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Evasion 2巻 和洋折衷『妖』幻想譚

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 そこには熱気と煙が立ち込めていた。
 瓦礫と化していた家屋は、焦げ溶けて、まだあちこちに火が燻っている。

 久居は満身創痍で倒れていたが、まだ意識は残っていた。
(リル……)
 肺は焼かれてしまったのか、酷く息苦しい。
(こちらに来ては……いけません……よ……)

 ローブの少年は、そんな久居のそばまで来ると、蹴りを入れた。
 蹴られた体がびくりと跳ねるのを見て「まだ息があるのか」と呟く。
 果たして人間が、こんなに頑丈なものだろうか。と、ローブの少年がほんの少しの疑問を感じようとしていた時、人の声がした。
「なっ……なんだ、これは……」
 灯りを手に、様子を見にきた野次馬のようだ。

 手短に殺すつもりが、随分と時間をかけてしまったと、少年は気付く。
 見回せば、あちこちの家々から、既にたくさんの人が窓を開け、戸を開け、外に出ようとしている。
「命拾いしたな」
 ローブの少年は小さく舌打ちを残すと、久居が捕らえていた男を連れて去った。

(何故……退いたのでしょうか……)
 久居は、右腕を支えになんとか体を起こそうとする。
 あの少年の勝ちは間違いなかった。あの鬼は、こちらを殺す気だったのに、何故トドメを刺さずに去ったのだろうか。
 いつでも殺せると思える実力差だった、という理由もあるだろうが、どうやら、彼らは街中で騒ぎになると困る立場にあるようだ。

「お……、おい」
 傷だらけの久居に、最初に声をかけてきた野次馬男が、こわごわ声をかける。
「一体何が……。っ大丈夫か?」
 灯りを掲げた男が、久居の酷い姿に息を呑む。
「……はい、大丈夫です。ありがとうございます……」
 掠れた声で何とか返事を返しつつ、久居は自分の体の状態を確かめる。
 受け身を取れない状態での、最後の蹴りで、肋骨も折れたようだ。
 折れた骨は、内側へと曲がっている。
(内臓を破る前に……早く治癒しなくては……)

 そこへリルの声がした。
「久居っ!!」
 喜びの雫をポロポロ零しながら、リルは久居へ飛び付いた。
「無事だったんだね!?」
 ぎゅっとしがみ付かれて、久居は一瞬、死がそこまで迫った気がした。
 が、久居はそれを告げることすらままならない。
 声も出せず、冷や汗にまみれる久居を、リルが不思議そうに見た。
 駆け付けたクリスも、久居の生存に、ホッと胸を撫で下ろす。
(よかった……生きててくれて……)
 その姿は、とても無事には見えなかったが、それでも生きていてくれて、クリスは本当に嬉しかった。
「と……、とりあえず移動しましょうか……」
(こんなに人が居ては治癒術も使えませんし……)
 呼吸のままならない久居の、声になりきれない掠れた言葉も、リルには聞き取れた。
「肩を……貸していただけますか?」
「うんっ」
 リルが指先で嬉し涙を拭き取りながら、久居へ肩を差し出す。
 思ったよりもずっしりと、その体重を預けられて、リルが気付く。
「久居、もしかして足折れてる?」
 小声で問うと「すみません、重いですか……」と息も絶え絶えな中、返事が来る。
「ううん、全然! 大丈夫だよっ」
 リルは、久居の力になれた事が、嬉しくて仕方なかった。
「えへへ、お役立ちー」とにこにこで呟いている。
 まだ小柄で幼い体つきのリルだったが、鬼の血の成せる技なのか、単純な腕力だけなら久居よりも上だった。
 右腕の力のみでリルの肩にしがみつく久居が、自身より小柄な背に体を預け切れずにずり落ちる。
 リルは、その体をよいしょと支えた。
(あれ? というか治癒しないのかな?)
 クリスが、そんな二人を覗き込む。
「……大丈夫?」
「うん、平気ー」
 重くもなんともない顔で答えながら、リルは気付いた。
(あ、クリスがいるからか……)
「クリス、お願いがあるんだけどいいかな?」
「何?」
「水を汲んできてもらってもいい?」
「なんだ、そのくらい。いいわよ」
 リルの頼みを、クリスは快諾する。
「じゃあ、ここで待っててね」
 駆け出すクリスに『俺様も行くぜ』と牛乳が付き添う。
「うん、ありがとー。気をつけてねー」
 とリルは声をかけると、周りに人の音がないことを確認しながら、久居を壁際におろした。
 久居は左腕も動かないらしく、溶けかけの右手だけで何とか座り込むと、すぐに胸へと手を当てた。
 リルは、久居が治癒を始めたことにホッとしながら、クリスの去った方向を見る。
(クリス、いい子なのになぁ……。なんであんな目に遭ってるんだろう)
「うーん……夜遅いし、ボクも付いて行った方がいいかなぁ?」
 心配そうなリルに、ようやく声が出るようになった久居が答える。
「いえ、大丈夫でしょう。彼女も、運だけで一人生き延びていたわけではないようですし」
 まだ不明な点は山積みだったが、分かってきた事もある。
「流石に今夜は彼らも、もう来ないでしょうから」
「そっか」
 リルは久居の言葉を素直に信じたようで、ほっとした顔になる。

 久居は治癒を続けながら、今日までに分かった事を整理する。
 此処での騒ぎを避ける彼らの拠点が此処であり、そこに腕輪がある事。
 これはまず間違いないだろう。
 そうでなければ、此処に家もなく、知り合いも居ないというクリスがこの街に居続ける理由がない。
「クリスが戻って来そうになったら、言うからね」
 リルの言葉に、久居が礼を述べつつ尋ねる。
「……リル。クリスさんは、あの敵の事を、何か仰っていましたか?」
 小さな背がびくりと揺れたのに、久居は気付いた。
「……うん……。人間じゃないのが居るって言ってた……」
 リルの瞳には、その時のクリスの顔が、まだくっきりと残っていた。
「鬼……だったんだよね?」
 リルは、久居を振り返る。
「はい。角などは隠していましたが、鬼火を操っていましたので、おそらく……」
 久居の答えに、リルはまた久居に背を向けた。その表情は、暗く沈んでいる。
「……クリスは……、その鬼の事、すごく嫌いみたいだった……」
(ボクが鬼だって知ったら……、クリスは、ボクの事……嫌いになっちゃうのかな……)
 普段の、明るいクリスの微笑みと、あの鬼に向けた険しい表情が、リルの中でぐるぐると巡る。

「そうですか……」
 久居は、確信を強める。
 そんな危険な相手がいると知ってなお、一人で腕輪の奪還を試みるという事は、やはり彼女には、対抗手段になりうるだけの、何らかの力があると思って間違いないだろう。