小説アメリア・イヤハート事件
ようこそ、私の〈珍刊書評〉へ。世に数多ある本の中から「なんじゃこりゃあっ!」と叫びたくなる奇書をわざわざ貴方に教えるレビューのページ。今回紹介するのはこれだ!
『消えたアメリア 女リンドバーグ遭難事件戦慄の真相』
ブルース・トンデモン著 縞蛇伸行訳 冗談社
待望久しかったB・トンデモンの『MISSING AMELIA』がついに翻訳された……と言っても多くの読者には耳慣れない書名であろう。これは1980年代にアメリカで出版されて以来、珍書マニアや架空戦記ファンの間で名のみ噂されていたものである。その内容が一部で取り沙汰されていたが、まさか日本で訳されるとは誰も思っていなかった。そんないわくつきの本なのだ。
〈アメリア・イヤハート事件〉というのをご存知だろうか。1937年7月、南太平洋で一機の飛行機が消息を絶った。乗っていたのが女流飛行家として名高いアメリア・イヤハート。ちゃんと実在した人物である。女性として初めて単独で大西洋を横断した他、数々の記録を打ち立てて〈女リンドバーグ〉と呼ばれた空のヒロイン。彼女はこの時、航路を切り開くための世界一周の途中だった。
大規模な捜索が行われたが、何も発見できずに終わる。それだけならば海に消えた女として劇的な最期と言えるかもしれない。
が、問題は太平洋がかのマゼランが名付けたような太平な海ではなかったことだ。思えばそのマゼランも世界一周航海の途中にこの海で死んでいる。南の島の先住民に戦争を仕掛け、その挙句に殺されたのだと歴史の書に記されている。
太平洋は血に染まる戦乱の海だったのである。
イヤハートの場合、その当時に太平洋の広い範囲を日本が統治下に置いていて、欧米人の立ち入りを禁じていた問題があった。いかなる船舶も立ち入り禁止。飛行機? そんな、とんでもない。太平洋の航路開拓? そんなの絶対許さんからな。
そういう情勢だったのだ。かくて女流飛行家の遭難について、米国内で穏やかでない憶測が飛ぶことになる。彼女は凶悪な日本軍に捕まって処刑されたに違いないというわけだ。
この考えを唱える者は、自説を補強するためにイヤハートが時の大統領F・ルーズベルトと個人的な親交があったことを持ち出してくる。彼女は大統領直々の密命を帯びたスパイであり、日本の基地を偵察して殺された。日本軍は機密保持のため事実を隠蔽しているし、ルーズベルトも口をつぐんでいる──。
なんでやねん、と言ってはいけない。時は太平洋戦争前夜。数年後に真珠湾攻撃で戦争が始まるという時勢の出来事なのだ。盧溝橋事件によって日中戦争が始まったのもちょうどこの年のこの月だった。
イヤハート遭難の数日後に戦争勃発。日本があらぬ疑いをかけられても無理のないことではあるのだ。
が、それから何十年も経った今でもアメリカには本気で信じている者がまだ大勢いるという。未だに本が出版され、テレビなどで取り上げられる。
ここに紹介する『消えたアメリア』もその手の本の一冊だ。日本語版としておかしな副題がつけられており研究書まがいの憶測本のように見えるが、一応は仮説に基づくフィクションであり英雄的主人公が闇の軍団と戦う冒険小説の体裁である。
主人公は流れ者のパイロット。複葉の水上機で世界を飛びまわっている。彼はイヤハート遭難のニュースをニューギニア島ポートモレスビーの港で聞いた。
しかし彼には別に関係のない話である。パイロットと言ったって彼女と知り合いでもなんでもないし、もっと重大な問題を抱えていたのだ。経済的に逼迫した状況にあり、ガソリンが買えず飛ぶことができない。
なけなしの金を酒に変えバーで飲んでいるところに、軍の情報部員を名乗る男が近づいてくる。話を聞いて彼は驚く。この島のラエという町を飛び立ち東へ行って消えたとされるイヤハートだが、実は大統領の命を受け、日本軍の要塞群島を偵察に北へ向かっていたというのだ。そして彼女は消息を絶った──ジャップどもに捕らえられたに違いない!
