小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

~王を導く娘~観相師

INDEX|8ページ/44ページ|

次のページ前のページ
 

 ヨンが何か言いたそうな表情で見下ろしている。明華は最後にもう一度深々と頭を下げた。
「あなたは、国王殿下(チュサンチョナー)でおわしますね」
「流石と言うべきか、当然と言うべきか。やはり、判ってしまったか」
 ヨンがどこか淋しげな笑みを浮かべる。
 明華は弱々しく微笑んだ。
「迂闊にも殿下であるとは気づかず、数々のご無礼をお許し下さいませ」
「水臭いことを申すな。私は今でも、ただのイ・ヨンだ」
「そのようなわけには参りません。やはり、けじめはつけなくては」
 ヨンは真顔で首を振る。
「けじめ、か。哀しい言葉だ。明華、私が今まで通りに接して欲しいと頼んでも、出会った日の私たちの関係に戻るのは無理か?」
 どこか希(こいねが)うような響きのある言葉に、明華は胸をつかれた。国王といえば、朝鮮で最も至高の人とされる立場である。朝鮮は徹底した身分社会だ。両班という特権階級の上、頂点に立つのが王であり、王はこの世のすべてを思うがままにできる権力を有する。
 そんな男が何故、一観相師にそんなことを言うのか。明華には解せなかった。けれども、王座が孤独なものであることは彼女にもよく理解できた。更に、その王座を守り続けるためには、血を吐くような労苦が必要であることも。
 王宮は伏魔殿ともいわれる。特に王の正室や側室がひしめき妍を競うあでやかな花園、後宮は陰惨な世界だと聞いている。
 明華の母、チョンスンもまた能力のある観相師として知られていた。さる王族の奥方に贔屓されていたため、王室御用達の観相師となる気があれば、口利きをしてくれるとまで言われたそうだ。
 けれども、母はけして話に乗らなかった。
ー明華、良いかい。どんな甘い餌を出されても、王室なんぞと拘わってはならないよ。王宮は怖いところだ。特に王の寵愛を受ける女たちが暮らす後宮は、見かけは花の咲き乱れた美しい庭園だけど、その実、女たちが足を引っ張り合う魑魅魍魎の世界だという。数ある女たちの中で、誰が真っ先に男御子を産むか、女たちの頭にはそれしかない。自分の息子が王世子になり、やがて次代の王の母として権力をふるうためには、人殺しだって何だってやるような連中さ。
 まだ幼い明華に、母はくどいほど言い聞かせていた。女たちが後宮で熾烈な闘いを繰り広げているのと同様、表では王や官僚たちも自分たちの立場を守るのに余念がない。当代の国王は前王の息子ではない。
 現在、朝廷で最も権力を握るのは寛徳大王大妃、前王である成祖の生母だ。成祖がまだ三十の若さで崩御した後を受け、今の王燕海君が立った。燕海君は生後まもなく母と引き離され、大王大妃に引き取られた。
 以降はずっと寛徳大王大妃に養育されたのだ。大王大妃が産んだ御子は成祖一人であったから、側室所生の王女が王族に嫁して生んだ燕海君を早くから引き取ったのである。血の繋がりはなくとも、義理の娘の産んだ子であれば、大王大妃には孫になる。しかも、燕海君の実父は数代前の王の末子を祖とする王族である。これが臣下に降嫁した王女の子であれば、大王大妃が養嗣子として迎えることは土台無理であった。
 たとえ直系ではなくても、両親共に王族であり、しかも生母は前王の異母妹であるという極めて純血に近い王族として生まれたことが燕海君の運命を決めた。
 寛徳大王大妃は大王大妃の座にあれども、王妃の座についたことはないひとだ。大王大妃の良人、ソジン世子は即位することなく早世した。世子が亡くなった時、一人息子の成祖はまだ幼く、大王大妃は遺された忘れ形見の養育に心血を注いだのだ。
