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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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Hardhat

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 かなえは夏也の背中にぽんと手を置くと、笑った。
「ほな、いっといで」
 洗い物をざっと片付けると、ちょうど八時になる。すでに制服に着替えているから、そのまま家を飛び出して自転車を思い切り漕げば、二十五分には学校へ到着。毎日続けていると、いつの間にか慣れてしまった。かなえが皿を片付け始めたとき、良太が学校鞄を左肩にかけて、その位置が気に入らないように何度も同じ動きを繰り返し始めた。シャツの右側がずれて行って、半分回転したようになったところで、かなえは言った。
「ストップ、ストップ。雑巾ちゃうねんから」
「なんか変になった」
「変なんは、あんたの動きや」
 かなえは鞄を持ち上げて、シャツの回転を元に戻すと、背中を両手で押した。
「いってらー」
 かなえが後ろ姿に言うと、良太は手を振りながら出て行った。良太の学校生活は平穏だ。機械的とも言える。話に登場する友達は二人いて、話し始めるときの息の吸い方でどっちの話か分かるぐらい。交友関係は浅く広くではなく、ほどほどの深さで狭く。三人で話している姿を見たことがあるが、高校に上がっても関係は続くようには見えなかった。その性格を事故が決定的に変えたとは思えないけれど、どうしても事故前の良太を、今と比べてしまう。実際には、そこまで変わっていないのかもしれない。七歳のときですら、心配性な良太は事故があったこと自体を隠そうとしたのだから。良太の中では、怒られるのは常に自分なのだ。
 夏也がランドセルを背負った姿で階段を下りていき、かなえはその姿を目で追っていたが、体を捻っていて『いってらっしゃい』という声は出せなかった。そして、八時きっかりに自分の鞄を掴むと、自転車に飛び乗った。学校に友達はいる。いじめもなければ、変なことをしてくる先生もいない。だから、安心して図書館で寝られる。
 通学は、少し遠回りにはなるけれど商店街の裏側から抜ける。この道なら、知っている人間は誰にも会わない。指の隙間に洗剤が残っていることに気づいて、かなえは自転車のグリップを握る手を少し開いた。店の裏側は搬入口になっていて、小さなトラックがぎりぎり一台横づけできるスペースがある。下手なドライバーだと寄せ切れなくて通行の邪魔になったり、逆に寄せすぎて店側のひさしに箱を当てたり、散々だ。見ることなくやりすごしたいが、その様子は自然に目に入る。天井が錆びたアクティバンは、太郎が買った最後の『大きな買い物』で、珈琲店で配達に使われていたから微かに珈琲の匂いがしみついていて、乗っていると喫茶店にいるような気分になる。でもあちこち壊れていて、人間でいえば検査入院レベル。ある意味、頼本家にはお似合い。この家の人間は皆、検査入院が必要だ。かなえは足に力を込めると、自転車を再び漕ぎ出した。

「今の、例の家の子か?」
 貝塚は言った。河原が首ごとぐるりと振り向こうとしたが、その動きを途中でやめさせた。
「あんまキョロキョロすな」
「すみません、分からないです」
 河原は首をすくめ、貝塚は全てを諦めたようにアクセルを踏み込んだ。梅野と事故の当事者をうまく引き合わせなければならない。とはいっても、相手の頼本良太は十三歳になっている。梅野が頼本家と直接顔を合わせたのは、二回。一回目は見舞いに訪れたとき。相手方の両親は、形だけ怒っているように見えたらしい。良太の顔は、そのときに見ている。二回目は、三年目の春。梅野は店に出向き、挨拶がてら買い物をしたらしい。普通の人間がやればかなり不気味な行動だが、結果的に受け入れられた。なぜなら梅野は、人間が持ち得る能力を、愛嬌に全て割り振ったような男なのだ。数時間前、オフロードタイヤで顔を削られそうになっている理由が分かってすぐに、梅野はいつ頭をすり下ろされてもおかしくない体勢のまま、安心したように息を吐き切った。そのまま眠りに落ちるのではないかと思ったぐらいで、河原が空ぶかしすると肩をすくめたが、もう怖がってはいないように見えた。主導権を握った梅野は、ぺらぺらと語った。
『良太くん、いい子ですよ。なんかね、自分が事故にあったこと自体、家に迷惑がかかると思って、すごい罪悪感あるみたいで』
 結果的には逆で、梅野の補償が転がり込むことになった。もちろん、小学一年生の子供には、その辺りの事情は分からなかっただろう。
「あいつ、えらい自信でしたね」
 河原は、昨日買いだめしたスコーンを袋から出してひとつ頬張り、ぽろぽろとこぼしながら言った。貝塚は近くのホームセンターに入ると、二階の屋上駐車場にビッグホーンを停めた。自分が被害者でありながら、事故の痕跡を消そうとした小学生。例のハイパワーはリアボックスに入っていたが、十三発の弾と一緒に白の紙袋で三重にくるまれていて、ガムテープで封をされていた。少し歪んでいるとはいえ、見た目は四角の箱だ。重さは一キロほど。地面に落ちて見逃すはずがない。
 河原は派手なグリーンのペットボトルを開けると、ひと口飲んだ。炭酸が逆流するように泡を立てて弾け、微かな破裂音を鳴らした。貝塚は、運転席と助手席で分断されたようになった車内で、小さくため息をついた。その分断の原因は、おそらく自分だ。河原はこの仕事のことを、すでに始末がついたことで、当事者だからまた巻き込まれたという風にしか思っていない。実際それは正しいし、欠けた指がその証拠だが、始末がついた状態は、先日あっさりと取り消された。未配達に終わったハイパワーの件は、六年前は内輪で処理された。なぜなら、結局顧客がキャンセルしたことで、数を読まれるに至らなかったからだ。実際、他の拳銃は今でも倉庫に眠っている。問題は、店じまいにあたって、今までの依頼との突き合わせが始まったことだ。一挺足りないということを、今は全員が知っている。そして、河原と梅野だけがその重大さを知らない。一週間で見つからなければ、全員が指以上のものを失うことになる。それも極めて、時間をかける形で。
 貝塚は、長らくこの業界で立ち回ってきたから、ことわざ以外にも様々な知恵があった。背は高いが細身で、頭髪は配分を見失ったように頭頂部が薄く、その分直射日光の当たらない真横に振り分けられている。そんなしょぼくれた見た目では、直接暴力に訴えるか、何か道具を使う形でしか人を脅すことは叶わない。河原は横にも大きく、脂肪に包まれていながらぎょろりと開いた大きな目は、その視線だけで人を震えあがらせることができる。しかし、頭の中には親指の爪程度の大きさの脳みそしか詰まっていない。
 死ぬのはやぶさかではない。貝塚は灰皿を引き出して、ポケットから取り出したマルボロの箱から一本を抜いた。河原がグリーンのペットボトルをラッパのように掲げて中身を流し込み始めたときに、火をつけた。この仕事は貝塚から健康や笑顔だけでなく、家族も奪った。実際には自分から立ち去ったのだが、結局こうやって足元を掬われるだけでなく、足を支点にあちこち振り回されている。それなら、ニュースに載って全員道連れにしながら散るのも悪くないと、荒っぽい考えが浮かぶ。
「心配事っすか?」
 逆流した炭酸交じりの空気を吐きながら、河原が言った。貝塚は首を横に振りながら笑った。
「心配してもしゃあない」
作品名:Hardhat 作家名:オオサカタロウ