「アメリアがスパイだった? 待ってください。それがマジなら、大統領の命令で今やってるという捜索はなんなんです」
「無論、日本との戦争に備えてのことさ。一歩間違えば今度のことで太平洋は戦場になる」
「だから艦隊を繰り出したというんですか」
「そうとも、考えてもみたまえ。ジャップが押し寄せてきたら、軍艦なしでどうやって防ぐというんだ?」
――と、ここで説明しておこう。米海軍が当時行った捜索は、戦艦・空母を初めとする数十隻の軍艦と百機以上の航空機を投入した空前絶後のものだった。たった一機の民間機の捜索としてはこれはあまりにおおげさだ。実は捜索に名を借りた日本の占領海域を調査する作戦だったのではないか――と、そんな疑惑が内外でささやかれたと言われている。歴史の謎とされる部分だが、作者B・トンデモンはこれに独自の解釈をつけてしまったようだ。
さて男の目的は、主人公にイヤハートの救出を依頼することだった。米艦隊が捜索している海域には彼女はいない。だから見つかるはずがない。日本の基地に正規軍が直接手を出すわけにはいかない。そこで個人としての君に彼女を救けに行ってもらいたい──。
かなり無理のある発端である。イヤハートの救出を主人公たったひとりでやれというのだ。しかしまたこの主人公がアッサリと受けてしまうのだから恐れ入る。かくして彼は幾万とも知れぬ敵の待ち受けるマリアナ諸島へ単身飛び立っていくのであった──弓矢と刃渡り1フィートもある大型のナイフを携えて。
弓矢とナイフ。このふたつのアイテムから、あなたは何を連想しますか。この小説、原著が出版されたのは1986年。と言えばスタローンの『ランボー』人気華やかなりし頃である。80年代後半と言えば、貿易摩擦によるジャパン・バッシングがピークに達した時期でもあった。〈ココム違反〉とやらで日本製のラジカセなどが斧で叩き割られたりしたし、映画を見れば必ずと言っていいほどに珍妙な日本人が登場した。あの狂乱の80年代!
そう──もうおわかりだろう。この本は綿密な考証によって構築された実際の事件に基づくドキュメント・タッチのスリラーなどではさらさらない。陰謀論者のペーパーバック・ライターが時流に乗って書き上げたワンマン・アーミー映画もどきのB級アクション小説であり、その内容はまさにこれが設定する時代に量産されたパルプ・フィクションそのまんまなのだ! 太平洋戦争前や戦中、欧米では日本兵を非道の限りを尽くす悪者として描く三文小説が多く読まれていたと聞く。そんなのの80年代再現版が、今になってなぜか日本に、訳さんでいいのに訳されてしまったのである! 何考えてんだ出版社! こんなものは紙の無駄だ!
とにかくちょっと、この本がどれだけひどいか抜き出してみよう。次の文は主人公と情報部員の男とのバーでの会話の一部である。
「日本の赤丸の旗が太陽を意味することは知っているだろう。やつらは二千六百年前に太陽からこの地球にやってきた太陽人なのだ。実は太陽は熱い星ではないんだよ。ジャップの仲間があそこにはまだ大勢いるんだ」
『消えたアメリア 女リンドバーグ遭難事件戦慄の真相』
ブルース・トンデモン著 縞蛇伸行訳 冗談社
待望久しかったB・トンデモンの『MISSING AMELIA』がついに翻訳された……と言っても多くの読者には耳慣れない書名であろう。これは1980年代にアメリカで出版されて以来、珍書マニアや架空戦記ファンの間で名のみ噂されていたものである。その内容が一部で取り沙汰されていたが、まさか日本で訳されるとは誰も思っていなかった。そんないわくつきの本なのだ。
〈アメリア・イヤハート事件〉というのをご存知だろうか。1937年7月、南太平洋で一機の飛行機が消息を絶った。乗っていたのが女流飛行家として名高いアメリア・イヤハート。ちゃんと実在した人物である。女性として初めて単独で大西洋を横断した他、数々の記録を打ち立てて〈女リンドバーグ〉と呼ばれた空のヒロイン。彼女はこの時、航路を切り開くための世界一周の途中だった。
大規模な捜索が行われたが、何も発見できずに終わる。それだけならば海に消えた女として劇的な最期と言えるかもしれない。
が、問題は太平洋がかのマゼランが名付けたような太平な海ではなかったことだ。思えばそのマゼランも世界一周航海の途中にこの海で死んでいる。南の島の先住民に戦争を仕掛け、その挙句に殺されたのだと歴史の書に記されている。
太平洋は血に染まる戦乱の海だったのである。
イヤハートの場合、その当時に太平洋の広い範囲を日本が統治下に置いていて、欧米人の立ち入りを禁じていた問題があった。いかなる船舶も立ち入り禁止。飛行機? そんな、とんでもない。太平洋の航路開拓? そんなの絶対許さんからな。
そういう情勢だったのだ。かくて女流飛行家の遭難について、米国内で穏やかでない憶測が飛ぶことになる。彼女は凶悪な日本軍に捕まって処刑されたに違いないというわけだ。
