Hardhat
「事故のとき、バイクからなんか落ちてん。それをおれが拾った。梅ちゃんは、それが要るようになったからもしまだ持ってたら、返してくれへんかなって」
新一はアルバムが積まれた段ボール箱を手に持ち、良太との間に置いた。小物をどけていき、一番下に押し込まれた白い小包を持ち上げた。
「これか?」
良太は目を大きく開き、うなずいた。六年前、誰にも見られていませんようにと祈りながら、地面に座ったまま教科書をぐちゃぐちゃに折り曲げて、どうにかランドセルの中へ押しこんだ。その記憶が鼻の奥をつねるような痛みとなって呼び起こされた。顔を上げた新一は、苦笑いを浮かべながら言った。
「こんなんで泣くな」
良太は受け取ろうとしたが、新一は小包を手に持ったまま言った。
「梅ちゃん、待ち合わせしてんのか?」
「バス停で、明日待ってるって」
「昭和かお前ら。まあ、あいつが立ってたら分かるよな。おれが返してくるわ」
新一はそう言って、小包の重さを確かめた。大きさの割にはずっしりとしている。良太の問題は今知ったばかりだが、ひとつ前に進んだ。次は夏也だ。新一は言った。
「ナツのことなんやけど。あいつは小学生の割りに、自分の意見をしっかり持ってる。それを変えさせるにはどうしたらいいと思う?」
良太は、それが途方もない作業であるように、眉をひそめた。
「想像もつかん。理屈でしか納得せんよな」
新一は小さく息をつくと、腕時計に視線を落として、言った。
「仕事に戻るわ。これ、一旦預かるぞ。明日、イチと約束とかしてないな? 家におれよ」
良太はうなずくと、呟いた。
「分かった。ありがと」
新一はうなずくと、良太の左手を引き、手のひらを眺めながら言った。
「近い内に、病院行くぞ。お前、最近指おかしいやろ」
「なんてことないよ」
良太が言うと、新一は首を横に振った。
「迷惑なんか考えるな。これは、お前の手や。家族の誰の手でもないぞ」
土曜日の朝は、太郎と晴代が自分で食事を済ませ、スーパーのアルバイトに行くかなえはいつもより一時間遅く起きる。新一は夜勤明けだから、昼まで寝るのが恒例になっていた。朝の九時を回ってもまだ起きている新一を見ながら、かなえは言った。
「ペース崩れてない?」
「崩れてるよ。昨日あんな感じで、ちゃんと寝れたか?」
台所も二人だけだと静かで、空気はほとんど動かない。体が自然に、仕事以外で消費するエネルギーをできるだけ少なく保とうとしている。かなえはうなずいた。
「まあ、人並みには。兄ちゃんこそ、全然寝ようとせんな」
「眠たなったら、勝手に寝るわ。ちょっと出てくる」
新一はそう言って、コーヒーを飲み干した。
土曜日のバス停前は、人がほとんど通らない。朝早くに部活で何人かが歩いていったぐらいで、遠くで鳴るクラクションの音がはっきり届くぐらいに、静かだった。梅野はバス停の看板にもたれかかりながら、良太の姿を目線だけで探した。目の前で停まったバスの運転手と目が合い、梅野は乗らないという意思表示を目だけで送ると、良太が現れるのを待ち続けた。ポケットに入ったキャメルの箱を探りかけたとき、後ろから肩を叩かれて梅野は振り返った。新一は言った。
「見つけた」
「おー、新一くん。見つけたって、何を?」
梅野が作り笑いを浮かべると、新一はスマートフォンをポケットから抜き取り、写真を梅野に見せた。
「これ、良太に探してくれって言うたよな?」
記憶の通りの小包。置いてある場所は車の助手席らしく、シートの生地が掠れて中のスポンジが見えている。
「これこれ。あったんや。よかった」
梅野は言い終わるのと同時に、そこで会話が途切れたことを察知した。新一はスマートフォンをポケットに仕舞うと、眠そうな目を大きく瞬きさせて、拳を固めた。
「ナツに、当たり屋やらせようとしてんのか」
実際には夏也が頼んだことだったが、新一の頭の中では、梅野が言い出したのかその区別はついていなかった。梅野は手を横にばたばたと振り、それが全人類にとっての悲しい出来事であるように、眉を曲げた。
「夏也くんはね。ごめんね、人の家庭の事情について、あんま言うのもあかんのやけど。家計のことを心配してるらしい」
「そうやな。ほんで、なんて返事してん?」
「返事はしてない。ただ、夏也くんの中では、おれにお願いできたことになってるかもしれん」
「当てはあんのか?」
新一は立っているのすら辛そうに、目をこすりながら言った。梅野は小さくうなずいてから、言った。
「ある。仕事仲間やけどね。ドラレコもない、古い車に乗ってる」
新一は肩をすくめると、納得したようにうなずいた。
「おれを轢け。上手いこといったら、返したるわ」
「本気か?」
梅野はいつもの快活な表情を敢えて封じた。もちろん、新一が夏也を引き下がらせたら、こちらの計画も崩れる。しかし、新一が『積荷』を返す条件を新たに付け加えてきた。そうなると、話はまた変わってくる。『積荷』が手に入らないと、そもそもの前提として自分は足を抜くことができない。梅野は新一のスマートフォンの番号を聞き、ビッグホーンの画像を送った。
「それが、仕事仲間の車や。あんま走ってないから、すぐ分かる」
新一は画像をしばらく眺めたあと、言った。
「港湾道路、分かるか?」
「商店街の裏道やね。分かるよ」
「道沿いに、ピンクのコンテナがある。その裏が自販機で死角になってる。そこから出てくるから、おれに当てろ。西日やと影ができて暗くなるから、夕方がいいわ」
新一はそこまで言い切ると、眠気が限界に達したように踵を返した。それでもまっすぐ歩いていく後ろ姿を見て、梅野は頭の中のほとんどを占めていた『めんどくさい』という感情を力任せに追い出した。商店街を迂回しながら港湾道路に出て、新一の言っていたピンクのコンテナを見つけると、自販機でファンタオレンジを買った。ここから飛び出してくるということは、車は商店街の方向へ走っている必要がある。この道で出すスピードは、一般的には三十キロ前後というところだろう。道が緩やかに左にカーブしていて、寸前にならないと気づけない。新一はよく考えている。梅野はファンタをひと口飲んで、コンテナから顔を出した。
ハンドルを握るのが、貝塚だとする。事故を起こせば、その場で警察を呼ぶだろう。そこで逃げれば、警察に追い回されるのは目に見えている。しかし、相手が頼本新一だと知ったとき、例え新一が沈黙を貫いたとしても計画的な事故だということに気づくはずだ。対して、河原は飛ばし屋だ。道中で何が起きても、警察に連絡するとは思えない。しかしうまく乗せれば、新一を力任せに脅して『積荷』に辿り着くかもしれない。どっちも短所があるが、アドリブが効きそうなのは河原の方だ。そして仕事の性質的に、二人同時に来るということはないだろう。梅野はスマートフォンを取り出すと、貝塚の番号を鳴らした。
「もしもし、えーっとですね。見つけたようです。夕方に持ってくるらしくて、場所はまた言いますと」
「分かったらすぐ送れよ」
「はい。相手素人なんで、あんまりボーっと立たせんほうがいいかと。気を付けてお願いします」