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~王を導く娘~観相師

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ー未来を観ることはできても、運命を変えることはできない。
 と。
 しかし、あれは偽りだ。明華の母も能力のある観相師であったが、明華はその母を凌ぐ強大な能力を持っている。ただし、明華自身は母の言いつけを固く守り、誰かの運命を変えようなどと大それたことをした憶えはないが。
 母の言うことは道理だ。この世の理(ことわり)を無理に撓(たわ)めて良いはずがない。世の中には本来、あるべき方向というものがあり、人の運命も皆、その?あるべき流れ?に沿って動いている。観相師は確かにその?流れ?を見通し、悪しき流れであれば極力、危険を避ける方策をその人に授けることはしても良いーというより、むしろ、それこそが観相師の本来の役目だろう。
 観相師は未来の危険を避けるための忠告はできても、他者の宿命に介入まではできない。仮にもし、禁忌を犯してしまった場合、観相師がどうなるかー。
 母はそこまでは明華に伝えないままだった。
 だとしても、我が身が観たものは、あまりに不吉すぎた。あの男から依頼を受けて観相をした瞬間、観たからには間違いなく映像は彼の未来を卜するものに違いない。片眼を矢羽根で射貫かれて苦しみのたうち回る美しき龍。
 あの映像から導き出されるものが何なのか、流石の明華も判らない。でも、判ることはただ一つ、あの男の未来はけして明るく輝かしいものではなく、むしろ不穏と闇に覆われているということだけ。
 あの映像の意味を読み解くことができれば、彼の運命の悪しき流れを別の方へ向けるすべも見つかるはずだ。
 あの優しそうな方に、何があるというの?
 どう見ても上流両班の子息にしか見えないのに、観相師である明華にも対等に接してくれた。明華が目眩を起こしただけで、狼狽え心配してくれた。
 涼やかで知的な麗しい風貌を持ち、外見の美しさにふさわしい優しい心を持つ男であれば、誰かに嫉まれるということはあるまい。いや、当人の人柄に拘わらず、何代も前の先祖の不始末のせいで悪しき運命を生まれながらに背負う気の毒な人もいるにはいる。
 もしや、そういった先祖が犯した罪の業を代わりに引き受けてしまったとか?
 明華の瞼に、男の静かな佇まいが浮かび上がった。穏やかな気性そのままに静まった瞳を持つ人であったと思うが、昏い翳りを帯びているのが気になる。
 翳というより、孤独? 哀しい眼をしたひとだった。例えるなら、今、まさに都にひろがるような真冬の空のように、淋しく、哀しいほどに透き通った瞳をしていた。
 だから、あの若さで観相を受けようと考えたのだろうか。
 そこで明華はゆっくりとかぶりを振る。いずれにせよ、あの男のために自分ができることは何一つないのだ。恐らく二度と相まみえることはないであろうひとである。
 町外れの貧民街でその日を生きてゆくのがやっとの自分と、絹製の服を着る両班の御曹司は生きる世界が違う。彼と我が身の世界が交わることは二度とないだろう。
 明華の観相師としての技量を知る人は多い。中でも領議政の嫡子夫人が男児をあげたときは、驚喜した領議政から破格の金子が支払われた。けれど、明華はその半分は丁重に領議政に返し、後の半分は亡き両親の墓所を建てるのに使った。
 郊外の寺に彼女の両親は永眠っている。明華は自分のためには殆ど金子を残さなかった。明華には贅沢をするという発想がまったくない。観相師として名を上げようという野心もなかった。
 ただ一日を暮らしてゆくだけの稼ぎがあれば十分だったのだ。その気になれば、王族の奥方にも紹介状を書こうとまで領議政は言った。けれども、その厚意をも明華は断ったのだ。王室や王族といった華やかな世界と拘わる気は一切なく、自分はただ下町でたまに訪れる客の観相をしていられれば十分だと思っている。
 明華は小さな欠伸をした。一旦は止んだけれど、雪はまた本降りになるかもしれない。明日の朝は一面の銀世界が見られるだろうか、きっと夜更けの寒さは耐えがたいほどだろうから、こんな夜はさっさと眠るに限る。少なくともまだ若い彼女は、眠れば寒さに震えることもない。
 明華は肩をすくめ、立ち上がった。眠れば寒さも忘れられるとはいえ、まずは夕飯の支度をしなければならない。あまりに空きっ腹を抱えていては、眠りも来ないだろうから。

 その時、明華は店じまいをしようとしていたところだった。四日前に降り始めた雪は案の定、一晩中降り続き、翌朝、都は花嫁が化粧したように美しく生まれ変わった。子どもたちが歓声を上げてはしゃぎ回る傍らで、大人たちは雪かきに精を出す季節が到来したのだ。
 あれ以来、雪は降っていないが、今日辺りまた降るのではと思うほど、空模様は沈鬱だ。危惧した通り、昼過ぎから粉雪が舞い始め、鶏肉屋は四日前と同じように早々と店じまいをして帰っていった。
 明華は何とか踏ん張ってみたものの、そろそろ冬の短い陽も暮れる時刻になった。同じようにこの界隈に露店を出す者たちも一様に帰り支度を始めている。
 支度といっても、たいした道具があるわけでもない。何しろ、身一つあればできる商売である。水晶玉と虫眼鏡を背負い袋に放り込み、机代わりの箱と筵を背後の空き店の軒下に入れる。これで帰り支度は完了だ。
 と、眼前を賑やかな声が通り過ぎ、つと顔を上げた。見れば、数人の子どもたちが色鮮やかな提灯を持って走っている。
「そっか。今日は風燈祭だったんだ」
 自然に言葉が零れ落ちた。
 夏と冬、一年に二度、都で行われる風燈祭は庶民たちの数少ない愉しみの一つでもある。どうやら、皆が慌ただしく帰り支度をしているのは天候のせいではなく、風燈祭のせいだったようだ。
 毎日、家とここの往復で、することといえば人の顔を観るだけ。判で押されたような日々の中で、いつしか風燈祭のような催しもののことさえ忘れ果てるようになったとは。
ーまあ、誰も一緒に見にいく人もいないし。
 別に風燈祭に一人で行ったとて支障はないけれど、やはり年頃の娘としては気恥ずかしいではないか。
 突如として、明華の脳裡に鮮やかに浮かび上がったのは、少し淋しげな瞳をした麗しい美青年だった。
「なっ、何なの、何でここにあの男が出てくるの」
 明華は独りごち、慌ててブンブンと片手で頬を扇いだ。何故だか、妙に頬が熱を持っている。
「今、帰るところか?」
 だから、いきなり呼びかけられ、明華は飛び上がらんばかりに愕いた。
「は、はい?」
 いつしか眼の前に、あの男ー麗しの君が立っている。
「丁度、良かった。あと少し遅ければ、逢えないところだった」
 彼は屈託ない笑みをひろげ、明華を見つめている。もう二度と会えないと思っていた男に逢えた。明華の心ノ臓は早鐘を打ち出した。
 もしかして、彼も自分と同じように会いたいと思ってくれていたのだろうか。そう思いかけ、慌てて虫の良い考えを打ち消す。
 たまたまこの近くを通りかかって思い出したからだけかしれない。あまり期待をしない方が後の落胆が少なくて済む。そんな風に考えること自体、既に明華の心が彼に傾いていることを示すものなのだけれど、奥手の明華はまったく気づいていない。
「これから予定はある?」
 ごく自然に問われ、明華は首を振った。