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Evasion 1巻 和洋折衷『妖』幻想譚

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 菰野は、少女が心配そうにこちらを見上げている事に内心驚きながらも、頭が回らなくなりつつあることに気付く。
(あれ? 俺の心配してくれてる……? ああ、そうか。この山にはきっと妖精を隠すために不思議な力が……)
「ありがとう、大丈……夫……」
 しかしその言葉の終わりには、菰野は姿勢を保てず地に手をついた。
 ぐにゃりと視界が歪む。
「え、ちょっと! ホントに大丈夫!?」
 少女の声がなぜかとても遠くで聞こえる。
 視界が霞んで、地に付いているはずの自分の手すらよく見えない。
(もしかして……俺はここで、……死ぬ……のか……?)
 ゾクリと、例えようもない恐怖が少年を襲う。

 フリーは、冷や汗を浮かべて苦しげに荒く息をする少年を見る。
 どうしてここまで我慢していたのだろう。
 動けるうちに、山を降りていれば……と思いかけ、それを止めていたのが自分の存在だったことに気付く。
(この人に、無理をさせてたのは、私……?)
 丁寧に手当てをされた自分の足に、フリーは思わず手を添える。
(私の手当てをしていたから、この人は……)
 ひんやりと冷えた布でしっかり固定され、足の痛みは少し軽くなっていた。
 このために、たったこれだけのために、この少年はここで命を失うというのだろうか。
(私のせいで……?)

 少年の震える肩に、あの日の冷たくなってゆくウサギの姿が過ぎる。
(そんなの……)
 フリーは巻かれた帯布の端を握り締める。
(そんなの絶対ダメだ……私が、何とかしなきゃ!)
 少女はその金色の瞳に決意を宿す。
「目を瞑って」
「え?」
「いいから早く!」
 言われて、菰野は目を閉じた。
(何だろう……声が遠くて……よく聞こえない……)
「いいって言うまで開けちゃダメだからねっ」
 フリーは小さな声で呪文を唱える。
 呪文は小さくとも、確実に結界石に届いた。

 一方、隠れているはずのフリーを延々探していたリルも、結界石の輝きと交信を確認する音に、異変を察知する。
「えっ……フリー!?」

 フリーは、菰野の両肩をしっかり掴むと、結界の効果を除外する対象として、少年を指定する。
 自身の唇で。対象を示すべく、その額にそっと口付けて。

「え?」

 ふわりと花のような香りを残しながら、少女の唇が離れ、菰野は思わず目を開けた。
 恥ずかしそうに目を伏せて頬を染める少女と、しっかり目が合う。
「めめめめめめ目ぇ瞑っててって言ったでしょーーーーーーーーっっ!?」
 まだ両肩を掴んでいた少女が、少年の肩を前後にガクガクと振りながら訴える。
「ご、ごめんっ。あんまり聞こえてなくて……」
 答えながら、菰野はその少女の頭上にピンと立つ二本の触角に気を取られる。
(あ、触角……。やっぱりこの子、妖精だったんだ……)
「とにかく目を閉じて! いいって言うまで開けちゃダメっ!!」
「う、うん……」
 言われて、菰野は素直にもう一度目を閉じた。
(今度は何だろう……)
「え、えっと……具合は良くなった?」
 フリーが気を取り直して、尋ねる。
 頬はまだ赤いし、心臓はまだバクバクしていたが、とにかくそれだけは確かめなければならなかった。
「そう言われれば、すっかり……」
 言われて初めて気付いた様子の菰野の言葉に、フリーは胸を撫で下ろす。
「よかった……」

 菰野も内心驚いていた。
 あんなに酷かった目眩も、息切れも、一時は死を覚悟するほどに苦しかった全ての症状が、まるで嘘のように消えている。
 この少女が何かしてくれ………………。
 そこでようやく菰野も気付く。
 さっきの妖精の顔が真っ赤だった理由に。
 目を閉じたまま、菰野が赤面していると、少し離れたあたりでガサガサと草を分けるような音がした。
「目、開けていいよ」
 少し離れたところから聞こえた声に、菰野はそっと目を開ける。
「あれ、いない……」
 と言いかけた菰野は、見つけてしまった。

 草むらからはみ出した、二本の触角を。

(うーん……これはきっと、見つけちゃいけないんだろうなぁ……)
 触角は、ドキドキハラハラと小さく揺れている。
(しかし、この子は怪我をしているのに、一人で帰れるんだろうか)
 菰野が背を向けるべきか否かと悩んでいると、向こうから少年の叫び声が聞こえてきた。
「フリーーーっ!! どこーーーーっ!!!」
 途端、触角があわあわと慌てるように揺れ動く。
(うわぁぁぁぁっ! リル、今来ちゃダメーーーーーーっっ!!)

 その様子に、菰野は今の声がこの少女の知り合いなのだろうと判断すると、小さく独り言を残して背を向ける。
「女の子も消えちゃったし、今日のところは帰ろうかな」
(えーと、捻挫は軽度だったし、ひと月もあれば……)
「また来月のこの日、ここに来てみよう……」
 菰野はそう言い残すと、駆け出した。
 あまりにわざとらし過ぎたかと、自分の発言に照れながらも、菰野はそのまま振り返ることなく、山をおりて行った。

 ピクリとリルの耳が揺れる。
 リルはフリーよりもさらに聴覚が鋭く、菰野の声が僅かに聞こえた。

 フリーは菰野の姿が見えなくなると、草むらから顔を出す。
(行っちゃった……)
 去ってもらわなきゃ困るはずなのに。
 それでも、どこか淋しい気がして、フリーはしばし菰野の去った方を見つめていた。

 そうして、ふと、リルがこちらに来ないことに気付く。
 リルは、聞きなれない人の声に、足を止めて悩んでいた。
(まさか、人間とか……!? どうしよう……っ! お母さんを呼んできた方がいいかな……。フリーの声も、ちっとも聞こえないし……)
「リルーーーっ」
 そこへ元気そうなフリーの声が届く。
「フリーっ!?」
 リルは慌ててそちらへ走った。
「こっちこっちー。足挫いちゃって、動けないのよー」
 フリーが元気そうに、むしろ呑気そうに手を振っている。
「だ、大丈夫だった!? 何もされてない!? 今この辺から人の声が……」
「な、何のこと?」
 フリーが内心ギクリとしながら答えると、リルがキョトンとした顔になる。
「え!? フリーは聞いてないの? 男の子みたいな声が……」
「えー? 聞いてないなー……。空耳じゃない?」
「ええええええええ!?」
 リルがずいっと詰め寄る。
「け、結界石には交信したよね? 空耳じゃないよね?」
 ちゃんと聞いたもんっ。と涙目で弟に訴えられて、フリーは
「う、うんうん。リルが気付いて来てくれるかなーと思ってね」
 と答えた。
「な……。なんだ……そっかぁ……」
 リルが、へなへなとその場に崩れる。
 どれだけ息を詰めていたのか、深い深いため息が、長く続いた。
「もー、リルは心配しすぎだって」
「うん……けど本当に……よかっ…………」
 顔を上げたリルの大きな瞳からは、大粒の涙が溢れていた。
「あ……」
 止まらない涙の粒に、リルが声を漏らす。
「ご、ごめんね、ホッとしたらつい……」
 涙の溢れる瞳を細めて、恥ずかしそうに苦笑する弟に、フリーの良心が痛んだ。
「ううん……私こそ、なんかその……色々ごめん……」
「あ、肩貸すね」
 リルがぴょこんと立ち上がると、膝をパタパタと叩く。