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Evasion 1巻 和洋折衷『妖』幻想譚

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「……どうして葛原様は、こうも菰野様に御執心なのかしら……」

 暗くなってきた森を進む葵には、それがどうしても理解できなかった。
 あの兄弟は、葵が城に入った頃は、とても仲の良い兄弟だった。
 仲違いをするような出来事も、葵には思い浮かばない。

 確かに譲原皇は、葛原様に比べて菰野様をより可愛がっていたように思う。
 それが葛原様には面白くなかったのかも知れない。
 けれど、そんな譲原皇は、もうご崩御されてしまったのに……。

 だからこそ、葵は『どうして』と思わずにはいられなかった。

「それにしても、先程と違って、ほとんど苦しくならない……」
 すいすいと進む足が、何だか不思議に思えて呟く。

「そこにいるのは誰ですか!!」
 鋭い声は、葵には聞き馴染みのある声だった。
「久居様!」
「葵さん!?」
 葵は久居に駆け寄りながらうったえる。
「まだ皆さんはこんなところにいらしたんですか!? 葛原様は明日にもまた、この山にいらっしゃるおつもりです!!」
 葵の様子に、久居は柄を握る手を弛めた。
「落ち着いてください。この山はもう何百年もこの地に人を寄せ付けていません、そう簡単にどうにか出来るようなものでは……」
 言いながら、久居は気付く。
「ですが、現に私はこうして……」
「葵さん、菱形の小さな石を拾いましたね?」
「え」
 久居の言葉に、葵は懐へと手を入れる。
「あ、これの事ですか? どうしてご存知……」
 紐を握って取り出した石が、葵の肌から離れる。
「――っ!!」
 途端、葵は体の制御を失った。
 膝から崩れる葵を、久居が抱き止めると同時に石をその身に押し当てた。
「体から離しては危険です!」
 久居は、葵の手にしっかりと石を握らせる。
「その石が今、貴女の身を守っているのですから」
 葵は久居の腕の中で、どぎまぎとした動揺を抑えつつ、じわりと顔を上げた。
 その頬はほんのりと朱色に染まっている。
「それは……どういう……」
「詳しくは話せませんが」と前置きしつつ久居は葵をそっと地におろす。
「こちらとしてはその石を回収しなくてはならないのです」
 久居の言葉に、葵はまだ赤い頬のまま素直に頷く。
「は、はい、お返ししま……」
「葵さん」
 その言葉を、久居は敢えて遮った。
「貴女が現在受けている命は何ですか」
 久居は何かを堪えるように、自身の腕を握りしめて続ける。
「先皇亡き今、貴女が仕えているのは葛原皇のはずです……」
 伏せられた黒い瞳は、森の闇の中、僅かに赤く映る。
 だが久居のその色を見る者は、誰も居ない。
「お気持ちは本当にありがたいです……。しかし、葵さんにも、里の代表として城に仕えるというお立場が……」
 葵を気遣う久居の言葉は、今の葵には、ただただ苦く聞こえた。

 黒髪の内側に表情を隠した葵は、しばらくそのまま黙っていたが、やがて、俯いたままに重い口を開く。
「……葛原皇は、菰野様に固執しておいでです。
 お二人が城に戻らないと知ってなお、追うおつもりなのです」
 葵の胸に、幼い菰野と久居を見守っていた日々が蘇る。
 あの頃から、久居はよく陰に潜む葵の視線に気付いていた。
 隠密として、警護対象に気取られるのは力不足だと分かってはいたものの、こちらに気付く度、感謝を込めて頭を下げる少年の気持ちが、葵にはとても嬉しかった。

 譲原皇より二人の警護の命を受けてから、もう八年になる。
 ここまでずっと見守り続けていた二人を、まさか、殺すための命を受ける日が来るなんて……。

 葵の心は、まだこの現実を受け入れられずにいた。
「……このままでは、いずれ菰野様も、……久居様も……」

 表情こそ隠しているが、葵の声は僅かに震えていて、久居はなるべく柔らかい声で答えた。
「分かりました」
 葵が、思ったよりもずっと優しい久居の声に、顔を上げる。
「今回は、葵さんのご厚意に甘えさせてください」
 微笑んだのか、久居の纏う空気がふわりと和らぐ。
「いつもすみません……助かります」
 葵は、救われたような気持ちになる。
(久居様……)
 どこかスッキリしたような顔で、小柄な隠密は微笑んだ。
「はいっ」