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~王を導く娘~観相師

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 眼を伏せたときは遅かった。ヨンが近寄り、細い肩を掴む。
「まさか」
 ヨンは小さく首を振った。
「私を死の淵から生還させたときも、そなたは術を使ったことを隠していた。まだ、私に隠していることがあるのではないか?」
 それでも、明華は応えない。
「一体、何をした?」
 ヨンの指が明華のやわらかな肌に食い込む。かすかな痛みに、明華は顔をしかめる。
 彼女の表情にハッとし、ヨンは手を離した。
「頼む、明華。強情を張らずに教えて欲しい」
 こんなにも必死な面持ちをしたひとに、どうして隠し事ができるだろう?
 明華は大きく長い息をついた。
「私がなしたことは殿下の運命の流れを少し変えただけですよ。たいしたことはしていません」
 ヨンが唸った。
「やはり、そなたが大王大妃に何らかの術を使ったのだな」
 ヨンは溜息交じりに言った。
「私には観相のことはまるで判らぬ。されど、下町で出会った日、そなたが観た私の未来は、けして良いものではなかった。傷ついた龍が観えると風燈祭の日、そなたは言った」
 明華がかすかに頷くのを見、ヨンは続けた。
「そなたは、その悪しき未来を変えるのだと言った。されど、それは観相師にとっては禁忌ではないのか」
「殿下」
 そんなことはないと否定しようとしたのだが、ヨンが目顔で遮った。
「黙って聞いてくれ。確かに私は観相に関しては素人ではあるが、まったくの馬鹿ではない。常識がある者であれば、天意に背くのが禁忌であり、どれほど怖ろしいしっぺ返しを喰らうかは想像がつく」
 明華は、がっくりとした。何とか言い逃れようとしたのだが、怜悧なこの男を所詮騙せるはずもなかったのだ。
「私が大王大妃さまに使ったのは、浄心の術といいます。事前に朝鮮に伝わる術を色々と調べたのですが、思うようなものが見つかりませんでした。町の書店で求めた倭国の書に書かれていた術を使ったのです」
「何と、倭国の書に書かれていたというのか、その浄心の術とやらが」
「はい」
 明華は頷き、ひたむきな眼でヨンを見た。
「いまだ使ったどころか聞いたこともない術でしたが、何とか成功したようです」
 明華は一番の気懸かりを口にした。ヨンの思惑を確かめておく良い機会だ。
「殿下はまだ反正を起こそうとお考えですか?」
 黙り込んだ彼に、明華は真摯に告げた。
「大王大王大妃さまは変わられました。もう、殿下を苦しめ抜いた残酷な大王大王大妃さまはどこにもおられません。それでもなお、殿下は大王大王大妃さまを滅ぼすおつもりですか?」
 ヨンがホォーっと息を吐いた。
「そなたは、私のために大王大王大妃に術を施したのか」
 明華は、それには応えなかった。けれど、ヨンはすべてを悟ったはずだ。
「そなたは私にとって大切な女だと申したはずだ」
 ふいに強い力で引き寄せられる。
「馬鹿なヤツだ。私のために天意に逆らって、無謀な真似をするとは」
 ヨンは自らの頬を明華の艶やかな髪に押し当てる。
「俺の側にずっといてくれないか? これから先の道をそなたと歩きたい」
 流石に奥手の明華にも、これが男性からの求婚だとは判る。大好きな男からのプロポーズ。
 明華の心はたくさんの蝶が一斉にはばたいたような歓びに包まれる。でも、明華は彼が差し出した手を取ることはできない。
「殿下のお心、とても嬉しいです」
 明華はヨンから身を離し、彼の整った顔を見上げた。
ーどうかお願いだ、私の意に従って欲しい。
 希うような彼の視線が胸に痛かった。
 明華は眼を伏せ、ひと息に言った。
「私は殿下のお側にはいられません」
「何故!」
 彼が吠えるように言った。
「私は観相師としての道をまっとうしたいのです」
 声が、震える。ヨンが傷ついた表情で言った。
「そなたが私の側で生きる理由ー。それは私がそなたを好きで、そなたも私を好きだというだけでは十分ではないのか?」
 明華はうつむいた。
「私は今でも殿下をお慕いしています。でも、私にとって恋と志は別のものなんです」
 ヨンがどこか投げやりに言った。
「それで両天秤にかけたら、やはり私のことなんて、どうでも良いというわけか」
 明華は唇に歯を立てる。どう言えば、今の自分の気持ちを上手く言い表せるだろう?
「とても厚かましい身の程知らずなお願いだと判っています。殿下、私はまだ子どもです。世間知らずの十五の小娘にすぎません」
 でも、こんな私でもいつか大人になるでしょう。
 明華はたどたどく言葉を紡いだ。
「もし、私が大人になるまで、観相師としても女性としても一人前になる日まで殿下をずっと好きでいたいと申し上げたら、殿下は呆れられますか?」
 ヨンの眼が見開かれた。
「それはつまり、一人前の観相師になるまで待てということか?」
「とても身の程知らずなお願いだとは承知しています。でも、今の私には、こんなお返事しかできません」
 ヨンが天を仰いだ。
「どうやら私は、とんでもなく頑固で、何にでも一生懸命な娘を好きになってしまったようだ」
 明華がおずおずとヨンを見上げる。この上なく優しい笑顔が彼女の瞳に映った。
「どれだけ待たされたとしても、そなたしか欲しくないと思う私は、相当そなたに腑抜けているのだろう。これが他の男であれば、情けないと笑い飛ばしてやるところだがな」
「嘘ばっかり」
 明華が呟き、ヨンが眼を瞠る。
「何だって?」
 明華は言い淀み、どこか気まずげに眼を逸らす。
 ヨンがこれまでの中で一番優しい声で言った。
「言ってごらん。もう私たちの間に隠し事はなしだ」
 明華は少し迷い、ひと息に言った。
「後宮には、たくさんのお妃さまがいらっしゃる癖に。私以外の女は欲しくないだなんて、真っ赤な嘘です」
 明華の少し拗ねた口調に、ヨンが紅くなった頬をつつく。笑みを含んだ声音で囁いた。
「もしかして、妃たちに嫉妬している?」
 彼に指摘され、明華の白い頬はますます朱が散った。確か以前にも、似たようなやり取りがあったように思えるけれど。
「まさか、何で私が嫉妬なんか」
「私は、そなたが嫉妬してくれたら、嬉しいよ」
 王さまは、さらりと言う。明華はこの瞬間、もしかしてヨンは見せかけだけではなく、本当に女タラシなのかもしれないと疑わしく思った。
 と、彼は急に生真面目な表情になり、明華を見つめる。
「妃たちには申し訳ないが、これからはもう、そなただけだ。浮気はしないよ」
 明華の唇が知らず尖る。
「でも、お妃さま方はずっと後宮にいらっしゃるのでしょう」
 それで浮気しないと言われても、実のところ、あまり信憑性はない。
 ヨンがしみじみとした口調で言った。
「むろん、糟糠の妻でもある彼女らを追い出すことはできない。でも、今後は彼女たちを寝所に呼ぶことはしないつもりだ」
 つまり、離縁はしないが、夫婦としての関係は持たないということなのか。ヨンが今後は十六人の妃たちを寝所には呼ばないと聞き、嬉しいと思ってしまう自分はなんて心が醜いのだろう。
 彼が十六人の妃たちを?糟糠の妻?と呼んだときはツキリと胸が痛んだ。まるでチリチリと心が火にあぶられるようだった。