この考えを唱える者は、自説を補強するためにイヤハートが時の大統領F・ルーズベルトと個人的な親交があったことを持ち出してくる。彼女は大統領直々の密命を帯びたスパイであり、日本の基地を偵察して殺された。日本軍は機密保持のため事実を隠蔽しているし、ルーズベルトも口をつぐんでいる──。
なんでやねん、と言ってはいけない。時は太平洋戦争前夜。数年後に真珠湾攻撃で戦争が始まるという時勢の出来事なのだ。盧溝橋事件によって日中戦争が始まったのもちょうどこの年のこの月だった。
イヤハート遭難の数日後に戦争勃発。日本があらぬ疑いをかけられても無理のないことではあるのだ。
が、それから何十年も経った今でもアメリカには本気で信じている者がまだ大勢いるという。未だに本が出版され、テレビなどで取り上げられる。
ここに紹介する『消えたアメリア』もその手の本の一冊だ。日本語版としておかしな副題がつけられており研究書まがいの憶測本のように見えるが、一応は仮説に基づくフィクションであり英雄的主人公が闇の軍団と戦う冒険小説の体裁である。
主人公は流れ者のパイロット。複葉の水上機で世界を飛びまわっている。彼はイヤハート遭難のニュースをニューギニア島ポートモレスビーの港で聞いた。
しかし彼には別に関係のない話である。パイロットと言ったって彼女と知り合いでもなんでもないし、もっと重大な問題を抱えていたのだ。経済的に逼迫した状況にあり、ガソリンが買えず飛ぶことができない。
なけなしの金を酒に変えバーで飲んでいるところに、軍の情報部員を名乗る男が近づいてくる。話を聞いて彼は驚く。この島のラエという町を飛び立ち東へ行って消えたとされるイヤハートだが、実は大統領の命を受け、日本軍の要塞群島を偵察に北へ向かっていたというのだ。そして彼女は消息を絶った──ジャップどもに捕らえられたに違いない!
「アメリアがスパイだった? 待ってください。それがマジなら、大統領の命令で今やってるという捜索はなんなんです」
「無論、日本との戦争に備えてのことさ。一歩間違えば今度のことで太平洋は戦場になる」
「だから艦隊を繰り出したというんですか」
「そうとも、考えてもみたまえ。ジャップが押し寄せてきたら、軍艦なしでどうやって防ぐというんだ?」
――と、ここで説明しておこう。米海軍が当時行った捜索は、戦艦・空母を初めとする数十隻の軍艦と百機以上の航空機を投入した空前絶後のものだった。たった一機の民間機の捜索としてはこれはあまりにおおげさだ。実は捜索に名を借りた日本の占領海域を調査する作戦だったのではないか――と、そんな疑惑が内外でささやかれたと言われている。歴史の謎とされる部分だが、作者B・トンデモンはこれに独自の解釈をつけてしまったようだ。
さて男の目的は、主人公にイヤハートの救出を依頼することだった。米艦隊が捜索している海域には彼女はいない。だから見つかるはずがない。日本の基地に正規軍が直接手を出すわけにはいかない。そこで個人としての君に彼女を救けに行ってもらいたい──。
かなり無理のある発端である。イヤハートの救出を主人公たったひとりでやれというのだ。しかしまたこの主人公がアッサリと受けてしまうのだから恐れ入る。かくして彼は幾万とも知れぬ敵の待ち受けるマリアナ諸島へ単身飛び立っていくのであった──弓矢と刃渡り1フィートもある大型のナイフを携えて。
弓矢とナイフ。このふたつのアイテムから、あなたは何を連想しますか。この小説、原著が出版されたのは1986年。と言えばスタローンの『ランボー』人気華やかなりし頃である。80年代後半と言えば、貿易摩擦によるジャパン・バッシングがピークに達した時期でもあった。〈ココム違反〉とやらで日本製のラジカセなどが斧で叩き割られたりしたし、映画を見れば必ずと言っていいほどに珍妙な日本人が登場した。あの狂乱の80年代!
そう──もうおわかりだろう。この本は綿密な考証によって構築された実際の事件に基づくドキュメント・タッチのスリラーなどではさらさらない。陰謀論者のペーパーバック・ライターが時流に乗って書き上げたワンマン・アーミー映画もどきのB級アクション小説であり、その内容はまさにこれが設定する時代に量産されたパルプ・フィクションそのまんまなのだ! 太平洋戦争前や戦中、欧米では日本兵を非道の限りを尽くす悪者として描く三文小説が多く読まれていたと聞く。そんなのの80年代再現版が、今になってなぜか日本に、訳さんでいいのに訳されてしまったのである! 何考えてんだ出版社! こんなものは紙の無駄だ!
とにかくちょっと、この本がどれだけひどいか抜き出してみよう。次の文は主人公と情報部員の男とのバーでの会話の一部である。
「日本の赤丸の旗が太陽を意味することは知っているだろう。やつらは二千六百年前に太陽からこの地球にやってきた太陽人なのだ。実は太陽は熱い星ではないんだよ。ジャップの仲間があそこにはまだ大勢いるんだ」
作品名:小説アメリア・イヤハート事件 作家名:島田信之