 ソジン世子の父である先々代国王が老齢で崩御し、年少の成祖が立った後も、大王大妃は垂簾聴政を行い朝廷において大きな発言権を持った。その一方で、高名な学者を幾人も招聘し、成祖に帝王学を施したものの、その甲斐無く、成祖は生涯に渡って政に関心を示さなかった。女人に対しても淡泊であったらしく、早世した王妃やただ一人の側室(廃妃ユン氏)との間に御子はいない。
 良人に先立たれ、女手一つで育て上げた一人息子も喪った。王太子妃になりながら、王妃にもなることはなかった。そんな大王大妃がより権力欲に囚われてしまったとしても、同情に値する部分はあるように思える。
 かといって、それが権力を私して良い理由にはならない。歳を経るにつれ、大王大妃の権力への執着はますます強くなり、今や自らが養子として育てた現王に対しても、何やら含むところがあると専らの噂である。
 成祖のときも同じようなことが起こっている。成人した王は幼い頃と違い、母の言葉に従わなくなったのだ。また成祖は早世した父に似て、生来虚弱であった。ゆえに、王宮の奥深くに閉じこもり、滅多に表に出てこなかったと謂われている。
 廷臣たちとの御前会議のような公の場には姿を見せるが、会議が終わるやすぐに信頼する内官を従えて退出してしまう。三政丞と呼ばれる議政府の大臣たちでさえ、成祖の側近くに行くことは許されていなかった。
 ある意味では、謎に包まれた王であったのが成祖だ。その点、当代の燕海君は成祖とは対照的だ。宮殿内では大勢の内官や女官を従えて闊歩する王の姿はしばしば目撃されている。女人への関心も正反対で、燕海君の後宮は早くも十指に余る側室が侍っている。
 後宮に咲く美しき花を気ままに摘み取れるのは、国王ならではの特権だ。今日はこの花、明日はあの花と、若き王は美姫たちと戯れるのに余念が無い。
 ーそこまで思い出し、明華は複雑な想いでヨンを見つめた。
「私などがお相手しなくても、宮殿にはお美しい女君がたくさんいらっしゃるでしょうに」
 知らず胸の想いが呟きとなりこぼれ落ちる。ヨンが眉をつり上げた。
「もしかして、後宮の妃たちに嫉妬している?」
「なっ」
 明華は真っ赤になり、言葉を失った。
「何で私が嫉妬しなければならないんですか?」
 漸く体勢を立て直した明華に、ヨンは笑いながら言った。
「気を悪くさせたなら、謝る。許して欲しい。別に嫌みのつもりで言ったわけじゃない。ただ」
 くすくす笑いながら言う彼に、烈しく嫌な予感を憶える。直後、予感は当たった。
「紅くなった明華は、可愛いからね」
「うぅ」
 からかい甲斐があるということなのか。明華はもう何も言えず、恨めしげにヨンを見るしかない。
 もっと早くに気づくべきだった。この男、女慣れしている。きっとまだ子どもの中から綺麗な女官に囲まれて育ってきて、今はたくさんの妃妾を侍らせているからだ。
 龍の姿を観て国王だと気付けなかったのは観相師としての未熟さ、更に、この調子の良い態度から女タラシだと気づけなかったのは、女としての未熟さからだ。いずれにせよ、我が身はまだまだ修業も人生経験も足りないのを思い知った。
 人間としての底の浅さを露呈した形だ。
 明華は睨むようにヨンを見た。
「とにかく、もうお帰り下さい。そして、二度と、ここには来ないで戴けますか」
 国王相手に何とも無礼千万な物言いだけれど、怒り心頭に発している明華は夢中だった。
「やはり、もう逢ってはくれないんだな」
 人が変わったような悄然とした姿も声も、騙されてはいけない。この男は対する相手の前で恐らく色々な顔を使い分けられる器用なひとなのだ。