~王を導く娘~観相師
明華は大王大妃の様子を注意深く窺いつつ、質問する。まだ今の時点では本当に成功したかどうかは判らない。
「観相をしている最中は、時として、そのようになるものにございます、大王大妃さま」
大王大妃は軽く頷き、手のひらを胸に当てた。
「不思議なことだが、胸の辺りが随分と軽やかになった心地がする」
「さようにございますか、それはよろしうございました」
「して、私の未来はどうであったか」
問われ、明華は控えめに言上した。
「何一つ憂いのない、光溢れる未来とお見受け致しました」
「さようか」
大王大妃は呟き、どこか遠いまなざしであらぬ方を見ている。
明華は続けた。
「大王大妃さまがお望みとあれば、私、続けて章興君さまの未来をも観させて頂こうと思うのですが」
と、大王大妃が吐息をついた。
「それには及ばぬ。明華、私はあの子をふた親の許に返そうと考えている」
明華の手にうっすらと汗が滲む。この後の大王大妃の返答いかんで、成功か失敗かが判る。語尾が震えないように細心の注意を払いつつ、明華は訊ねた。
「それはまたなにゆえでございましょう」
大王大妃が穏やかな声音で言った。到底、これまでの険のある声と同一人物とは信じがたい。
「まだ一歳にもならぬ赤児は、やはり実の親の許で育つのが良かろうと思うたまでのこと。主上はいまだお若い。その中、主上の御子もおいおいご生誕になるであろうしの」
明華の中で何ともいえない気持ちがひろがった。
浄心の術は成功したのだ。
明華はまた大王大妃から、かなりの褒美の品を賜り御前を辞した。帰り際、お付きの尚宮から手渡されたのは手のひらに載るほどの宝石箱であった。梅の花が螺鈿細工で象嵌された見事な小箱の蓋を取ったところ、珊瑚のノリゲや琥珀の指輪、翡翠の簪が入っている。
沈尚宮は、明華が浄心の術を行っている間、室に入ることはできなかった。結界のお陰で、室で何が行われていたのかも気づくことはなかった。
大王大妃の悲鳴はかすかに聞いたかもしれないが、結界の影響で曖昧な記憶も消えたはずだ。
それを物語るかのように、褒美を手渡したときの沈尚宮の態度は特に変化はなかった。
ー大王大妃さまの御心がいつになく穏やかになられ、お仕えする我らとしても喜ばしいことだ。
と、人が変わったように温和になった大王大妃の変わり様をむしろ歓んでいる風である。
大王大妃の気紛れやヒステリーに慣れた沈尚宮にしてみても、やはり、これまでの大王大妃は厄介で手に余る主人であったということだろう。
明華は無事、大王大妃殿を出ることができた。ムスリたちの暮らす殿舎に戻り、自分の室に入った途端、張り詰めていたものがプツリと切れた。
そのまま薄い夜具をのべ、倒れ込むと夕方まで一度も眼を覚まさず眠り続けた。
翌日、明華は休暇を利用して、下町に出た。目指すのは目抜き通りの小間物屋である。
明華は歩きながら、袖からチュモニを取り出した。逆さにすれば、小さな鈴がシャランと涼やかな音と共に手のひらに落ちてくる。
愕くべきことに、浄心の術を終えた時、明華の手の中で薄紅色の鈴は純白へと変化していた。明華が幻の空間で見た爛漫と咲き誇る桜の色と同じだった水琴鈴が白色に変色していたのだ。
その色の変化こそ、まさに明華自身が体感したあの不思議な現象と酷似している。あのひととき、明華はあの場所で薄紅の花びらがまさに純白の雪に変化(へんげ)する様を目の当たりにしたのだから。
鈴の色の変化こそが、まさに大王大妃の心の変化を体現していたのかもしれない。清らかな鈴の音色は大王大妃の奥に長年に渡って溜まりに溜まっていた邪心を洗い出し、役目を終えて無垢な新雪の色に戻ったのだろうか。
気をつけていても、鈴の色が元の薄紅色に戻ることはなかった。はて、鈴の持ち主にどのように詫びたら良いかと思案に暮れたのだ。
今日も都の目抜き通りは、押すな押すなの大賑わいだ。少しでも高く売ろうとする露天商の声、裏腹に少しでも安く買おうとする客の間でかしましいやりとりが交わされる。
そんな中、あの父娘は同じ場所に店を出している。あの日と変わらず、若い娘から中年の女房らしい女が数人、店の前で簪やノリゲを手にして嬉しそうに眺めている。
「こんにちは」
明華が近寄ると、いかつい顔の主人がつと顔を上げた。
「おう、あんたか」
明華は朗らかに言った。
「娘さんは、いらっしゃるかしら」
「娘は嫁に行ったよ」
「えっ」
明華の愕きぶりがおかしかったのか、男が笑った。
「四日前かな、かねて婚約中だった男の許に嫁いでいった」
「私、そんなことは少しも知らなくて。返すのが遅くなって申し訳ないわ」
困惑する明華に、小間物屋は笑顔で言った。六日前は娘に似ず無愛想な男だと思ったけれど、娘を嫁に出す直前で男なりに複雑な心境だったのかもしれない。
「まずは、おめでとうございますを言わなくちゃね」
明華の言葉に、男が嬉しそうに頬を緩める。「今日はお借りしていた鈴をお返しに来たんだけど」
明華が差し出した白い鈴を無骨な手が受け取った。
「娘は返してくれと言ったが、大方は、あんたに上げても良いと思っていたはずだ」
明華が眼を瞠ると、男が笑いながら言った。
「だから、あんたに祝言を間近に控えていることをわざわざ言わなかったのさ」
「そうだったのかしら。本当に申し訳ないことをしたわ」
男は屈託なく言った。
「心配するには及ばん。これは、わしからまた娘に返しておくよ」
「そうして下さると助かります。それから、もう一つお詫びしなければならないことがあるの」
「何だい?」
明華はペコリと頭を下げた。
「お借りした鈴はとても役に立ったの。お陰さまで困っている人たちを助けることができたわ」
「そいつは良かったじゃないか」
男の赤銅色の顔の中、細い眼がいっそう細められた。
明華は言いにくそうに言った。
「大切な鈴の色が変色してしまったのよ。綺麗な桜色をしていたのに、ごめんなさい」
男が手渡された鈴を持ち上げ、眼を眇めた。
「なるほど、言われてみたら、確かに色が変わってるな」
「お嬢さんにくれぐれもお詫びしておいて下さいね、おじさん」
小物間屋は破顔した。
「これはこれでまた綺麗な色じゃないか。真冬に都に降る雪みたいでさ」
気を悪くする風もなく言ってくれたのは、ありがたかった。
明華はしばらく露台を眺め、簪を一つ買った。それは純白の椿を模した意匠で、花びらには白蝶貝がはめ込まれ控えめな輝きを放っている。
「良い品に目を付けたな。まだ無名の若い職人が作ったものだから安いが、いずれ名が売れるようになったら値打ちが出るよ」
露店で売っているにしては安いとはいえないけれど、特別だと言って半額にしてくれた。
自分で簪を買ったのは生まれて初めてのことである。帰り道、明華は買ったばかりの簪を後ろで編んで垂らした髪に挿してみた。
まだ結婚前なので、髪は結い上げてはいないが、いずれ誰かに嫁いだ暁には、良人となった男にこの簪を挿して貰うのも良いかもしれない。
ふと、そんなことを考えた時、真っ先に浮かんだのは端正な面立ちの王さまだった。
「やだ、何で殿下のことを思い出すのかしら」
作品名:~王を導く娘~観相師 作家名:東 めぐみ