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Evasion 1巻 和洋折衷『妖』幻想譚

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「フリーさん、走れますか!?」
「大丈夫ですっ」
 久居とフリーは櫓を出て、山へ向かって走っていた。
 フリーの手首や足首には、拘束の跡がくっきり残っていたが、動かすことに支障はないようで久居はホッとする。
「……菰野……」
 フリーの不安げな呟きに、久居が
「菰野様でしたら、すぐ……」
 と言い始めたところで、フリーの耳が小さく跳ねる。
「あっ、出てきた!」
 その言葉に、久居もホッとする。
「あれ、もうひとつ足音が近付いて……」
 続くフリーの言葉に、兵がもう向かってきたのかと従者は警戒を強めたが
「これは……リルの足音!?」
 とフリーが断定する頃には、遠く向こうの方から小柄な少年の姿が見え始めた。
「フリーっ、久居ーっ」
 ぶんぶんと手を振って駆け寄ってくる少年に、二人は驚く。
「フリーっ!!」
 喜びをいっぱいに浮かべて、弟は姉に飛びついた。
「リル!!」
「無事だったんだね!」
 嬉しそうな笑顔に、けれどホッとしたのか涙が溢れている。
 そんなリルに、久居が嗜めるように言う。
「リル、何故こんなところまで……」
 久居はハッと目を見開いた。
「周囲は兵達に囲まれていたのでは!?」
「あ、うん」
 リルは頭に巻き付けた久居の首巻きの隙間から、耳を出しピコピコと動かして見せる。
「いっぱい人がいたけど、みんなじっとしてたから、人の居ないとこを、そーっと通り抜けて来たよー」
「なるほど……その耳で、帰りもお願いしていいですか?」
 久居はその能力に感嘆しつつ、リルに助力を求めた。
「うんっ!」
 リルが「えへへー、役に立ったー♪」と嬉しそうに花を散らしていると、久居の背に声がかかる。
「久居!」
 菰野が、息を切らして皆に追いついた。
「どうした、何かあったのか!? 早くしないと葛兄様が……」
 菰野は一人増えていることに驚きの声をあげる。
「って、リル君!?」
 叫んだ拍子に、左肩を激痛が走る。
「――っ……!!」
 思わず傷口を押さえた菰野に、久居とフリーが焦る。
「菰野様」
「菰野っ」
「大丈夫だ……」
 冷や汗を浮かべながらも、そう答える菰野に、リルが謝った。
「コモノサマ……、約束破っちゃってごめんなさい……」

 そこへ、城の全てに聞こえるような、甲高い笛の音が響く。
 菰野と久居は反射的に振り返った。
「ついに兵が出るか……」
 菰野は呟く。もうこの城には、二度と戻ってこれないだろう。
 けれど、とにかく今は、ここにいる者全てを安全な場所まで誘導しなくては。
「リル君、来てしまったものを言っても仕方ないさ。フリーさんが心配だったんだろう?」
 菰野が小さく微笑む。
「う、うん……」
「さあ行くぞ、みんな!」
 声をかけて、菰野が駆け出す。
「うんっ」
「はいっ」
 すぐに久居とフリーが後を追う。
(コモノサマって、やっぱりなんかすごい……)
 リルが菰野に圧倒されていると、フリーの叱咤が飛ぶ。
「こらーーっ、リル、置いてくわよーっ!!」
「まってーっ」
 リルは慌てて後を追った。

 先頭を走る菰野は、誰にも顔を見られない今のうちに、ほんの少しだけ心の内で城へ別れを告げる。
(母様……)
 誰に後ろ指を指されても、菰野のために城に残り続けてくれた、いつも明るく聡明な母……。
(父様……)
 叔父という立場から、いつも優しく温かく見守ってくださった、本当の父……。
(城の皆……、今までありがとう……)
 小柚にも、もう会うことは、きっと無いだろう。
 こんな自分を義兄と慕ってくれた、可愛い弟……。

