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~王を導く娘~観相師

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 幾ら何でも、あの映像をヨン当人に伝えられるものではない。しかも、明華自身、あの映像が一体何を意味するのか判らないのだ。ヨンに何をどう説明すれば良いというのだろう。
 俄に重苦しくなった雰囲気を何とか変えたくて、明華はわざと明るい声音を出す。
「ところで、若さまは提灯にどのように願い事を書かれたのですか?」
「私か?」
 その質問に虚を突かれたようで、ヨンは綺麗な眉をかすかに寄せた。
「あ、別に無理にお話しにならなくても」
 ただ雰囲気を変えたかったから、適当な話題を振ったにすぎない。かえって真剣に考え込まれたら、困ってしまう。
 だが、どこまでも生真面目らしい彼は、苦笑しながら応えた。
「別に応えるのが嫌だというわけではない。思いがけない質問だったから、愕いただけだ」
 彼は少しく考え、また口を開いた。
「この国の民が安寧に暮らせるようにと書いた」
 刹那、明華の身体を雷(いか)土(づち)に打たれたような衝撃が駆け抜けた。
 まさかー。
 かすかに手が震えた。
 古来より、龍は帝王、覇者の化身といわれている。この朝鮮で?龍?を意味するのはただ一人、他ならぬ朝鮮国王のみである。
 何故、気づかなかったのか。龍の姿をヨンの上に見た時、気づくべきだったのだ。迂闊にも、明華は思い至らなかった。まさか国王その人が護衛もつけず一人で観相の依頼に来るなんて、考えもしなかった。
 ヨンが風燈に書いたという願い事を耳にして、漸く傷ついた龍が意味するところを読み解けた。通常、風燈に書く願いは、ごく個人的な望みである。百歩譲って官吏であれば、国の隆盛を願うこともあるかもしれない。
 それでも、?民の安寧?と書く者は少ないはずだ。
 ヨンの静かな声が間近で聞こえた。
「正直なところを教えて欲しい」
 明華は声に誘われるように、彼を見上げた。
いつしか夜空を飛翔する風燈はいずこへともなく消え、二人を取り巻く人波もまた動き出していた。
 歩き出したヨンと並び、明華もまた歩く。ヨンがいっそ静謐な声で言った。
「四日前、そなたは私の観相をしてくれた。あの日、そなたは何か良くないものを観たのではないか?」
 勘の鋭い男だと改めて思った。先刻、明華が観相に気力を使い果たしたゆえ倒れたのだろうと彼は言った。だからこそ、気づかれていないと安心しきっていたのだが、簡単に騙されるほどの人ではないらしい。
 明華はかなり逡巡した。相手によっては観たままを告げない方が良い場合もある。
 彼女の迷いをも敏感に察知したらしく、ヨンが穏やかな口調で言った。
「私のことなら、気にしないでくれ。何を言われても、受け止める心の準備はできている」
 なお迷う明華に対し、彼は鋭く言った。
「たとえ知りたくない内容だとしても、私は知らねばならないのだ」
 外見に似合わない、厳しい物言いだった。
 そうまで言われて、躊躇う理由はなかった。何より、彼はこの国の王なのだ。朝鮮を統べる者として、真実を知る権利も必要もある。
 明華は囁くように告げた。
「確かにあの日、私はあなたさまの上に、あるものを観ました」
 ヨンもまた明華の言葉遣いが微妙に変わったのに気づいたようである。
「そなたが観た、あるものとは」
 明華は瞳を閉じた。
「一匹の龍です」
「龍?」
「さようです。しかも、その龍は」
 流石に言葉が出てこない。明華は閉じていた眼を開き、ひと息に言った。
