~王を導く娘~観相師
「ありません。いつもと同じ、家に帰るだけ」
「誰とも約束がないなら、風燈祭に行かないか?」
もちろん、断るはずもなかった。明華は背負い袋をしょい、彼と並んで歩く。
「何だか強引に連れてきたみたいだけど、迷惑ではなかったかな」
「そんな! 全然、迷惑なんかじゃありません」
まるで子どものように大きな声で言ってしまい、慌てて口を押さえた。
「あー」
真っ赤になった明華を見て、彼は愉しげに笑っている。
「元気が良いな。この間、初めて会ったときは流石に都でも随一と名高い観相師だ、歳に似合わない貫禄があると思ったものだけれど」
「え、私がですか?」
明華は愕き、彼を見上げた。長身の彼と小柄な明華が並んで歩けば、勢いこんな体勢になってしまう。自分に貫禄があるなんて、今まで考えたこともなかった。
「ああ、流石だなと感心した」
彼は大真面目に言う。どうやら、からかっているわけでもなさそうである。
「私なんか、そなたよりも年上なのに、いまだに風格なんてあったものではない」
春の陽だまりのような彼には似合わない、卑下するような口調だ。
「そんなことはないですよ。私も初めてお会いした時、きっと身分の高い、名家のご子息だと思いました。そういったことーお生まれやお育ちはどんなに取り繕っても一朝一夕に身につくものではありません。若さまは、気品が感じられましたもの」
「つまりは、生まれ育ちくらいしか取り柄がないということでもある」
明華は狼狽えた。皮肉のつもりで言ったのではないが、誤解されたのだろうか。見上げた彼の横顔は別人のように固かった。
「いえ、そういう意味では」
彼が笑った。
「済まぬ。何もそなたを困らせたくて言ったのではない」
彼は穏やかに笑った。先刻の冷たい印象とは別人のようであり、いつもの彼に戻っている。
「とにかく、安心したというのは事実だよ」
「安心なさったのですか?」
一体何に安心したというのか。明華の心を見通したかのように、彼は続けた。
「先刻も言ったように、まだ年若いのに、随分と大人びているようだったから」
「済みません、可愛げがなかったですね」
彼が鷹揚に言った。
「別に、そなたが謝ることではなかろう。観相師に愛嬌は必要ない。むしろ、客はそなたよりはるかに年上の者たちが多いだろうゆえ、風格がある方が何かと軽んじられずに済むのではないかな」
「そうですね」
明華は頷いた。今まで意識したことはなかったけれど、やはり、若さゆえに観相師として頼りないと思われてはならないと構えていた部分はあったはずだ。
観相師だけでなく、占いといったものは第一印象が大切だ。むろん未来を見通す占い師としての能力が最重要であるのに変わらないが、その前にまず客に信頼感と安心感を与えなければ上手くゆくものもゆかない。
「若さまは色々なことがお判りになるんですね」
彼もまた第一印象は老成した雰囲気を与えた。けれど、明華は屈託ない笑顔などから、彼がまだ自分とさほど歳が違わないであろうことを知ったのだ。まだ二十歳ほどであろうのに、洞察力に長けたひとであるとも思う。
直截に褒められ、彼は面映ゆげな表情になった。
「いや、私はまだ何も知っちゃいないよ。例えば、そなたの名前とか」
「そうですね」
今更の話だが、明華は自分たちが名前も知らない間柄なのだと思い至る。
「崔明華といいます」
彼が頭をかいた。
「ごめん、本当は都でも名の通った観相師たるそなたの名前は知っている。でも、そなた自身の口から、ちゃんと聞いてみたかったんだ」
悪戯っ子のような表情が浮かんでいる。
明華も誘われるように笑みを浮かべた。そんな彼女を何故か、彼は眩しいものでも見るかのように見つめている。
「若さまのお名前もお訊きしても良いですか」
「むろんだ」
彼は頷き、呟いた。
「私の名は李?(イ・ヨン)」
イ・ヨン。いかにも名家の子息らしい名前だ。明華はイ・ヨンと何度も心で繰り返す。
話している中に、いつしか風燈のつるされた通りへと来ていた。通りの両脇には紐につるされた提灯が無数に並んでいる。
「雪が降るかと思って心配していたが、この分だと祭の間は何とかもちそうだ」
ヨンが明るい声音で言い、明華も言った。
「そうですね。折角、都中の人が愉しみにしているお祭ですから」
つるべ落としの冬の太陽は、とっくに暮れている。漆黒の闇夜に煌々と点る提灯が映えている。幾つもの灯りが冬の闇にぼんやりとにじみ出し、何ともいえない幻想的な風景を作り上げている。
「綺麗」
思わず呟けば、ヨンが囁くように言った。
「風燈祭の言われは知っている?」
「願い事のことですか?」
「そう、何でも自分が願いたいことを一つだけは提灯に書けば、天の神が叶えてくれるという」
二人は、どちらからともなく顔を見合わせた。
「その顔からして、明華は書く気満々だな」
「バレてしまいましたか?」
二人はまた顔を見合い笑った。
「こんなときですもの。書かなきゃ損ですよ」
「なるほど、書かなければ損か」
ヨンは愉快そうに声を上げて笑った。
「これまで私の周囲に、そんなことを言う女はいなかった」
「ふふ、そうですか。両班の世界では、女人は皆さん、言いたいことがあっても口を噤んでいるのが美徳とされていますものね」
「明華は言いにくいことをサラリと言ってくれるな」
ヨンは気を悪くした風もなく言う。
「どれ」
彼はとある提灯の下に佇み、その中の一つをしげしげと眺めている。
「この提灯は、男が書いたものであろうな」
呟き、意味ありげに明華を振り返った。
「意中の女と添えるようにとしたためている」
「まあ」
明華はヨンを軽く睨んだ。
「他人の願い事を盗み読むなんて、駄目ですよ」
「明華の可愛い顔だと、怒っても怖くない」
「ーっ」
?可愛い?とまともに言われ、明華は耳朶まで紅く染めた。
「では、我々も願い事を書くとしよう」
道端では、中年の男が提灯を売っている。祭に参加したい者はここで提灯を買って願い事を書くのだ。
ヨンは提灯売りから真新しい提灯を二つ買った。
「どうぞ」
彼から提灯を渡され、明華は礼を言って受け取る。
「さて、私は何を書くとしようか」
ヨンは思わせぶりに首を傾け、明華を見る。まともに視線が合い、明華はまた頬の熱がぶり返し、慌てて視線を背けた。
ヨンがすかさず携帯用の墨壺と筆を貸してくれたので、借りて願い事をしたためる。考えた末、明華は亡き父母の冥福を祈る願い事にした。
ー亡き両親の魂が御仏の国で安らかでありますように。
また礼を言ってヨンに墨壺と筆を返す。今度はヨンが思案顔でさらさらと提灯に書いた。背の高いヨンが明華の代わりに提灯をつるしてくれる。二人分の提灯を張り巡らせた紐に造作なく取り付け、満足げに眺めている。
「明華と私の願い事が並んだな」
「二人とも願いが叶うと良いですね」
「そうだな」
ヨンがおもむろに頷き、明華を見た。
「ところで、一つ訊いても良いだろうか」
「はい、私でお応えできることであれば」
彼の黒瞳がじいっと明華を見下ろしている。
「そなたの願い事を読むつもりはなかった。さりながら、つい眼に入ってしまってな」
作品名:~王を導く娘~観相師 作家名:東 めぐみ