 そして、自分を本当の弟のように……、いや、それ以上に可愛がってくれた、優しかった兄……。


「あっ、こっちから人がいっぱい来てるよ」
「ではこちらへ」
「あ、向こうからもいっぱい来た……」
「そちらへ回りましょう」
 リルの耳が伝える情報を元に、城内を知り尽くした久居の判断で、四人は一人の兵にも出会うことなく城壁の外へと出る。
「うわあぁぁ、とうとう囲まれちゃったよ……」
「ここまで来れれば十分ですよ、一気に山まで走りましょう」
 久居の声に励まされるように、全員山を目指して走る。
「わっ」
 リルが躓いて、派手にビタンと地面に叩きつけられた。
「リルっ!」
 久居が駆け戻り手を差し伸べる。
「いたい……」
 鼻の頭と頬に土を付けたリルが、半ベソの顔をあげる。
 倒れた衝撃でか、リルの首の封印石は背中側に回ってきていた。
「立てますか?」
「うん……」
「行きますよ」
 久居がリルの肩を支えて抱き起こす。
 二人は、少し先で心配そうに振り返っている菰野とフリーを目指して走った。

 倒れた時に擦ったのか、リルの首へ紺色の石を止めていた紐はいつの間にか切れていて、封印石は少年からするりと抜け落ちる。

 石が地面に落ちた小さな音は、懸命に走る四人の足音に掻き消された。




「くそっ、矢を放て!」
 兵を率いて菰野達を追う葛原の声は、最早リルにしか聞こえないほどに離れていた。
「無理です! 届きません!!」
 葛原達の目に、菰野達の姿は米粒よりも小さく見えている。
 菰野達は加野の墓の脇を通り過ぎ、葛原達の目の前で山へと姿を消した。
(山に逃げ込まれたか……)
 葛原は小さく舌打ちし、叫ぶ。
「我々も行くぞ!!」
 その言葉に、兵達は大きくどよめいた。

 コン、と小さく足で何かを弾いた感触がして、葵は足元に落ちている小さな石を拾い上げる。
(これは……?)
 紐に繋がったそれは、シンプルではあったが装飾品のようだった。

「この私に付いて来れないと言うのか?」
 葛原の言葉に、兵達が口籠もる。
「けれど……」
「いえ……ただあの山は……」
「呪いがかかっていると言われていて……」
 おずおずと申し上げたのは、丁度、菰野達に行き先を尋ねられた兵達だった。
「そんな物、迷信に決まっているだろう」
「は……はぁ……」
 葛原に顰めっ面で言い切られて、兵達は従う他ない。
「葵、道を案内しろ」
「はい」
 声をかけられて、葵は手の中の石を懐へと仕舞った。


 ぞろぞろと、葛原の率いる兵達が山へ入ってしばらくした頃、四人はようやく安全圏内の、少し開けた場所へと辿り着いた。
 怪我もあってか疲れの色濃い菰野は、木の幹へ背を預け、そのままズルズルと根元に腰を下ろす。
「はぁ……」
 吐く息が、いつもより熱い気がする。
 動く度に痛む傷を庇うように、右手で肩を押さえてはいたが、じわじわと続く出血が止まる気配はなかった。
「ここまで来ればひとまず安心ですね」
 辺りを見回していた久居が、主人の左側に膝を付く。
「すぐ手当てをいたします」
「ああ、すまないな」
 久居は、主人の肩を覗き込んだ。
 傷は、そう深くはないものの、服と肉が浅く広範囲にざっくりと切り裂かれていた。
(私が……不甲斐ないばかりに、菰野様にこんな傷を……)
 久居は、数々の自身の失敗を悔いながら、その傷を胸に刻む。
 二度と、この方にこのような傷を付ける事の無いように、と。
 自身を戒める久居の向こうで、へたり込んでいたフリーが、声をかけて、えいやと立ち上がる。
「私、家から薬と包帯とってくるね」