待っていても、簡単に見せてくれるものじゃないんだな――
苦笑いするしかなかった。
浩一が、初めて銀世界を見て感動したのは学生時代に旅行で行った北陸だった。
金沢を中心に出かけたのだが、最初に泊まった加賀温泉での雪景色には、子供心に、
――これが本当に日本なんだろうか――
と感じたものだ。家族旅行だったのだが、宿はいかにも温泉旅館、日本庭園の綺麗な宿で、朝やけに明るく感じて起きてみると、障子を通して白い光が差し込んでくる。障子を開けると表は綺麗に真っ白で、窪みになっているところが影なのにもかかわらず、膨らみだけしか感じない様子は、白さの持つ明るさを限りなく引き出していた。
小学生の頃だったが、初めて入った露天風呂は、湯気で何も見えなかった。着いてからすぐに珍しさも手伝って入ったのだが、思ったよりも暖かかったのは嬉しかった。
だが、露天風呂以外何もない田舎の温泉宿で、一泊とは言いながら子供が楽しめるわけもなく、すぐに退屈してしまった。時間が経たないことに苛立ちを覚えていたはずだったが、後から思えばそれほどでもないと感じるのは、それだけ時間が経つのが早かったからだろう。
夜になってもう一度温泉に入る。食事が終わって落ち着いて、両親はテレビを見ているが、自分の居場所がないことに気付くと、暖かさを求めたくなるのだ。その日は他に客もいないという話だったので、ゆっくりと温泉に浸かっていられると思ったからだ。真っ暗な空を想像していたが、田舎と都会の一番の違いがどこにあるかと聞かれて、
「夜空の星の数だ」
と答えたくなるほどに煌く星空を見つめていると、真っ暗な空に吸い込まれていく湯気との遠近感で、まるで星が落ちてきそうに見えてくる。
雲ひとつない空だった。星が煌くなどというのは、おとぎ話か迷信ではないかとしか思っていなかったが、一定の間隔をおいて明るく光っている。
――煌くっていうのは、こういうことなんだ――
感心させられたが、次の瞬間、頬に何か冷たいものが当たってビックリしてしまった。
頬に当たって溶けていく。冷たさは一瞬だが、顔に広がった違和感は、ずっと残っていくように思えた。
――雪が降ってきたんだ――
雲が立ち込めているわけでもないのに、雪が降るなんて信じられない。雪が顔に当たっているのに、相変わらず煌き続ける無数の星のうちのひとつが、気付かないうちに落ちてきているのではないかと思えるほどだった。
浩一は元々ロマンチックなことを考えるような少年ではない。星が雪になって落ちてくるなんて発想を一番嫌うのは、かくいう浩一だったはずだ。その性格は今でも変わっていないが、その時どうしてそんな気持ちになったか、自分でも分からない。
だが、星空に興味を持ち始めたのがその時だったことは否めないだろう。家に帰ってきてもその日の夢を見ることがある。星空が明確に出てくるわけではないが、星空なくして温泉宿のイメージはよみがえってこない。夢を見ていて忘れてしまっているだけに違いない。
家族旅行は毎年のことだったが、冬に出かける旅行はそれからほとんどなかった。夏休みを利用して行くことが多く、その時どうして冬だったのか、子供の浩一に理由が分かるはずもなかった。
露天風呂に入ることが好きになってしまった浩一は、露天風呂のあるところだと、最初からウキウキしていた。温泉旅館の雰囲気も、風呂上りの夕食も、すべてが気に入ってしまった。
夏には夏のよさがある。近くに川が流れていたり、その上流に滝でもあれば最高で、避暑にはもってこいである。静寂の中で川のせせらぎを聞いていると、ちょっとした風でも涼しく感じ、上流から聞こえてくる滝によって叩きつけられる水の音が聞こえてくると、行ってみたくなるのも無理のないことだった。
水を叩きつける勢いを見ていると、温泉旅館で最初に感じた雪の雰囲気との違いを感じてしまう。深々と降っていた雪がじれったいくらいに思えるが、叩きつける水の勢いも、じっと見ていればスローモーションに感じられる時間帯が出てくる。
大きいと思っていた滝が次第に小さく感じられる。勢いは感じるが、見ていると目が水を無意識に追いかけてしまっているのだ。滝つぼから湧き上がってくるような白い煙がまわりに霧を作り出し、幻想的な雰囲気を醸し出している。
「滝って朝見るといいよね」
と言っていた友達のことばを思い出した。ちょうど朝の涼しい時間の散歩、嫌でもその話を思い出すというものだ。
森の奥にある滝で、風が木々についている葉を揺らしている。それほどの勢いなので、できた白い霧に虹が浮かび上がってくるのが見えるくらいだ。
夏の滝を見ながら、川を少し下れば、さっきの轟音がウソのようにせせらぎだけを感じることができる。川沿いが森になっている影響かも知れないが、滝のある一帯は、他とは違う世界を作り出しているかのようだった。せせらぎこそが最初に求めていた温泉旅館の雰囲気、滝を見たあとなので、その思いもひとしおだった。
家族旅行は、中学二年生になるくらいまで続いた。三年生になると、高校受験で、それどころではない。高校に入学すると、今度は友達との時間を大切にするようになり、親との旅行はなくなってしまった。一抹の寂しさはあったが、それが成長の証でもある。友達との時間は本当に新鮮だった。
作品名:短編集95(過去作品) 作家名:森本晃次