Evasion 1巻 和洋折衷『妖』幻想譚
すっかり夜中になった頃、リリーは帰宅した。
その横顔には、疲労の色が濃い。
「あ、お母さん、おかえり……」
家に入ると、すぐの廊下に、フリーが毛布に包まるようにして座り込んでいた。
「フリー? どうしたの、こんなところで……」
「ん……、お母さん待ってた……」
「ごめんなさい、遅くなって」
「ううん、私達のせいでしょ?」
フリーは、母を気遣った。
「リルは?」
「疲れたみたいで、ご飯食べたらすぐ寝ちゃった」
「そう……」
初めての力の発現に消耗したのだろう。とリリーが推測する。
「お母さん、リルね、あの時意識がなかったみたいなの……」
フリーは、母をまっすぐ見上げて続ける。
「何やっちゃったのか、まだ分かってないみたい……」
「それで、フリーがこんなところで待っててくれたのね」
リリーはフリーの隣に並んで座り込んだ。
「うん……。リルに本当の事を言った方がいいのか分からなくて……」
リリーは、フリーがリルの事を大切にしてくれている事を嬉しく思う。
けれど同時に、その為にフリーは少し無理をし過ぎているのでは、とも思う。
あ。とフリーは思い出したように尋ねた。
「あいつ、手の怪我は大丈夫だった?」
リリーは微笑んで答える。
「ええ、すぐ治療したみたいで、私が行った時には綺麗に治っていたわよ」
「よかったぁ……」
フリーがホッと胸を撫で下ろすのを見ながら、リリーは尋ねる。
「あなたの怪我はどうなの?」
「あ、うん平気平気。切れたの手の甲ばっかりだし、動かさなければほとんど痛くな……」
そんな娘の手を、リリーはつついてみた。
フリーはガバッと手を抱え込んで、声にならない悲鳴を飲み込む。
「痩せ我慢しないで、フリーも明日は病院に行きなさいね」
「だ、大丈夫だって。ちゃんとガラスの欠片も取り除いたし……」
ズキズキと痛む右手を体で庇いながら、フリーは左手でパタパタと遠慮する。
今日買ってもらったガラス玉も結構高かったのに、病院にかかれば、もっとお金がかかる。
そう思うフリーの心を見抜いてか、リリーは
「子どもがお金の心配なんてしないの」
と笑ってみせた。
案の定、フリーはギクリと肩を揺らす。
「ダメになっちゃったガラス玉も、また買いに行きましょうね」
リリーが微笑んで言うと、フリーもようやく明るい表情を見せた。
「う、うんっ!!」
金色の瞳から、ぽろっと涙が零れる。
「あれ?」
(わぁぁっ、安心したら涙腺が!!)
フリーが、恥ずかしさから慌てて母に背を向ける。
リリーは、そんなフリーの顔を見ないように背中側から肩を抱きよせる。
「リルを守ってくれたのね。ありがとう……」
感謝を込めて、リリーはフリーの頭を撫でた。
「う、うん、リルは私の弟だしねっ」
フリーが、照れ隠しからか、小さいしねっ。鈍臭いしねっ。と言葉を足していくのを、リリーは苦笑しながら聞く。
弟。と言う言葉に、リリーは先ほどまで顔を合わせていた、自身の弟の姿を思い浮かべる。
リリーと同じ淡い金髪を短く整え、両サイドの髪を後ろに撫でつけた清潔感のあるスタイルの、リリーの双子の弟。
彼は、まだ若くはあったが、今では立派にこの村を治める長だった。
リリーはあの後、リルが怪我をさせたという子とその友達の両親達に囲まれていた。
言われるのは至極もっともなことばかりで、リリーはただ、彼らの言い分に頭を下げる他なかった。
「皆さん、この一件は私に預けていただけませんか?」
そこに現れたのが、弟だった。
「まあ……村長がそう仰るのなら……」
と村人達は、まだ憤りを抱えつつも、渋々リリーを解放した。
感謝の言葉とともに「人徳があるのね」と声をかけると、弟は「まあ、それなりに」と返した。
「治癒術者の手配をしてきたら、こっちが遅くなっちゃったな。ごめん、姉さん」
そう苦笑する弟は昔のままのようにも見えたが、やはり彼は、立派な村の長となっていた。
「それで……、リルの事なんだけど」
こちらに背を向けて話し出す弟に、リリーは覚悟を決めながら相槌を打つ。
「ええ……」
「俺が庇ってやれるのも、もう……限界なんだ……」
弟は、苦しげに、絞り出すようにして告げる。
「リルを……村から出してもらえないか?」
彼もきっと、こんな事を言いたくはないのだろうと思うと、リリーには何も言い返せない。
言葉に詰まる姉へ、弟は慰めるように囁いた。
「すぐにとは言わない……が、前向きに考えてほしい」
リリーはしばらくの沈黙の後
「……分かったわ……」
と返事をした。
「お母さん」
フリーの声に、リリーはハッとする。
「……いつまで撫でてくれるの?」
フリーはまだ、あのまま大人しくリリーに頭を撫でられていた。
「フリーがハゲるまで?」
思わず誤魔化すと、フリーは慌てて後退り「ハゲてたまるかぁぁっ」と突っ込んだ。
リリーは思う。
フリーは、リルと離れられるのかしら……。
ずっと一緒だった二人を引き離した時、二人がどうなるのかが、リリーには未だ読みきれなかった。
リルは、あの人と二人で生活していけるのかしら……。
あの、のんびりのほほんとした子が、果たしてあの短気な人と二人きりで生活できるのか、これもリリーには僅かに不安だった。
ここに今、あの人が居てくれれば……。と。
今まで何度繰り返したかも分からない思いと共に、リリーは檜皮色の髪と目をした頼れる夫の名を、胸の内で呼ぶ。
(クザン……)
作品名:Evasion 1巻 和洋折衷『妖』幻想譚 作家名:弓屋 晶都