小説アメリア・イヤハート事件
「太陽が熱くないだって? そんなバカな」
「俄かには信じられないだろう。だが事実だ。君は知らず知らずのうちにユダヤ人に操られているんだよ。我々はユダヤによって太陽が熱いと思わされている。ユダヤは日本──つまり太陽人と手を組んで世界征服を狙っているのだ」
「でも──太陽はどう考えても──」
「疑うのなら、証明してみせよう。君はパイロットだな。ならわかるはずだ。機体を上昇させるにつれ、上空の気温は低くなっていく」
頷いた。
「なぜだ? 君は飛行機で陽に近づいているわけだ。太陽が熱いのなら、暑くなっていくはずだ。なのにどうして寒くなるんだ。話が逆ではないか」
衝撃! まさに衝撃だった。驚愕が彼を打ちのめした。今まで信じていたものがガラガラと崩れ落ちていく瞬間だった。
やがて水が染み込むように、彼の中に深い理解が広がっていった。そうか。そういうことだったのか。なぜ気づかなかったのだ。
どうだい、まさに衝撃だねえ。話がまだ始まっていないうちにコレなのだ。おてんと様が熱いのはユダヤ人の陰謀かい。
〈太陽は熱くない説〉というのは、あの円盤のジョージ・アダムスキーが最初に言い出したこととして一部でなぜか信じられてる話だね。例の形の円盤に乗って、水星だの金星だのに行ってきた。「そんなとこ熱くて行けるか」という批判に対してアダムスキーが返した言葉が「いや、太陽は熱くない」──にしても、ナチスのユダヤ迫害が既に始まっていた時代になんでドイツと同盟している日本がユダヤに操られるのか。それがまったくよくわからない。
まあもっともこの作者は〈ヒトラーはホロコーストをしていない〉なんてことも書いてるが。「確かにナチスは来年秋から本格的なユダヤ排除を行うが(ってお前、なんでそんな先のことを知ってんだ?)、あくまで国外追放や家屋の接収をするだけで殺害なんて命令しない。すべてはユダヤ中枢にいるシオニストの陰謀であり、ヒトラーもまたユダヤに操られているのだ」とかなんとか。激しく矛盾しまくっていて頭が痛くなってしまう。この辺りは読んだところで退屈なので適当に読み飛ばすのがいいだろう。
さて、そんなわけだから思い切って飛ばしていこう。そろそろこの小説の肝心のストーリーを紹介してゆかねばならない。
主人公は島に到着。日本軍基地に忍び込み、イヤハートを発見する。彼女はコンクリートの檻に閉じ込められていた。
が、わずかに目を離した隙に彼女はそこから姿を消してしまうのだ! 前後の状況から考えて、日本兵に引き出されたとか自ら脱出したとかではない。煙のようにいなくなってしまうのだ。
檻、すなわち密室である。そこから忽然と姿を消す。タイトルの『消えたアメリア』には実は二重の意味が込められているのだ。ひとつは一般に知られている遭難事件。もうひとつはこの檻からの謎の消失。この本は彼女の密室消失の謎を追って展開する謎解きミステリでもあるのだ!
突如、バリバリという音が響いた。振り向くと鉄格子の向こうで火花が散っているのが見えた。電気がショートして起こすような白い光。
一体何が起きているのだ? ようすはよくわからない。彼は鉄格子に駆け寄った。
と、その時ベルを鳴らすような音がして、それとともにすべては止んだ。
辺りに静けさが戻っている。
彼は檻の中を覗いた。彼女は無事なのか? 何があった、彼女はどこだ?
いない。中はからっぽだ。コンクリートの床があるだけ。イヤハートの姿はない。
彼は茫然と立ちすくんだ。檻には鍵が掛けられている。内側からは錠前に手が届きさえしないだろう。ひとりで出られるわけがない。
にもかかわらず、彼女の姿はそこになかった。
とまあ、こんなふうに彼女は消える。謎を解く鍵としては〈バリバリとした火花〉というのと〈ベルが鳴るような音〉の二点だろうか。ちなみにイヤハートの飛行機にはフレッド・ヌーナンという同乗者がいたのだが、この男は不時着の際に死んだことにされちゃっている。
主人公は密室の謎について考える。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』という映画があった。クルマがあのように火花に包まれ、突如として消えてしまう。自動車の形をしたタイムマシンなのだ。
彼女もまた時の彼方へ消えてしまったのであろうか。過去へ──あるいは未来へと去っていってしまったのか?
って、おいこら、時の彼方だと? 何を推理しようと自由だけどな。『バック・トゥ――』って、1985年の映画じゃないか。この話の主人公がなんで知っているんだよ。
と思ったら、この後に次のような文章が出てきた。
読者はまだ作られていない映画について彼が見たように知っているのを不思議に思うかもしれない。
だが、不思議でもなんでもないのだ。今の彼はノストラダムスのようにすべてを見通す力を備えており、過去であれ未来であれわからないことは何もない。五十年後の映画など、彼にとってはなんなく知ることができるのである。
だったら推理なんかしないで、イヤハートがどうして消えたかそれで知ればいいのでは……という気がするが、言ってはいけないことかもしれない。しかしなあ、〈読者は思うかもしれない〉って、小説でそんな表現使わないでほしいよなあ。
また、『ターミネーター』という映画の中でも未来人が現代にタイムスリップしてくる際に放電の火花が発生していた。間違いない。時間移動には火花が起こるのだ。この二本の映画がそれを証明している。
ここまで読んできた読者には、ハリウッドがユダヤ人に陰で支配されているのは自明のことと思う。ユダヤ人は映画を通じて大衆を洗脳する謀略を進めている。サブリミナル広告によるコーラやポップコーンの売り上げ実験はご存知だろう。ユダヤ人はあれの悪用を狙っているのだ。
しかしここでは裏目に出た。二本の異なる時間旅行映画で同様の現象が描写される──こんなことはユダヤ人が本物のタイムマシンの開発に成功したためとしか考えられないではないか。やつらは実物を手にしている。そのため事実の一端を愚かにも映画の中に反映させてしまったのだ。
偏見を捨て、曇りのない眼で見つめることだ。そうすればやつらのどんなささいなミスも見逃すことはない。
ううむ、『ターミネーター』まで……。次に出てくるのはなんだろう。『未来世紀ブラジル』かな?
ユダヤ人がタイムマシンを持っている。このトンデモンという作家、どうやらそれが言いたくて無理を承知で映画を引き合いに出したらしい。この文章を読む限り自分の書いていることを信じてるとしか思えない。
こういう本がアメリカでは読まれているのだ。本の内容以上に驚くべきことに、これを本気で受け取った読者がかなりいたという。キリスト教原理主義者や白人至上主義者の間で特に大人気で、シリーズ化もされている。
マジな話、この本が売れたおかげでユダヤ人がタイムマシンを持ってると信じちゃった人間がアメリカに何万人もいるというのだ。広いからなあ、アメリカ。
作品名:小説アメリア・イヤハート事件 作家名:島田信之