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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Hardhat

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 夏也は、梅野の顔を完全に忘れていた。ただ、三年前に梅野が店を訪れたときにも今と同じような空気が流れていたということを、おぼろげに記憶していた。小学校に上がった年で、かなえとアイスを食べていた。色は、かなえがグリーンで、自分のはブルー。
「梅ちゃんでしたっけ? 兄ちゃん轢いた人や」
 夏也の単刀直入な言い方に、大人は全員苦笑いを浮かべた。良太は気まずそうな表情を浮かべて少し俯いたが、夏也の肩をつついた。
「事故やんか」
 今度は梅野が気まずそうに首をすくめ、良太に言った。
「中学生になった? 早いね」
「一年です」
 良太がそう言って、薬指を庇うようにしながら耳の後ろに手をやったとき、太郎は言った。
「手な、最近調子悪いねん。な?」
 晴代は、太郎がその話題を出すまでは何も先走らないようにしようと、決めていた。太郎の言葉に、良太はとんでもない悪事がばれたように、降ろした手をポケットに突っ込んだ。
「いや、大丈夫なんすけどね。ちょっと着替えてきます」
 良太はそれ以上触れてほしくないように一歩下がり、夏也の手を引いた。夏也は一度振り返って、笑顔で言った。
「梅ちゃん、ばいばい」
 梅野は笑顔で応じて、晴代が商品を詰めた袋を手渡すと、両手で受け取った。太郎は言った。
「近所に新しいホルモン屋できたから、もししばらくおるなら、飲みにいこや」
 梅野は首だけでうなずき、店内をぐるりと見まわした。
「是非。あの、新一くんと、かなえさんでしたっけ、もっと大きいお子さんもいましたよね」
「おるよ。バイトいっとるわ」
 太郎は、その事実自体が申し訳ないことのように目を伏せると、言った。
     
 夜九時、そのまま朝まで働く坂見に挨拶をすると、かなえは駐車場裏につながる通用口から外へ出た。制服姿に戻ると、その外見は客と変わらない。ふらつく自転車のライトが駐車場へ入って来るのが見えて少しだけ体を出すと、新一が錆びついた自転車から飛び降り、大げさに手を振った。かなえが姿勢を低くして駐車場裏に引き下がると、錆びたチェーンがきりきりと回る音が近づいてきて、新一が姿を現した。
「なんで隠れんねん」
「いや、その音マジで恥ずかしいから」
 かなえはそう言うと、学校の鞄を自転車のカゴへ入れた。新一が夜も走るようになってからは、常にこのお迎えがあるわけではない。新一が自転車をゆっくり押して歩き始め、かなえは歩調を合わせてその隣を歩いた。コンビニから商店街までは港湾道路を抜けるのが近道だが、夜は真っ暗で防犯カメラもない道路だからまず選ぶことはない。新一は昼でも歩くなと釘を刺してくる。かなえがチェーンのスプロケットを軽く蹴ると、金切り音が少し小さくなった。遠回りするように少しだけうねりながら商店街まで続く大きな幹線道路には、他チェーンのコンビニやレストランまで全て揃っていて、家に帰るまでの十五分は、かなえにとっては数少ない『自由時間』だった。夜も安全で気兼ねなくひとりでご飯を食べられたら言うことはないが、そうもいかない。新一のように大柄な男なら何も考えなくてもいいのだろうけど、力が強いわけでもなければ、逃げ足も速くない。かなえは、自分自身を動かすのに必要なギリギリの力を使って歩きながら、言った。
「今日は何食べんの?」
「あっさりしたもん」
「なんなん、老人?」
 かなえが言うと、新一は照明柱に笑いかけるように、笑顔で顔を上げた。
「かなえは? なんかないん?」
「ファミレスで」
 かなえはそう言うと、商店街の少し手前にあるレストランへ入った。ボックス席に新一と向かい合わせに座ってドリンクバーを頼み、注文が出揃ってサンドイッチを食べ始めたところで新一が言った。
「寝てへんやろ」
「うん。寝てへんよ。寝れますかいな」
「なんかあったん」
 新一はコーラを飲み干すと、先を促すようにグラスの淵をこつんと叩いた。
「昨日、お父さんとお母さん、一階で話しとってな。梅ちゃんが賠償してくれたお金がなくなったから、きついって」
「そらそやろな。でも、親父の性格的に金は借りんやろ。店売ることだけはせんやろし」
 そう、その通り。お金を借りることもなければ、子供に近い扱いの店を手放すというのも、考えづらい。かなえは新一の顔を見たまま、口角を上げた。お客さんの中には、かつて太郎が働いていた倉庫の人たちもいて、今でも口癖のように『似合わんなー、はよ戻って来いよ』と言う。倉庫で働いていたのは二十年以上も前だったが、太郎は家計が透けそうに薄い反面、人望だけは厚かった。かなえはストローでグラスの中身をくるくる混ぜながら、ようやくうなずいた。
「でさ。なんか、わざと轢かれたらみたいな話をしててん」
「親父が? ワイルドすぎるやろ。あの体型で受け身取れると思うか? かなえ、直接その話したん?」
「してない。小耳に挟んだだけ」
「でっかい小耳やな」
 新一はそう言って、空になったグラスを持ったまま立ち上がった。かなえはサンドイッチを食べ終えて、大きく伸びをした。二人席なら気にならないが、四人席だと良太と夏也がいないことが強調されて、こっそり抜け出しているような罪悪感がある。新一の性格は、かなえ自身よく分かっていなかった。ほとんどの行動は兄としての役割から来るもので、新一自身がどういう風に物事を見ているのかは、その影に隠れてしまっている。
     
 ビッグホーンの車内に残る塩気の強い空気は、窓を開けながら走ることで幾分か緩和された。貝塚がハンドルを握り、助手席に河原がいることは変わらないが、後部座席に座る梅野がペーパータオルを一枚抜き、河原に差し出したところだった。
「よかったら、指これで拭いてください」
 河原の返事はなく、代わりに手が伸びてきて、梅野の手からペーパータオルをひったくった。貝塚が苦笑いを浮かべながら、言った。
「あんまり指の話はすな」
 梅野は、河原が自分の事故のせいで指を二本失ったことを思い出し、首をすくめた。ビッグホーンは車内の空気に追い打ちをかけるように、窓枠から軋み音を鳴らし続けている。市街地を抜けて物流倉庫の立ち並ぶ丘へと入ったとき、貝塚はバックミラー越しに梅野の顔を見ると、言った。
「見覚えあるか?」
「集合場所っすねー。懐かしい」
 言いながら、梅野は思い出していた。六年前、指定されていた集合場所。転倒したバイクを起こして、とりあえず急いだ。がらんとした倉庫の中には、河原のスプリンターとこのビッグホーンが停められていた。傍らに立つ河原が腕時計を見ていて、まだ指は十本揃っていた。貝塚は集合場所にはおらず、最終的に『積荷』が集まってくる港で待機していた。ボックスがガタついていて、それが簡単に手で開くことに気づいた河原のしかめ面は、今でも覚えている。
『お前、これ開いてんぞ』
 積荷が入っていないことに気づいた河原は、次にバイクをぐるりと見まわして、傷とステップの変形に気づいた。そして傷がついている側とは反対側のミラーが曲がっていることも。そこで初めて、最悪の事態が起きている可能性に気づいた。
『誰かとぶつかったか?』
作品名:Hardhat 作家名:オオサカタロウ