「龍は傷ついていました」
「手負いであったというのか?」
 明華は頷き、声を低めた。
「片眼を矢に射貫かれていたのです」
「ーっ」
 ヨンが息を呑んだ。
「とても苦しそうでした。矢に射貫かれていない片方の眼は透き通った青で、身体の色は淡い緑のそれは美しい優美かつ雄壮な龍です。矢が刺さった眼からは血がしたたり落ちて、苦しそうにもがいているのが観えました」
 ヨンは何も言わず、重い息を吐き出した。
「よく判った。言いにくいことを言わせて、済まない」
 かえってヨンの方が謝罪するので、明華は戸惑った。やはり、優しい男なのだ。
 次の瞬間、またも明華を予知夢が襲った。ヨンの向こうに観えるのは、四日前に観た同じ龍だった。淡い緑に染まった龍が天翔かけている。気持ちよさげに大きな体躯をくねらせ、天高くどこまでも昇ってゆこうとしている。
 四日前に片眼に刺さっていた矢も見当たらない。
 だが、異変は突如として起こった。いずこからともなく無数の矢が飛来し、龍の身体に深々と刺さる。龍は鋭い咆哮を上げた。悲愴な声は悲鳴のようでもあり、明華の魂まで引き裂かれてしまいそうなほど痛々しい。
 更に幾つもの矢が射かけられ、龍は満身創痍といった体になった。持ち堪えられず、大きな身体が堕ちてゆく。
 また、ひときわ哀しげな咆哮が明華の耳をつんざいた。
ー何なの、この映像は。
 明華はその場にうずくまり、両手で顔を覆った。ドクドクと心臓が鼓動を刻み、まるで耳にすべての血が集まってきたように、あの哀しげな鳴き声がこだまする。
「明華? どうしたのだ、しっかり致せ」
 ヨンが慌てて近寄ってくる。彼は地面に片膝をつき、明華のか細い肩に手を置いた。
「今度は何が観えたというんだ?」
「いえ、何も」
 流石に、今度ばかりは明華もすべてを伝えられなかった。本人に伝えるには、あまりに残酷すぎる未来だ。
 ふいに明華の身体がフワリと宙に浮いた。
「悪かった。私が言い辛いことを言わせたからだ」
 気がつけば、明華はヨンの逞しい腕に抱き上げられている。
「あ、あの。私、一人で歩けますから」
 狼狽えても、ヨンはこればかりは頑として譲らない。
「いや、無理は禁物だ。歩いている途中に気を失ってしまっては、かえって危ない」
 逞しい美丈夫に抱きかかえられて大通りを歩くというのは、どうにも恥ずかしすぎる。
こんなときなのに、明華は身悶えしそうなほどの羞恥に浸っていた。
「降ろして下さい! 私はこれでも一応、嫁入り前なんですから」
 ついには叫んでしまい、ヨンが笑った。
「嫁入り前の娘は身を慎まなくてはならないから、嫁にゆけないというわけか? それなら、造作もない。良い解決法があるぞ」
「そんなものがあるんですか?」
 訊けば、ヨンが意地悪な笑みで応えた。
「私がそなたを嫁に貰ってやれば良いだけだろう」
「ーっ」
 明華は更に頬を熟れさせ、もう何も言えなくなった。ここは余計なことを言わず、大人しくしていた方が良さそうだと判断する。
 どこかうらぶれた家ばかりが並ぶ一角まで辿り着き、漸く彼が明華を降ろしてくれた。壊れ物を扱うような慎重な手つきに、明華は何故だか泣きたくなる。
 今まで誰かに、こんな風に優しくして貰ったことなどなかった。ひと度、優しさを知ってしまえば、人はとても脆くなる。貰った優しさを知る前の自分には戻れない。
 貧民街の路地に、人影はなかった。皆、まだ風燈祭に出払っているのか、それとも、明日の過酷な労働に備えて、早々と床についたのか。
 地面に降り立つや、明華は両手を組み眼前まで持ち上げた。冷たさも頓着せず、地面に座って頭を下げ、また立ち上がって深々と礼をする。貴人に捧げる最高礼だ。
「明華」