ドールメイカー
ep2.hope
近くの広場から、噂話に花を咲かせるおばさん達の声が聞こえてくる。
打ち水をする小さなドールの脇を通り抜け、僕、ネリア・ガネットは昨日の店を目指す。
なんの事件も無い平和な朝。今日こそ僕はルチル様に弟子入りするのだ。
宿代で資金が底をついてしまったから、今日弟子入りできなければ僕は路頭に迷う事になる。野宿だけはしたくない。
家からいくらかのお金を持ってきていたし、散財してしまったわけでは無いけれど、僕の故郷からこの街までは結構な距離がある。旅の資金で全部使ってしまった。僕の計画性の無さが招いた危機とも言えるかもしれない。
「おや、またいらっしゃったんですね」
「はい! おはようございます。伊吹さん」
お店の扉を開けるとキレイな鈴の音が響き渡り、老紳士のマシンドールが出迎える。昔ながらのドール工房らしさが残る、木の香りがあたりに漂っている。何故だか懐かしい気分になる。
今日はあの茶髪の青年は店には居ないようだ。何事も無く店内に入れた。
伊吹さんとは昨日散々話をしたから、一気に仲良くなったような気がする。伊吹はマシンドールでありながら、人間のような温和な表情を見せる。まるで祖父ができたような気持ちになるのだ。もっとも、それは僕の方だけなのかもしれないが、少なくとも僕の顔を見た伊吹さんは優しく微笑んでくれた。
「弟子入りのお話でしょうか?」
「もちろんです! 一度断られたくらいで引っ込むような夢じゃないですから」
言いながら頭の帽子を被りなおす。
まるいポンポンのついた白い帽子は僕のお気に入りで、長い赤茶色の髪が邪魔にならないようにしまうのに活用している。あと、憧れのルチル様の真似でもあったりする。残念ながら、僕の髪にはゆるくパーマがかかっていて、ルチル様のような美しいストレートヘアーでは無いけど。
「伊吹さん。ルチル様に会わせて下さい!」
「申し訳御座いません。弟子志願の方とはお会いになりたくないとおっしゃっていますので」
「く、安定の鉄壁……」
しかし、弟子でひとつ思い出したことがあった。
昨日の茶髪ヤンキー……スピネルって言ったっけ。彼はここで働いているようだった。
「あの、スピネルさんってメイカーですよね。あの人はどうやってルチル様の弟子になったんですか?」
「弟子ではありませんよ」
「え、でも……」
「強引にこちらで働いてはいますが、マスターは弟子とは認めておりませんから」
「ご、ゴーインに……」
僕は思わず、カウンターに突っ伏した。
なんだか想像できる気がする。でも、という事は、僕だってここに置いてもらうくらいは出来るかもしれないという事だ。僕があのスピネルくらいに強引になれるなら、の話だけど。
「まぁ、お客様ですかしら?」
店のカウンターに顔をくっ付けていた僕のすぐ傍から、小さな鈴の鳴るような可愛らしい声が聞こえてきた。
慌てて身を起こすと、木製のカウンターの上にふわりと膨らんだドレスで着飾った女の子のドールがちょこんと座っているのが目に入った。
恐らく、ファンシードールの『フロイライン』
フロイラインとは、ファンシードールの中でも特にデザイン性を重視した女の子のドールのことだ。かわいらしい外見のものが多く、目立った機能は無いけれど其処にいるだけで心を豊かにしてくれる。サイズは小さめなものばかりで、大体15~60cmが基本だ。
カウンターの上のドールは大体40cmぐらいに見える。
「お客じゃないです。僕は弟子志願に来ました」
「お弟子様! ではここで御暮らしになられるんですわね。わたくし、砂漠で花畑を見つけたような気分ですわ」
くりっとした瞳の、愛らしいフロイラインは、細やかな装飾のドレスを翻して喜んでいる。
踊るような動きに反応して、胸元の鈴蘭のような飾りがリンと揺れる。
「まだ弟子にしてもらってはいないんだけど……」
「まあ、そうなのですか? やはり、ルチル様の人嫌いは筋金入りですわね」
「げぇ……ンだよ小僧。今日もきやがったのか」
出た。スピネル・ジャスパー。
嫌悪感丸出しの声が聞こえた瞬間、僕は昨日の事を鮮明に思い出した。
昨日は助けを求めてきた少年が帰ったあと、散々このスピネルに馬鹿にされて、店から放り出されたのだ。どうやら彼は、ルチル様に弟子が出来るのが気に食わないらしく、もう既に何人もの志願者を追い返しているのだそうだ。
「僕は絶対に諦めません! ドールマスターになって、有名になって僕は……」
「有名ィ? はっ! ンな理由で目指してるってか? ふざけてンじゃねぇぞ。かーえーれ」
「か・え・り・ま・せ・ん!」
「今日もいらしたんですね」
ああ、今日もコイツと不毛な言い争いをしなくちゃいけないのか、なんて思っていた所で、凛としたキレイな声が響いた。
二人の口げんかはあっと言う間に止まった。
「ルチル様! お願いします。僕をここに置いて下さいっ! 宿に泊まるお金も無くて、帰ろうにも帰れないんです!」
「ハァア? てめ、自信満々に情けねぇ事言ってんじゃねぇよ! 男らしくねえ!
お前みたいな奴置いとく訳ねーだろ。なあ、マスター!」
スピネルはずっと勘違いをしているけど、僕はれっきとした女の子だ。しかし、今は彼に付きあって口論をしている暇はない。前に出ようとするスピネルを全力で押し返しながら懇願する。
「ルチル様!!」
「マスター!!」
スピネルと僕、二人の視線がルチル様に集中する。
彼は相変わらず透き通った瞳をピクリとも動かさず、何処か別の場所を眺めて佇んでいる。
僕は自分の瞳に全身全霊の祈りを込めて、ルチル様を見つめ続けた。静かな、それでいて熱気のこもった時間がしばらく続く。
「君は、お金を持っていないんですね?」
何か考え事をしていたルチル様が僕の方を見た。表情は相変わらずで、何を考えているのかは分からない。予想だにしなかった質問に一瞬ポカンとしてしまう。
「ふぇ、は、はい! 持ってません! ぜんっぜん!!」
胸を張って言うようなことじゃない。でも、とにかく必死だった僕は力の限り声を張った。
「では、ここで働いてもらいましょう」
「いいんですか!?」
「マスター! なンだよそりゃあよぉ!」
僕の喜ぶ声とスピネルの怒声が同時にあがる。
ルチル様はそんなことお構い無しに話を続ける。
「先日のドールの修繕費。何故か『メレーホープ』で負担する事になってしまいました。ですから、その代金分あなたに働いて支払ってもらおうかと。雑用でも何でもやる……ですよね?」
その言葉に、僕は今までの人生で一番の笑顔になった。
一人だったら飛び跳ねて走り回りたい気分だ。喜びを抑えきれず、少しだけジャンプ。ルチル様がはじめて笑ったような気がした。見間違いかも知れないけど。
「頑張ります!」
スタート地点はタダ働きの雑用。
それでも良い。これが僕の第一歩。