ドールメイカー
ドールマスターは僕の夢だ。
そして、灰色のドールマスターに弟子入りする事はその第一歩であり、それ自体もまた僕の夢だ。
だから諦めるなんてことは絶対に出来ないのだ。
「お願いします! 雑用だってなんだってやりますから!」
「そう仰られてもわたくしに決定権は御座いませんので」
「もう一度、ルチル様に会わせて下さい!」
「申し訳御座いません」
僕が思い付く限りの言葉を総動員して懇願しては、老紳士が丁寧な口調で断る。
どうしても弟子入りしたい僕はかれこれ小一時間、ルチル様の店「メレーホープ」のカウンターで同じような問答を繰り返していた。
会話の相手はこの店の接客を務める老紳士のマシンドール。名前は露草伊吹(つゆぐさ いぶき)と言うらしい。白髪頭の優しそうなドールだが、仕事には真面目なようで少しも融通してくれない。
のれんに腕押し、ぬかに釘。
白いポンポンのついた帽子を被りなおして、負けそうになる自分に気合いを入れる。
「なんだ小僧、まだしつこく居座ってンのかァ? さっさと帰れアホ!!」
尚も食い下がろうとしていると、店の扉が開く音と共に背後から大きな罵声が聞こえた。
振り返った先には先程痛い目に遭わされた茶髪の、
「う゛、さっきの茶髪ヤンキー……」
「ああ゛? 誰がヤンキーだゴルァ! 俺にはスピネル・ジャスパーってすンばらしい名前があんだよ」
どう見てもヤンキーにしか見えない青年、スピネルは大きな動作で右手の親指でビシィッっと自分を指差して名乗った。
彼の身長は僕より遥かに高く、がっしりとした体格をしている。その威圧感から、彼がちょっと動くだけで思わず後ずさってしまいそうになる。でもここで帰るわけにはいかない。それに気になることがあった。
「あ、あの、スピネルさんはルチル様の……」
「ごめんくださーーーい!!!」
なんとか質問しようとした所に、小さな少年の元気な挨拶が割り込んできた。今日はこんなのばっかりだ。いつから僕はこんなに不運になったんだろう。
「いらっしゃいませ。何か御用で御座いますか?」
カウンターで静かに立っていた伊吹さんが、無駄の無い所作で少年の前に出る。
さり気無く屈んで目線を合わせている所を見ると、この老紳士のドールは相当出来の良いドールなのだろう。マシンドールでありながら、ファンシードールの得意とする気遣いも出来るなんて。
そういえば、このメレーホープには先代のマスターからずっと仕えている伝説のドールが居るとか、噂で聞いたことがあった。伊吹さんがそのドールなのかもしれない。
「じいさん、この店の人か!?」
ここまで走って来たのだろう。少年の額には大粒の汗が浮かんでいる。
縋るように伊吹さんの黒の燕尾服の袖を握り締める。
「エンドーが、エンドーが動かないんだ! 助けてやってくれよぉ!」
「マスコットドール……」
訴える少年の左腕の中には、ピクリとも動かない真っ白いぬいぐるみのような、サッカボールサイズの丸いドールが居た。
一般的にドールは人間と似たような形をしたものが多いが、最近ではこの少年が持っているようなマスコット的なドールも増えている。人型のドールよりも安価で、見た目も愛らしい物ばかりだから、子供へのプレゼントにされるようだ。
マスターの数だけ工房がある。それ故にそこから生み出されるドールの種類も十人十色なのだ。
「このドールは、この店のドールでは御座いませんね」
少年の手の中のドールを一瞥して伊吹はそう言った。そして、そのまま少年を店の外へ連れて行こうとする。
「ま、待ってくれよ! 確かにこの店のんじゃないよ。でもっ」
「成程ナァ。なんとなく分かったぜ」
大事にドールを抱きしめたまま縋り付く少年に、今まで黙っていた茶髪ヤンキー……スピネルが突然口を開いた。少年の前まで近寄り、頭に右手をどっかりと乗せる。
スピネルの言わんとしていることが分かったのか、少年は頭上の重さに合わせて俯いた。
「このドールの店、もう無かったんだろ」
「………………」
「え、どういうことですか?」
「あ? 小僧まだいたのかよ。っつかマスター目指してンのに、んなこともわかんねーのか?」
呆れた様に返されて言葉に詰まる。
僕はマスターを目指してはいるけど、実は人形師についてそんなに詳しくは無い。マスター本人から教わる技術や知識はもちろん、一歩踏み込んだ部分の知識もなにも分からない。今までは「ドール」の知識は必要なかったからだ。
無知な事は自覚していたけど、見るからに頭の悪そうな彼に言われると刺さる。
スピネルは説明する気が無いのか、代わりに伊吹さんが説明してくれた。
「一つとして同じ“こころ”は存在しません。ドールも同じ。どんなに優れた職人であっても、他人の込めたドールの心核(コア)を修復する事は出来ないのです。ですから、このドールの修復は製作者本人にしか出来ないのですよ」
「そんなっ……じゃあこの子は」
「……っう……頼むよ。こいつ、お、おれの兄弟なんだよぉ……」
少年の目から次々と涙が溢れてくる。毛むくじゃらのドールを包む腕は小刻みに震えている。
その姿に幼かった頃の自分が重なった。彼にとってこの子はもう「ドール」じゃないんだ。そう思ったら、僕は自然と叫んでいた。
「な、なんとかならないんですかっ」
オレンジ色の光が照らす店内を静寂が支配した。
何も出来ない自分が悔しくて、少年と同じように泣き出してしまいそうになる。
「だってこのドール、この子の大事な家族なんです。助けてあげたいです!」
「出来ますよ」
「え?」
焦る自分とは対照的な、驚くほど落ち着いた声が響いた。
振り返った先には、ダイヤル式の電話を片手で持ったルチル様が佇んでいた。
「今、移転先のマスターに連絡を取りました。治してくれるそうですよ」
「移転……先?」
「誰がコイツなおせねーっつったよ? ココの店、先週移転してンだよ」
がっくりと全身の力が抜けた。丁寧に磨かれた茶色の木の床にへなへなと座り込む。
どうやら少年と僕以外はみんな分かっていたみたいで、騒いでいた自分が恥ずかしい。でも、ちらりと覗き見た少年の顔を見ると、恥ずかしさは全部ふきとんだ。
――良かった。本当に。
窓から差し込む光はほんのり紅く、外からは夕餉の香りが漂ってきていた。