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短編集94(過去作品)

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川の底



                川の底


 機体が大きく旋回し、飛行機の小さな窓からは紺碧の海が目の前に迫ってきていた。着陸態勢に入っているのは、ガクンという音で分かった。機体次第に平衡感覚を取り戻してくる。
――久しぶりの福岡だな――
 新幹線を使ってもよかったのだが、トンネルの多さには閉口していたので、急ぐ旅ではないと思いながらも飛行機を利用した。もちろん飛行機で福岡に入ったことがないわけではない。しかし、それはいつも出張で来ていたので、今までとは気分が違っている。
――あれが志賀島だな――
 島といいながら陸続きになっていて、頭でっかちの半島である。志賀島を窓の外に望みながら、滑り込むように陸地へと侵入していく。
 目の前に迫っている陸地があっという間に通り過ぎていく。今にも地面にぶつかりそうなほど近く感じるのはスピードのせいだろう。轟音が響く中、気がつけば滑走路が見えていた。
「ゴットン」
 一瞬跳ね上がったのではないかと思うほどの振動に着地を確信する。離陸の瞬間身体が浮いたように感じるのと、この着陸の瞬間を対に考えれば、飛行機に乗る醍醐味で一番好きなのはこの瞬間なのかも知れない。何度も乗っている飛行機だが、いつ乗ってもワクワクするのは、この瞬間を味わいたいからだろう。気分はまるで子供である。
 風向きの影響で海からそのまま侵入するパターンの他には、福岡市内中心部に侵入し、反対側である南の方から着陸するパターンもある。福岡空港は大都市の空港の中でも、もっとも都心部に近く建設された空港である。ビルに当たりそうな錯覚を覚えることもあったくらいだ。
 空港を降りると地下鉄で中心部までは十分ほどであろうか。博多駅にも近く、九州各地への列車移動もスムーズである。仁科達男はそんな福岡空港が好きだった。

 仕事も一段落してやっと休暇がもらえた。プロジェクトが結成された中での仕事だったので、一年間みっちり計画されたカリキュラムを下に動いた。自分の前と後ろで仕事があるので、スムーズにこなさないと、すべてに影響を来たしてしまう。どんな仕事でもそうなのだが、適度の緊張感が事務所内に溢れていたのだ。
 本当に忙しい時は仕事に集中していたのだが、一年中ずっと緊張を持続していたわけではない。緊張をほぐす時期もあり、
――一段落すれば旅行に行きたいな――
 と思っていたのだ。
 幸いにも後半はそれほど忙しくもなく緊張感だけ失わなければそれでよかった。却って気分転換が大切な時期であり、仕事が終われば頭の切り替えが翌日のスムーズな仕事へと誘ってくれた。
 最初から福岡を考えたわけではない。むしろ最初は北国を考えていた。それを福岡に変えたのは妹の存在だった。
 妹といっても実の妹ではない。いわゆる連れ子である。実母は達男が小学生低学年の頃に亡くなった。父親は母が亡くなって三年後に結婚し、やってきたのが妹の里美だった。
 小学生高学年になっていた達男だったが、それほど血のつながりのなさを気にはしていなかった。妹がほしいと思っていたのは事実なので、素直に妹ができた時には喜んだものだ。少し歳が離れているのは気になったが、小さい頃の面倒はよく見ていた。
 里美も達男に対しては従順だった。いつも後ろをついて歩くのが好きだったようで、達男が中学を卒業するくらいまでは、いつも一緒にいた。
 五歳違いの兄妹だが、達男が中学を卒業する頃には、年齢の違いをあまり感じなくなっていた。
 まだ小学生の里美ではあったが、小学生にしては成長が早く、中学生といってもいいくらいの身長だった。胸も心なしか膨らんでいるようにも思え、身体の線を見つめてしまうと目が離せなくなるのではないかと思うほどだった。
 達男が異性に興味を持ち始めたことを知ったのはちょうどその頃だった。
 まわりから聞こえてくる女性の話を聞いてないフリをしながら聞き耳立てている達男は成長期の真っ只中だった。意識をするのが遅れたのかも知れないが、女性に興味を持ち始めたのは友達に比べれば遅かったことだろう。
 そのことをまわりに知られたくなかった。何となく恥ずかしさを感じ、まるで自分が淫らな想像をしてしまいそうで怖かった。事実、それまで聞こえてきた友達の話に淫らな想像をしなかったと言えばウソになるが、それを悟られるのが恥ずかしいのだ。
 自分だけではないと気付いたのはそれからずっと後で、それだけに思い出しただけでも顔が真っ赤になってしまいそうだ。
 里美の目を見ていると、次第に女性の目になっていった。化粧を施しているわけでもないのに、妖艶に感じるのは二重瞼がクッキリとしてきたからだろう。
 里美を見ていると里美の母親を思い出す。里美の母親はテレビ局勤務で、今は長期出張で北陸の方にいる。里美を意識し始めたのは、次第に母親に似てきたからだろう。
 母親は、まだ二十代後半で、独身と言ってもいいくらいで、テレビ局でも露出が多いところに勤務していたこともあって化粧も上手で、子供心にも艶やかさを感じていた。
 まだ小学生だったのに、女性というのを意識したこともなかったはずなのに、義母を見ているだけで目を逸らすことのできなくなった自分が分からなかった。
――どうしてこんな気持ちになるんだろう――
 身体が勝手に反応していた。まだ身体が大人に変わっていくことを意識する前だったので、理由など分かるはずもない。父親が義母を好きになった理由は分からないが、自分もその父親の血を引いていると勝手に感じていた。
 建築業一筋に歩んできた父は典型的な職人肌だった。若い頃は下積み時代も長く、かなり苦労をしたようだ。父の性格からして理不尽なことに怒り狂いたくなることもあっただろう。それをどのようにして乗り越えてきたのか、そこには亡くなった母親の貢献度がかなりあったに違いない。
 職人肌の父を支える母親も、それなりに肝っ玉の大きい女性だった。子供の達男から見ていて職人肌としての母親しか見たことがなく、ドラマなどで見る父親の影に隠れた控えめの性格の女性など、架空のものだと思っていた。
 だが、亡くなる寸前の母親はすっかり気も小さくなっていたのか、自分のことよりも人の心配ばかりする。
「心配なんていらないよ。僕もお父さんも大丈夫だよ」
 やつれていく母親を見れば、そんな言葉しか出なかった。それでよかったのだろう。後から思い返してもその言葉以外に出てくる言葉などありはしない。その言葉を母が期待していたかどうか分からないが、顔は安心していた。
――これが本当の母なんだ――
 と思った瞬間である。
 しかし、それは母との別れを予感から現実のものにする前兆だった。もうその時には達男の気持ちは決まっていた。
――笑って母を送ってやろう――
 小学生の頃に、よくそこまで考えたものだ。我ながらすごいと思ったが、そのことを父も分かってくれていたのか、達也の背中を軽く叩いて、目を覗き込んだだけで、何も言おうとはしなかった。達也にしても、父への言葉は何もなく、お互いに目を見合ったまましばらく佇んでいた。
 母が死んでから、父の職人肌はしばらくなりを潜めていた。
――父を元の父に戻してくれる女性がいたなら、再婚を許してもいい――
作品名:短編集94(過去作品) 作家名:森本晃次